9月1日前後に増える子どもの自殺。追いつめているのは、大人のあなたかもしれない。

Contents1 前向きな言葉は、死にたい子どもの心に届くか?2 不登校を経て自分の人生をつかみとった成功事例を、なぜ調べないの?3 「みんなと同じ」を強制した結果、自殺した場合、責任とれるか?4 メディアよ、そろそろ立場より事実に基づき、「家出OK」と言おう!

◆前向きな言葉は、死にたい子どもの心に届くか?

2015年(平成27年)頃から、9月1日前後に自殺する児童・生徒の問題が毎夏の行事のように報じられるようになった。

同年8月に発表された「自殺対策白書」で1972~2013年の42年間で自殺した18歳以下の子どもが合計1万8048人もいたことがわかり、この白書で紹介された日別自殺者数のデータが自殺対策への関心を動機づけることになったからだろう。

このデータに応える形で、読売新聞は8月下旬から「STOP自殺 #しんどい君へ」というシリーズ記事を掲載している。ゆうこすさん、山田ルイ53世さん、島田洋七さんなどの有名人から、生きるのがしんどかったエピソードを聞き、生きづらい読者を励まそうという企画だ。(こうした人選が今日の10代の関心を集めるかは、疑問だが)

NHKは、「#8月31日の夜に」という番組ハッシュタグを作り、同日に特番を組んだり、10代に日記を書いてもらい、生きづらい気持ちを吐き出し、つらい気持ちを読者と分かち合う特設サイトを設けた。

中川翔子さんは『「死ぬんじゃねーぞ!!」 いじめられている君はゼッタイ悪くない』(文藝春秋)を発表し、内田也哉子さんは不登校について考えた言葉をまとめた『9月1日 母からのバトン』(ポプラ社)を発表した。

こうした試みが、死にたい子どもたちにとって自殺を思いとどめるのに有効かどうか、筆者にはわからない。というか、どうもしっくりこないのだ。有名人が過去の生存戦略を語っても、それは「勝者の思い出」にすぎないし、切実に悩んでいる時に都合よく理解者と出会えるというのも信じにくい。

何とか生き延びれた人の前向きな言葉が、そのまま死にたい当事者の心に届くとは思えない。「生きるのが下手な人」の言葉にこそ、むしろ心は安らぐのではないか?

同い年の子が自殺前に書いていた文章や、自殺した作家・太宰治の小説、自殺した漫画家・山田花子の本の方が、よっぽど当事者の関心と共感を集めるように思う。前向きを強いる「自殺禁止」を前提とする文脈には、正直、窒息させられる。

死ななければ、それでいいのか?

それで満足したいのは、当事者以外の親や教師だけでは?

当事者の子どもは、耐え切れない仕組みやルール、常識にただただガマンする日々に戻らされ、自殺企図を先送りされているだけなのではないか?

いずれにせよ、ハッキリしているのは、厚生労働省・警察庁の作成した「自殺の状況」によると、19歳以下の自殺者はここ数年で増え続けているという事実だ。

◆不登校を経て自分の人生をつかみとった成功事例を、なぜ調べないの?

2017年(平成29年)には、567人も自殺していた。これは前年度より47人も多かった。2018年(平成30年)には、599人も自殺していた。前年度より32人も増えていた。この中で、学生・生徒等は453人。自殺の原因・動機別にみると、約3割が学校問題で、家庭問題と健康問題がそれぞれ2割程度。自殺の方法の6割以上は、首吊りだった。

学校問題による自殺は、いじめや教師との関係などによる不登校の選択が大人になかなか支持されないことを示唆している。

実際、小学生の不登校YouTuberとして有名になった「ゆたぼん」くんへの風当たりはすさまじく強く、そのようすをネット上で観た10代は恐怖と不安で「不登校をすればもう生きていけない」という勘違いを刷り込まれてしまうかもしれない。

義務教育で教わったことの半分以上を忘れても、社会生活を送るのに困らない。それは多くの大人がわかっているはずのことだ。

学校以外で自分の学びたいことを学ぼうとすれば、みんなと同じ知識しかない同世代と差別化できるため、「みんなと同じ」知識しかないために労働者としての価値が最小化するリスクも避けられる。

それどころか、不登校経験者の先輩には、みんなより早く自分のやりたい仕事を見つけ、事業化した人も少なくない。有名なのは、「#不登校は不幸じゃない」というハッシュタグを作り、「死ぬくらいなら学校に行かなくていい」と主張している小幡和輝さんだろう。

1994年生まれの小幡さんは、幼稚園・小・中学校の約10年間も不登校をした後、定時制高校に入学。和歌山県でさまざまな人と出会い、高校3年のときにイベント制作を事業化する会社を作って起業した。

世界的な経営者団体「EO」が主催するビジネスコンテスト「GSEA」で、日本代表としてワシントンD.Cで開催された世界大会で登壇。「世界経済フォーラム(ダボス会議)が認定する世界の若手リーダー」にも選出された。

不登校経験者で起業する事例は珍しくないが、問題は大人自身が不登校をきっかけに親より稼げるようになった若い世代の事例を調べもしなかったり、起業しなくても本人が満足できる人生を歩んでいるという事例すら探そうともしないことだ。

親や教師自身が不登校を経験していないと、「学ぶことができないまま大人になり、困ってしまうのではないか」という根拠なき不安を持て余し、そのために常識をバックにつけた同調圧力として、「なんとしてでも学校へ」と子どもを追いつめてしまいかねない。

そうなれば、家庭と学校しか世界を知らない良い子ほど死にたくなるだろう。

大人自身が「不登校にも失敗例と成功例がある」という程度の考えを持てないまま、フリースクールやNPOによる無料塾、高卒認定試験や単位制高校、検索エンジンや図書館などの学習チャンスを見ない振りするなら、子どもは自殺願望をこじらせていくだけだ。

◆「みんなと同じ」を強制した結果、自殺した場合、責任とれるか?

