芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫会長が急死、84歳 前日に京都に出張、夕食まで元気だった

タレントの堺正章(78)、俳優の高橋克典(60)らが所属する大手芸能事務所「ケイダッシュ」の川村龍夫(かわむら・たつお)会長が死去したことが30日、分かった。84歳だった。ケイダッシュの広報部が発表した。ブルー・コメッツのマネジメントなどを手がけたのち、1993年にケイダッシュを設立。多くの人気タレントを輩出したほか、2002年から所属した渡辺謙(65)の世界進出をバックアップ。格闘技界やプロ野球界にも親交の深い関係者は多く、長年にわたり広くエンタメ界に貢献した。
昭和、平成、令和にわたり、芸能界を支え続けた川村さんが、天国に旅立った。
関係者によると、川村さんは29日に京都に出張に行き、夕食までは元気だったという。その後、ホテルに宿泊したが、30日のチェックアウト時間になっても姿を見せずスタッフが確認に行くと、川村さんが倒れていた。心筋梗塞の可能性が高く、事件性はないという。事務所は「逝去の正確な日時や詳細につきましては確認中」としている。特に大きな持病などはなく、今年1月に都内で行ったケイダッシュグループの新年会にも出席。約2時間、ほぼ立ちっぱなしで駆けつけた関係者とあいさつを交わしていた。
川村さんは千葉・市川高から立大に進み、在学中に市川高時代の同級生で歌手の鹿内孝(84)に誘われてマネジャーに。その後、鹿内のバックバンドをしていたブルー・コメッツのマネジメントを手がけた。「グループサウンズは不良」という当時のイメージを変えようと各所を奔走し、NHK紅白歌合戦に1966年から3年連続で出場。67年には「ブルー・シャトウ」でレコード大賞を獲得するなど、手腕を発揮した。
93年にケイダッシュを設立。以前から「世界」を目標に掲げており、渡辺謙が2002年に所属すると海外進出をバックアップ。渡辺は米ハリウッドの初出演映画「ラスト サムライ」(03年公開)でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされ、15年にはブロードウェーミュージカル「王様と私」に主演するなど世界に活躍の幅を広げた。川村さんが15年に「王様と私」を米ニューヨークで観劇した際は「謙、本当すごいよな。ここまで連れてきてくれてありがとうだな」と、自分のことのように喜んでいた。
22年には、韓国・釜山国際映画祭と併催された「第4回アジアコンテンツアワード」で生涯功労賞を受賞。長年にわたり芸能界をけん引した功績が認められたもので「このような素晴らしい賞を頂けるなんて信じられません。今後も日本と韓国の文化に貢献していきたい」とコメント。最後まで現役として芸能界の発展に貢献した。
アントニオ猪木さん(22年死去、享年79)と親交が深く、猪木さんが設立した団体「UFO」のイベントでプロデューサーを務めたことも。ケイダッシュの関連会社にプロ野球・日本ハムの新庄剛志監督らが所属するなど、プロ野球や、スポーツ界に幅広く影響力を持っていた。
毎年1月に所属タレントのほぼ全員が参加し、関係者を盛大に招くグループの新年会は恒例。タレント、スポーツ選手、マスコミ関係者が川村会長にあいさつするために大行列を作るのが風物詩となっていた。
◆川村 龍夫(かわむら・たつお) 1941年1月20日、東京都生まれ。千葉・市川高から立大在学中、同級生で歌手の鹿内孝のマネジャーに。93年にケイダッシュを設立。現在の関連会社に田辺音楽出版、アワーソングス、ケイダッシュステージなど多数。