中部電力(中電)の芦浜(あしはま)原発計画が白紙撤回されてから22日で25年になる。賛否を巡って激しく対立した日々を終えて四半世紀、熊野灘沿岸の穏やかな地域で、住民は今、何を思うのか――。
現在の三重県南伊勢町と大紀町にまたがる芦浜地区。原発建設計画地に選定されると、住民は地域の発展を期待して誘致を希望する側と豊かな自然の中で従来の生活を守りたい側に分かれ、対立が生じてしまった。南伊勢町古和浦地区に住む小倉紀子さん(83)は「地域全体が家族のような存在で温かかった。原発計画でぐちゃぐちゃになるまでは」と話し始めた。
小倉さんは、2019年に79歳で亡くなった夫の正巳さんとともに反対の立場を示した。「当初は反対派が多かったが、推進側による現金を使った切り崩し工作などによって混乱に陥った。『地域破壊』とも呼ばれる状況を生んだ」と振り返った。「たとえ身内同士であっても、推進と反対の立場が異なれば敵になってしまう。誰かが亡くなると、逆の立場の人は喜んでいた」と助け合ってきたはずの地域での対立に胸を痛めた。
憎しみの矛先が小倉さん夫婦に向かったこともあった。漁師だった正巳さんが1988年に漁協の理事に就任すると、多くの嫌がらせを受けた。自宅には夜中まで無言電話が鳴り響き、宅配便で差出人不明の荷物が一日に約100個届くこともあった。「月夜の晩には気をつけろ」「殺すぞ」という脅迫文の手紙が届いた時は震え上がったという。
理事の改選が近づくと、推進派の同級生や友人から、幼なじみとして正巳さんを心配するように「もう見ているのもつらいよ。辞退した方が良い」と説得されたこともあった。後に「正巳を説得したら3000万円」と賞金がかかっていたことを知り、悲しんだ。
つらいことはたくさんあっても、小倉さん夫婦は反対を貫き、座り込みやデモ、署名活動などを続けた。「これまで生計を立てられたのは海があったから。次の世代に継承したい」という思いは変わらなかった。
2000年2月22日、北川正恭知事(当時)が県議会で「地域住民の同意と協力が得られているとは言い難く、計画の推進は現状では困難。白紙に戻すべき」と表明した。地域社会での争いに終止符は打たれ、関係修復の動きもあり、「平穏な日々に戻った」と報道されることもあった。
ただ、計画地だった土地は今も中電が所有し、立ち入り禁止の看板の奥には行き止まりの見えない森林が広がっている。「中電が土地を持っている限りは、当時の悲しみや不安を払拭(ふっしょく)できない」と話す住民もいる。
小倉さんによると、今でも言葉を交わさない人がいるという。「原発ができても、できなくても、分断は生まれていた」と目に涙を浮かべた。
原発建設を巡る対立でそれぞれの本性が垣間見えるほど、感情はむき出しになった。住民同士、心は遠ざかったままだ。【原諒馬】
芦浜原発計画
中部電力が1963年に熊野灘沿岸への原発立地計画を公表した。64年には南島町(現南伊勢町)と紀勢町(現大紀町)にまたがる芦浜地区に絞り込み、出力135万キロワットの沸騰水型軽水炉2基の設置を表明した。地元は推進派と反対派で激しく対立し、県の仲介で97~99年に計画を凍結する措置がとられた。2000年2月に北川正恭知事(当時)が計画の白紙撤回を表明し、中電は計画を断念した。