2021年12月8日、大阪市内の仏教系の私立清風高校に通う男子タカヒトくん(仮名、当時17歳の2年生)が自宅付近の団地から飛び降り、その場で死亡が確認された。2日前の期末試験でのカンニングが教師に見つかり、謹慎期間中の出来事だった。
タカヒトくんの父親は、息子の死を知った瞬間をこう語る。
「単身赴任で中部地方にいたのですが、8日の朝6時頃に妻から『息子がいない』と電話がかかってきました。試験でのカンニングが発覚して謹慎処分になったことは聞いていて落ち込んでいるのだろうとは思っていたんですが、まさか……。自殺とは思ってもいませんでした。すぐに特急などを使い、大阪の自宅へ向かい、着いたのは昼過ぎでした」
タカヒトくんの母親は自宅の付近を捜したが見つけられず、警察に連絡したという。警察が捜索を開始してまもなく、タカヒトくんは自宅から数百m離れた団地から飛び降りた姿で発見された。
「損傷していたであろう後頭部は見えない様に…」
両親は警察からの連絡を受け、警察署で状況を説明された。その際、警察官から「遺体は見ない方がいい」と言われたという。しかし反対を押し切って、遺体を見せてもらうように頼んだ。
「自分の目で見ないと、タカヒトが死んだなんてとても信じられないと思いました。遺体は霊安室ではなく、プレハブの倉庫のようなところの一角に安置されていました。目に入った瞬間に一目で息子だとわかり、しゃがみこんでしまいました。団地から投身したとは聞いていたのですが、顔などはぐちゃぐちゃになっていなかったので、妻も確認のために、傍に呼びました」
遺体と対面したときのことを父親はこう思い出す。
「息子の遺体は12月にもかかわらず、寝るときに着ていたスウェット姿の軽装でした。損傷していたであろう後頭部は見えない様に(配慮)されていました。妻はしゃがみこみ泣き叫んでいました。立ち会ってくれた警察の方が何も言わず、合掌していたのが印象的でした。妻とは『生きてるみたいに見えるのに……』と話した記憶だけはありますが、何分程度その場にいたのか、ショックが大きくて記憶が飛んでいます」
その後、タカヒトくんの両親はなんとか葬儀場を決め、学校に自殺の事実を連絡した。そして「弔問は不要」と伝えている。
タカヒトくんに一体何が起きたのだろうか。
2学期の期末試験初日の12月6日、タカヒトくんは「倫理・政経」の試験にカンニングペーパーを持ち込んだ。それに気づいた試験監督の教員がテストを中止させ、タカヒトくんを「学友会室」と呼ばれる小部屋に連れて行った。タカヒトくんはそこで、男性教師から「卑怯者」と言われるなど事情聴取と指導を受けた。
学校の報告書によればタカヒトくんが一度書いた反省文を生活指導の教師が確認し、「校長先生、副校長先生の朝礼の話、覚えているか?」と質問したという。タカヒトくんが「カンニングの話ですよね?」と答えると、教員は「絶対あかんってことと、卑怯者がやることって話やな。ちゃんと聞いていたんやな」と言ったという。
タカヒトくんはカンニングの事実を認め、「(前日の)深夜の2時ごろになって倫理・政経の試験範囲で勉強していないところがあることに気付き、その時点からでは覚えられないと思い、カンニングペーパーを作ったと答えた」(調査報告書)と言ったという。
母親は恐怖感から、タカヒトくんの手を握って…
指導の場所になったのは、「生徒指導室」の奥にある「学友会室」。棚などをのぞくと7mしかなく、タカヒトくんと教師の距離はごく近い。そんな空間で複数の教師から40分間にわたって事情聴取や指導を受けた。その後は到着した母親と一緒に学長室で20分ほどの面談があった。カンニング発生から帰宅まで4時間ほど拘束されていたという。
母親が学校からの電話を受けたのは、カンニングが発覚した直後だった。指導対象になったとだけ告げられ、「すぐに学校にきてほしい」と言われ、仕事を中断して学校に向かった。道中、母親は不安になって単身赴任中の父親に電話したが、父親も事情がわからない状況では「とりあえず行くしかない」としか言えなかった。