不登校経験者で『不登校新聞』編集長の石井志昴さんは昨年10月、文科省のデータをもとに小・中学校の不登校児童・生徒数が14万4031人に達し、前年度比で1万348人も増えていることをYahoo!ニュース個人で指摘した。同記事には、こう書かれている。

「不登校とは『すべての子どもが学校だけで育つ』という状況が生んだ問題です。この現状があまりに偏っています。『不登校によって子どもが苦しまない状況』をつくるためには、学校以外の選択肢が必要です」

未成年の自殺は、家族や学校、地域社会の求める良い子から逸脱できないという仕組みとの心中だ。

その仕組みの外側には、子どもにとって自分を苦しめない仕組みを持つ共同体が無数にあるのに、「あの塀の外は危険」と怖がらせ、自分の支配下の置こうとする大人たちがいる。

社会経験の乏しい子どもを自分自身の不安や恐怖で支配しようとする彼らは、みんなと同じように学校に行かせた結果、子どもが自殺してしまっても、「私は世間や常識に合わせただけ」と自分自身に言い訳するのだろうか?

子どもに責任能力を身につけさせることこそ、「育てる」という仕事だ。

なのに、大人が思考停止し、判断基準を常識に合わせて世間体を取り繕うだけなら、子どもは自分の人生を自分で作り上げることも、自分の責任能力を高めることで自由裁量の範囲が広げられることも学べないだろう。

そんな大人に「死にたくなったら勇気を出して相談して」と言われても、相談しにくい。そんな勇気があるなら、「家や学校を飛び出して、もっと安心できる場所に行きたい」という望みを叶えるのに使いたいというのが、子どもの言い分ではないか?

「死なないで」という言葉しか言えず、死にたい当事者の子どもが抱える切実な事情を解決する覚悟と体力、資本力がない大人こそ、自分の無力と向き合い、一緒に解決へと動ける仲間を作ってほしい。

変わるべきは、たった一人でつらい気持ちに苦しんでいる子どもではなく、時代遅れや世間知らず、人付き合いの下手さを自覚したくない大人の方なのだから。

◆メディアよ、そろそろ立場より事実に基づき、「家出OK」と言おう!

日本の子どもは、先生も学校も選べないし、教室ではいじめっ子から一方的に苦しめられることもある。

学校がイヤなら転校してもいいはずだし、田舎の閉鎖的な文化が生き苦しいならアニメ映画『天気の子』の主人公・帆高のように都会へ家出してもいいだろう。

都会が苦しいなら、「法外」をあっさり許す地方都市に移住してもいいし、日本独自の同調圧力が苦しくてたまらないなら外国で学ぶのもいい。

自分が関わる共同体を変えれば、関係作法や社会の仕組み、文化も異なる。周囲から「それがおまえの欠点だ」と責められていたことも、ほめられることさえある。

精神療法の中にも、異文化の環境で一時的に暮らす「転地療法」がある。

自分を殺すような場所から自分を活かせる場所へ旅をすれば、人生や命の価値、社会のゆるさに気づかされることは多い。

20年以上前、1990年代までは、「不登校してもいい」と言えば、ものすごいバッシングを受けたものだ。しかし、「学校なんか行かなくていい」という知識人のコメントを新聞やテレビが少しずつ扱うようになり、不登校は恥ずかしいことや悪いことではなくなった。

次は、「自殺したいぐらいなら家出してもいい」と、メディアが自社の立場を捨てて家出の安全性を伝えていけるかどうかが問われている。

それを2040年まで待つわけにはいかない。

未成年の家出人のうち、犯罪の被害にあった子どもは、わずか2%。それが警察発表の統計だ。

一方的に校則を強いる教師、話し合いに応じない親、地域社会にいるいじめっ子に悩まされて死にたいなら、児童相談所に相談した後で家出の計画を練ろう。

時間をかけて計画的に準備すれば、「アホな人たちに囲まれて自分だけ苦しめられ続ける人生なんてバカバカしい。私の価値を認めてくれる人は、この広い世界には無数にいる」と気づくはずだ。

【今一生】

フリーライター&書籍編集者。

1997年、『日本一醜い親への手紙』3部作をCreate Media名義で企画・編集し、「アダルトチルドレン」ブームを牽引。1999年、被虐待児童とDV妻が経済的かつ合法的に自立できる本『完全家出マニュアル』を発表。そこで造語した「プチ家出」は流行語に。

その後、社会的課題をビジネスの手法で解決するソーシャルビジネスの取材を続け、2007年に東京大学で自主ゼミの講師に招かれる。2011年3月11日以後は、日本財団など全国各地でソーシャルデザインに関する講演を精力的に行う。

著書に、『よのなかを変える技術14歳からのソーシャルデザイン入門』(河出書房新社)など多数。最新刊は、『日本一醜い親への手紙そんな親なら捨てちゃえば?』(dZERO)。