原爆投下から80年「核なき世界」が遠のく理由

今年は広島、長崎への原爆投下から80年。昨年、2024年には日本原水爆被害者団体協議会がノーベル平和賞を受賞した。ようやく被爆者たちの草の根運動が届いた一方で、今現在、世界の核を巡る事情はむしろ後退している。
本記事は『知らないと恥をかく世界の大問題16』より一部抜粋・再編集。私たちは今、唯一の被爆国として何ができるのだろうか。
日本被団協がノーベル平和賞
2024年のノーベル平和賞を受賞したのは、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)でした。2025年は被爆から80年たちます。その前年に受賞した日本被団協。受賞理由は、「ヒバクシャ」として知られる、広島、長崎の被爆者らの草の根運動による核廃絶への努力、また核兵器を再び使用させないための証言活動を継続してきたことでした。
私はこのニュースを知ったとき、「ああ、まだ受賞していなかったんだ」と思いました。1956年の結成以来、長きにわたり、「核なき世界」を訴え続けてきたのに遅すぎます。最初に核廃絶でノーベル平和賞をもらったのは「パグウォッシュ会議」(1995年)でした。これは、各国の科学者が軍縮・平和問題を討論する国際会議で学者たちの集まりです。
核廃絶関係では、アメリカのバラク・オバマ元大統領も受賞しましたね。2009年のことです。「核兵器廃絶を目指す」と言っただけで決定しました。
それでいえば、日本の佐藤栄作元首相も受賞しています。受賞理由は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の、いわゆる非核三原則を表明したから。しかし、実はアメリカと密約が結ばれていて、核兵器を「持ち込ませず」については、事前にアメリカが「持ち込みたい」と協議を持ちかけたらOKすると伝えていたことが明らかになりました。
直近では、2017年にICAN(アイキャン/核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞しています。2017年に国際連合(国連)で核兵器禁止条約が成立したからでしょう。核兵器廃絶に向けて多くの人々が活動を行っています。しかし、被爆者の団体が核兵器廃絶を訴えているのは、まさに日本被団協だけなのです。
こうして広島、長崎に原爆が落とされた
受賞にあたり、92歳(受賞時)の日本被団協の田中煕巳代表委員は、「(核廃絶へ向け)大きな運動が起きるきっかけになってほしい」と力を込めて語りました。
2024年12月8日の日本経済新聞によれば、被爆者は戦後、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効するまでの間、沈黙を強いられたとか。GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によるプレスコード(報道規制)のために、被爆の実相を語ることが許されなかったのです。転機は1954年、太平洋のマーシャル諸島のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験でした。