日本有数の「げた」産地だった広島県福山市松永地区の秋の名物行事「ゲタリンピック」が30年の歴史に幕を閉じることになった。住民らでつくる実行委員会が運営にあたってきたが、担い手や資金の不足とともにコロナ禍などにより4年連続で開催できなかったことが響き、13日に終了を発表。記者会見した実行委メンバーは「続けられるかどうか、1年以上協議を重ねてきた。コロナ禍が残した影響は思っていた以上に大きく、勢いを取り戻せなかった」と説明した。【関東晋慈】
コロナ禍などで4年連続中止/担い手、資金不足で断念
ゲタリンピックは1993年、松永商店連合会青年部が商店街活性化のイベントとして行った障害物競走が発端となって生まれた。94年10月、げた工場の協力を得て、げたを使った障害物競走を企画し、第1回ゲタリンピックがスタートした。
95年(第2回)は巨大げた(縦3メートル、横1・5メートル、重さ約650キロ)を制作し、96年(第3回)から巨大げたを載せたソリ(重さ約1トン)を引っ張る人気競技「巨大ゲタさばり」が始まるなど、オリジナル競技が次々と加わり「げたの街」をアピールした。会場の規模を拡大した98年(第5回)は来場者が松永地区の人口を上回る約7万人に達し、2003年(第10回)には最多の約9万人を記録した。
運営は全員がボランティア。仕事の合間に新たな競技などの企画を話し合い、地元企業に協賛金への協力を依頼して回った。最盛期はスタッフが100人を超え、当日ボランティアは200人近くになった。地域に根ざした手作りの活性化イベントとして注目を集めた。
若い世代へ運営の引き継ぎを模索しながら開催を続けてきたが、20年(第27回)、21年(第28回)とコロナ禍による中止を余儀なくされた。思うように会議も開けない中、3年ぶりの開催に向けて準備した22年(第29回)は台風接近のため中止を決定。前日まで準備作業に負われた実行委は無念の思いで決断した。
23年(第30回)は実行委役員を決められず、開催準備もできないまま中止に。前年の実行委員長の津田知明さん(47)らは9月、歴代の委員長ら約15人を集めてイベント終了を提案。継続を求める声もあったが、運営を担う人材や資金不足に加え、物価上昇による支出増、JR松永駅周辺の会場確保、巨大げたの老朽化や備品の管理費などの課題解決の妙案は見つからず、出席者全員が「仕方ない」と了承したという。
実行委メンバーの一人は「イベントの規模が大きくなりすぎたのかもしれない。中止によって市の助成金が入らなかったことが痛かった」といい、10月19日に開いた全体会議で満場一致で終了が決まった。
津田さんは「30回の節目を開催して華々しく終了できればよかったが、もう立ち上がる元気はなかった。福山を代表する秋のイベントとして定着し、30年前に掲げた地域活性化という目的は一定の成果を上げることができた。参加者や地域の皆さまに心から感謝している」と語った。
備品引き取り検討 市長、「活用」の考え
長年親しまれてきたオリジナル競技を何とか維持できないか。福山市の枝広直幹市長は21日の定例記者会見で「資源を守っておけば新たな担い手が復活を目指す時期も来るのではないか。競技に使う備品の処分や売却は避けたい」と述べ、げたを積み上げる「ゲタタワー」で使うげたなどの道具類を市が引き取ることが可能かどうか実行委と話し合う考えを示した。
枝広市長は「松永地区のげたに対する思いを何とか維持していきたい」と話し、市が実行委に加わっている春のイベント「フレンドリーピックまつながカープヂェー」で活用するアイデアも披露した。