学校に到着した母親が学長室に案内されると、そこには男性教師5人がいて、しばらくするとタカヒトくんが別の教員に連れられ入室してきた。その際、カンニングに関する事実を告げられる間、母親は、男性教員5名に面談されるという圧迫感で恐怖感を抱いた。そのため、タカヒトくんの手を握って話を聞いていた。
このとき教師たちは処分の内容について話したが、母親が「息子は『卑怯なことをした』と言わされた感があった」と証言する一方で、報告書では「卑怯者と言わせたと認定することは困難」と見解の差が生じている。
学校からの帰り道で、タカヒトくんは校則違反を母親に謝っていた。それに体調を崩してしまった母親を気遣いながら、学校から駅に向かう途中で、父親に今回の件の内容を電話連絡した。その際、父親も電話で息子を励ました。
「息子は元気が無いので、気にしないようにと伝えました。それに下手すれば退学だったかもしれないが、退学させられなくて良かったと思うよ、と話しました。このとき、責めることは言ってないです」
学校側がしたタカヒトくんへの処分は、「カンニングが発覚した教科を含めた全科目で0点」、「家庭での謹慎8日、その間友人との連絡は禁止」というものだった。それに加えて「般若心経の写経80巻」と反省文の作成、反省日記などが課され、大学受験の際に推薦入試はできないことも決まった。
学校から帰宅するとタカヒトくんはすぐに写経を開始し、1巻目を学校の指示通りに送信した。翌7日も一日中、写経などの課題に取り組んだ。写経は「文字を間違うと訂正はできず、最初から書き直しとなる。丁寧に書けていない場合も枚数にカウントされない」という厳しいルールがあり(調査報告書)、1枚あたり1時間ほどかかったという。
夕食後もタカヒトくんは写経をしていた。母親は午前1時頃に「反省日記だけ先に書けば」「もう明日にして寝たら」と声をかけた。タカヒトくんは「もうちょっとやってから寝る」と答えている。
母親は先に休むことにしたが、このときタカヒトくんの様子に異常は感じられなかったという。しかし朝目覚めると、タカヒトくんが部屋にいないことに気がついた。
「死ぬという恐怖よりも」「周りから卑怯者と思われながら」
「タカヒトはいままで無断で外出したことはありません。部屋にいないことに気がついた妻は、携帯電話が放置されたままで、上着も置いたままなのに家の鍵がないことから明らかに『おかしい』と思い近隣を探したようです。しかし見当たらなかったので交番に連絡し、事情を説明して一緒に探してもらいました。私は妻から『タカヒトがいない!』と焦った声で電話を受けたのですが、単身赴任先だったのでどうすることもできず、ただただ連絡を待つだけでした」(父親)
しかし、タカヒトくんは遺体で発見されてしまった。その日のうちには、机の上に広げられていた課題の“写経”の下敷きの下から遺書も発見された。
《死ぬという恐怖よりも、このまま周りから卑怯者と思われながら生きていくのが怖くなってきました》
その遺書の中の「卑怯者」というワードに、父親は怒りを覚えるという。
「『卑怯者』というのは、清風高校の副校長が朝礼で『カンニングは卑怯者のすることだ』と何度か使っていた言葉です。反省文にも遺書にも『卑怯者』という言葉がありますが、学校が自己否定の言葉を無理やり言わせているということではないでしょうか。後日、第三者委員会の調査報告書でさえ、『カンニングの禁止の域を超えた一つの行為で全人格を否定するような強い決めつけを感じさせる』とし、『配慮する必要がある』としています」
もちろん両親もカンニングがルール違反であり、指導を受けること自体は当然だと認識している。しかし、教員の指導の圧迫性や、生徒に「卑怯者」という自己評価を強いることは必要以上に人格を否定する不適切な指導だったと主張している。
「息子は亡くなるまでに、謹慎期間中の課題の反省文を2日分の2枚書いていました。また、般若心経の写経80枚のうち、22枚を完成させていました。学校の圧迫指導、人格否定、過剰な謹慎期間中の課題や拘束以外に、自殺の理由がないんです」(父親)
タカヒトくんは、生前どんな子どもだったのか。
「明るい子でした。小学校のときは運動会でクラスの応援団長もして、みんなの前に立っていました。音痴でしたけど、校歌や合唱は大きな声で歌っていました。中学校での成績は中の上くらい。交友関係は広かったと思います。愛嬌がよく、お年寄りには気に入られました」
