冷泉彰彦<石破政権は、生活支援策だけでなく財政規律について国民に訴えることもしなかった>石破首相が辞任を表明し、自民党はフルスペックの前倒し総裁選で次期総裁を決めることになりました。野党との連携や、旧派閥間の駆け引きなど、色々なことが言われています。また、過去の首相が「密室コミュニケーション」には秀でていても、首相として「いきなり国民と向き合った」瞬間に、何のコミュニケーションスキルを発揮することもできず、そのまま短期で退陣してきた事実があります。この点については、今度こそ失敗は許されないとも言えるでしょう。そうではあるのですが、今回の政局は特別です。次の首相に求められることとして、一つの最重要項目があるからです。それは「国民への支援か、財政規律か」という問題に、自分の回答を持っており、それを国民に説明できるということです。現在の日本では、国民は物価高に苦しんでいます。正確に言えば、可処分所得と物価の関係から、生活水準の切り下げを余儀なくされており、このために大きな苦しみを抱えています。これに対して、政治は応えていかなければなりません。その場合に、次の問題に直面します。(1)「国民への支援を渋れば、国民の不満が政権に向かいます」(2)「国民への支援が大きすぎれば、財政は悪化して、国の破綻を早めてしまいます」非常に単純化して言えば、今年7月の参院選で自民党は、(2)を理由に(1)に対する対処が弱かったので大敗を喫しました。政権が崩壊したのはそのためと言って良いでしょう。ですが、だからといって野党の言うように減税を大きく進めて、財政が思いきり悪化すれば、最後に苦しむのは国民です。与党であれば財政規律維持の責任は免れないですから、誰が首相になろうと、「支援」と「財政規律」という矛盾する問題の間で「最適解」を見つけ、その「最適解」が文字通り「最適」であることを国民に対して説得しなくてはなりません。石破政権が崩壊したのは、正確に言えば(1)のためだけでなく、(2)の問題について国民に訴えることをしなかったためでもあります。そして、多くの野党が野党という地位に甘んじて、政権批判を続けることで選挙に勝ち続けているのは、(1)の問題だけを訴えていれば勝てるからです。ですが、自民党は下野するのでなければ与党であり、政権を担う責任があります。野党とは立場が全く違います。国民への支援だけでなく、財政に関する規律を維持する責任からは逃げられないのです。