平和の尊さ、写真で次世代に感じてほしい ベトナム戦争「安全への逃避」兄妹訴え

カメラマン沢田教一(1936~70年)が撮影した「安全への逃避」は、4月末に終戦50年を迎えたベトナム戦争を象徴する写真として知られる。中部ビンディン省ロクチュアン村で、恐怖や不安を顔に浮かべた兄妹が必死の形相の母親と川を渡る様子を捉えた。被写体の兄妹は「多くの命が失われる戦争の悲劇を忘れてはいけない」とし、次世代に写真を見てもらい平和の尊さを感じてほしいと訴える。(共同通信ハノイ支局 松下圭吾)
1965年9月6日、当時14歳のグエン・バン・アンさん(73)や8歳の妹グエン・ティ・キム・リエンさん(68)は米軍側の爆撃を受け、母らと防空壕に避難した。その後、村内に押し寄せた米兵に銃を突きつけられ「殺される」と死を覚悟した。だが米兵からは避難するよう命じられた。
爆撃音が響く中、アンさんは目の前の川に母や妹と入った。10メートルほど先の対岸には兵士らの一団が見え、男が銃のようなものを構えていた。「撃たれる」。恐怖が頭をよぎり、目がくぎ付けになった。
近づくと男はカメラで撮影していると気付いた。沢田だった。岸に上がって安全な場所に避難し、米軍が引き揚げるのを息を殺して待ち、村に戻った。
沢田との再会は1966年ごろで「家を訪ねてくれた」(アンさん)。ピュリツァー賞を受賞した「安全への逃避」の写真やお金を贈られ、カメラマンだと知った。
当時、アンさんは母親と妹のリエンさんと3人暮らし。一緒に川を渡った当時2歳のグエン・ティ・フエさん(62)とその母親も近所に住んでいた。アンさんが幼い頃に父親は家族の元を離れて別の女性と暮らしたため、母親が女手一つで苦労して育ててくれた。アンさんは川を渡った時のことを「母は子どもを助けようと必死だった」と振り返った。
母親は終戦後、亡くなったが、沢田の写真は国内各地の博物館に飾られている。アンさんは、写真を見る人たちが子どもを守る母親の勇敢さを感じてくれたらうれしいと話す。沢田については、戦争の悲惨さを世界に伝えようと情熱をもって写真を撮影してくれたと涙をにじませた。
アンさんらは故郷ロクチュアン村で農家として暮らす。アンさんは子ども6人、孫14人。リエンさんは子ども6人、孫9人に囲まれ生活している。兄妹は沢田の写真を孫によく見せ「青春時代は食べ物も十分ない戦争と荒廃の時代だった」と伝えている。
ベトナム戦争終結から50年を経た今も世界で戦火は続く。2人はウクライナやパレスチナ自治区ガザの惨状に胸を痛める。「戦争は悲惨だ。人が亡くなるのはつらい。世界の争いが終わることを願う」と話した。