「『死にたい』とか、『逃げたい』という言葉は聞いたことがない」
小学校までは水泳や体操、空手などの習いごとも精力的に通い、中学校では美術部に所属した。好きなミュージシャンは米津玄師、高校生になってからはカバンにはライトノベルを入れ、自分でブックカバーをつけて読んでいたという。
「記憶をたどっても、今まで『死にたい』とか、『逃げたい』という言葉は聞いたことはないです」(父親)
タカヒトくんが「倫理・政経」の授業でだけカンニングペーパーを用意していたことも、両親は引っかかっているという。
タカヒトくんの死後、学校は「倫理・政経」の授業について同じクラスの生徒たちに授業についてのアンケートを遺族に了解を得ずに実施した。その中で「熱心でわかりやすい」とする声がある一方で、「意見を言っても否定されるため、意見や考えを出しにくい」「授業中に居眠りをした生徒を教室の後ろに立たせる」「口調にトゲや圧力を感じる」などの回答があったという。
後に調査報告書では、いくら居眠りをしていたとしても、生徒を立たせることは「体罰」に該当すると指摘されている。学校の校長や管理職は、そのアンケート調査までその実態を認識していなかったとまで指摘されている。
生徒指導がきっかけとなる児童生徒の自殺は「指導死」と言われている。暴力を伴わなくても、不適切指導によって児童生徒は自殺する可能性が、教員向けの基本書「生徒指導提要(改訂版)」でも指摘されている。父親は次のように主張する。
「学校のタカヒトへの指導にはいくつも落ち度があります。理由を告げずに妻を学校に呼び出し必要以上の焦燥感を持たせたこと、男性教員5人による指導面接で過剰に妻と息子に圧迫感と恐怖感を与えたこと、また『卑怯者』という言葉で息子の人格否定の感情を喚起したことです。その結果、タカヒトは救いのないほど落ち込んでいました。さらに、過剰な課題を課し、過度な拘束をしたことも疑問です」
タカヒトくんの死から4カ月後の22年3月に第三者調査委員会が設置され、11月に調査の報告書が発表された。それによると、「学校の指導内容に全く問題がなかったわけではない」と学校の落ち度を一定程度認めつつも、「倫理・政経」の担当教員の指導や副校長の話などが、生徒の自殺の原因だとの認定はできない、という結果だった。
自殺の理由については、「学校や家庭をはじめとする諸要因は絡み合って急性のうつ状態に陥り、今後の学校生活に絶望し自死に至ってしまった」としている。両親にとっては、「家庭の問題」に心あたりも無く、まして遺書にもそのような記載もなく、そもそも、委員から「家族の問題」について指摘や調査さえも受けていないとして、強い違和感をもち、激怒している。
現在両親は、学校がタカヒトくんを長時間拘束しての圧迫的な指導を行ったこと、反省文や大量の写経など大量の課題を与えたことなどが安全配慮義務に違反するとして、学校法人を相手に約1億円の損害賠償を求めている。なぜ、裁判という手段を使ったのか。
「学校の指導だけではなく、多数の問題を指摘しているのに『自死との因果関係がない』という結論を出した第三者委員会の調査結果も納得していません。私たちは委員会に対して倫理・政経の担当教員が息子に厳しいことを言ったり、同級生の前で恥をかかせたりしたのかといった本来実施すべきアンケートを調査開始段階からお願いしました。最終報告書の前に中間報告が出た時にも、再度アンケートを申し入れています。しかし『受験を迎える生徒と遺族に影響を与える』との理由で実施されず、真実が追求されていません。
また、委員長からは『(倫理・政経の教員の圧力をかけるような言動が発覚したとしても)本人は死んでいるんで分からないでしょ』との発言もありました。調査委員として言ってはいけないことだと考えています。それらを踏まえて、学校に再調査を求めましたが、真摯な対応がありませんでした。あまりにも酷い学校の対応を世に問うために、裁判で訴える決断をしました。カンニングはもちろん悪いことですが、タカヒトの人格を否定する過剰な指導、学校の管理体制に問題があったことは事実だと考えています」(同前)
(渋井 哲也)