東京都は、東京大空襲などの戦争体験者172人分の証言映像を、2026年春にリニューアルオープンする江戸東京博物館(墨田区)で常時公開する方針だ。証言映像は、平和祈念館の整備を念頭に1990年代に330人分を撮影した。しかし、整備計画が事実上凍結となったため証言映像もほとんど活用されず、戦争体験者らから公開を求める声が上がっていた。
都によると、博物館内に専用コーナーを設け、1人あたり10分程度に編集した映像を視聴できるシステムの導入を検討している。
議員の反発で計画頓挫
祈念館の整備計画は、日本の加害に触れる展示案について保守系議員から懸念が示されたことなどからストップ。都は毎年開いてきた空襲資料展で9人分の証言映像だけ流してきたが、他の多くの証言は、寄贈された約5000点の空襲などに関する資料と共に眠ったままとなっていた。
都は23年度から祈念館以外での映像の公開について本人や家族の同意を得る作業を進め、24年の資料展では同意が得られた122人分を公開。来場者からは「体験者が語る言葉が胸に迫った」「映像だと状況が伝わりやすい」などの意見が寄せられたという。今年も178人分を公開した。
ただ、証言映像は撮影から30年近く経過し、本人が亡くなったり家族が見つからなかったりして、同意を得る作業は難しくなっている。都によると、24年6月時点で148人分について本人もしくは家族と接触できていないという。
若い世代を「語り部」に
一方、生身の人間による証言にこだわる自治体もある。堺市は24年度、戦争を知らない若い世代を語り部として育成する取り組みを始めた。
堺市では45年3~8月に米軍による空襲が5回あり、当時の市街地の8割が焼かれた。中でも同年7月10日未明の大空襲では、米爆撃機B29の焼夷(しょうい)弾で約1万8000棟が全焼、1800人以上が犠牲になった。
堺市では、空襲被害を知ってもらおうと、14年から体験者を募集して、「ピースメッセンジャー」として学校などで体験を語ってもらってきた。
しかし、8人いたピースメッセンジャーが亡くなったり、体調を崩したりして、23年には2人に減少。そこで地元の羽衣国際大と連携し、24年度に語り部の育成を初めて行った。
戦争未体験者に語り継いでもらう狙いについて、堺市人権推進課の山口修平副主査は「戦争体験者が話す映像でもいいのではないかという意見もあったが、目の前の人と対話することが強みになる」と話す。
24年度は、学生15人が地域連携型の演習の一環として参加。①地元の資料館で体験談や職員からの説明を聞き戦争を学習②少人数形式でピースメッセンジャーと交流③講話のシナリオや説明資料を作成――の各ステップを経て、語り部としての知識と技能を習得した。24年12月から順次、市内の小中学校で空襲体験者の話を児童たちに伝えた。
このうち、4年の木村貴子さん(21)は、市内在住の中野亘子(のぶこ)さん(88)の体験を紹介。大空襲で街中が燃え上がる様子や、戦時中に母親から一人でも生きていけるようにと家事を教えてもらったエピソードを披露した。木村さんは「最初は私がやっていいのかと思っていたが、子どもたちが一生懸命聞いてくれ、やりがいを感じた」と話す。
市が2~3月、語り部育成の参加希望者を一般に募集したところ、市民24人から応募があった。市人権推進課の山口副主査は「戦争体験者から継承されたものを人から人へと伝えることが人の心を動かすのではないか」と意義を語る。【竹内麻子、矢追健介】