「また、泊まりに来てくださいね」が最後の言葉に…石川県珠洲市の旅館主、復興への思いが招いた悲劇

「復興を進めるために作業員やボランティアに泊まってもらったのです」
2024年1月1日に発生した能登半島地震から約8か月後、石川県珠洲市の真浦町にある旅館「ホテル海楽荘」で、経営者の池田幸雄さん(当時70歳)はこう語っていた。だが、取材から16日後、池田さんは奥能登豪雨による土石流に巻き込まれ、命を落としてしまった。
復興への思いと、最後の笑顔
能登半島地震で被災した海楽荘は、2月15日から復旧作業員やボランティアに限って宿泊の受け入れを始めた。水道が断水したままで、風呂も使えない状況だった。それでも池田さんは「奥能登の復旧・復興を少しでも進めるために泊まってもらおう」と決意した。
「作業員のために営業を再開してほしい」と輪島市側の住民に頼まれたことも、決断を後押しした。被災地に宿泊できれば、金沢など遠隔地から何時間もかけて通わなくて済む。十分なサービスはできなかったが、温かいご飯は出せた。
池田さんは「せめて地物の魚料理で作業の疲れを癒してもらいたい」と、早朝から蛸島漁港へ魚を仕入れに行っていた。取材当日の夕食は、ガンド(ハマチ)の胃袋、カルパッチョ、ステーキというフルコース。一緒に泊まった復旧作業員らは「凄い」と歓声を上げ、スマートフォンで撮影していた。
翌朝、池田さんは「また、泊まりに来てくださいね」と柔和な笑顔で見送ってくれた。「水道が通った頃に来ます」と告げると、「ぜひ」と話していた。
しかし、その16日後の9月21日、奥能登豪雨が発生。土石流が海楽荘を直撃し、池田さんは流されてしまう。遺体は5日後、「垂水の滝」近くの岩場で発見された。
池田さんの妻・真里子さん(69)は「仕事を続けたかったんです。人が喜ぶ顔を見るのが大好きだった。でも、奥能登のために、人のためにと仕事をした結果、こんなことになるとは……」と、声を震わせた。
復興への思いが強かったがゆえの悲劇。池田さんの温かな笑顔と、最後に語った言葉が、今も心に残る。
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この記事の全文は 「目と鼻の先の輪島市ではライフラインが復旧しているのに」能登半島地震で“孤立化”した石川県珠洲市真浦町の不条理《水道もテレビも電話も防災行政無線も…》 からお読み頂けます。
(「文春オンライン」編集部)