移転が決まった広島・放影研 被爆者の心の痛み伝える「無言の証人」

広島市の市街地を一望できる、標高約70メートルの小高い丘、比治山の山頂近くに放射線影響研究所(放影研)はある。原爆放射線の人体への影響などを調査、記録するため、米国が前身の原爆傷害調査委員会(ABCC)を開設したのは、原爆投下2年後の1947年。今から半世紀前の75年4月、日米共同運営の放影研に改組され、研究や施設が引き継がれた。広島のほか長崎にも拠点がある。
改組の数年後、小学生だった私(記者)にこの施設の存在を教えてくれたのは、漫画「はだしのゲン」だった。体調を崩したゲンの母親を兄がABCCに連れて行くが、裸にされて調べられただけ。「ひどい場所」として描かれていた記憶があった。
初めて放影研に入ったのは2003年7月。「ゲン」の作者、中沢啓治さんと一緒だった。連載開始30年の特集用取材で、同僚記者と3人、市内の漫画の舞台を巡った。放影研に入るのは中沢さんも初めてだった。足を踏み入れると無口になり、表情が険しくなった。「ゲン」のABCCでの描写は中沢さんの母親の体験が元になっている。「被爆者が人体実験の対象みたいで不愉快ですね」と感想を漏らした。
今年4月、22年ぶりに放影研を再訪した。神谷研二理事長は「放影研が進める調査、研究は被爆者へのしょく罪という側面もある。最後の被爆者が亡くなるまで追跡調査を続けていくことが使命」と話した。インタビュー後、広報担当のスタッフに施設内を案内してもらった。被爆者の血液やリンパ球などを凍結保存する設備や、敷地内のマンホールに残るABCCの文字などを見学、撮影した。
建物は老朽化が進み、27年に同じ広島市南区にある広島大霞キャンパスに移転することが決まっている。市の担当者は移転後について、「建物の保全を求める声もあり、市民の意見も聞いて検討したい」と話す。
広島の建築に詳しい市民団体「アーキウォーク広島」の高田真代表は「施設に刻まれた負の歴史も含めて『被爆後』の広島を伝える遺構。被爆建物と同様に保存活用を目指すべきだ」と訴えている。
米軍兵舎を転用した、かまぼこ形の特徴的な外観を撮るため、天気の良い日を選び、改めて足を運んだ。敷地全体を見渡せる空き地に脚立を立て、西日を浴びて輝く建物を日没まで撮影した。
建物は何も語らない。しかし、私たちは知っている。原爆ドームに代表される「無言の証人」がいかに雄弁かを。【佐藤賢二郎】