【能登半島地震】家があるのに帰れない──停電と断水なお、二重災害のいま 復旧まで4年…「長引くほど迷い」「輪島を知って」『every.特集』

去年1月の能登半島地震、そして去年9月の豪雨と、二重災害に見舞われた石川県の能登半島。「輪島のいまを知ってほしい」。ライフラインの断絶などで早期の復旧が困難とされる「長期避難世帯」に認定された住民や、輪島朝市に関わる人たちを取材しました。
9月、石川・輪島市へ向かいました。道中はまだ復旧工事が行われていました。
土砂崩れの爪跡が残る、輪島市の仮設住宅を訪ねました。80歳の高野皓(あきら)さん。仮設住宅に一人暮らしです。「こっちに台所。四畳半くらいの部屋が1つ。最初入った時はなんて狭いと思ったけど、慣れてしまって。これで1人なら十分」と話します。
地震から半年後に、ようやく仮設に入居できたといいます。「うれしかったですよ。入居することができて。感謝ですよ」
高野さんの自宅は地震で半壊。復旧までに、まだ4年ほどかかるといいます。「少しでも早く家に帰りたい、そればかりです。苦しんでいる集落もあると、皆さんに知っていただきたいと思うんですよ」と語ります。
高野さんの自宅は「長期避難世帯」に認定されています。地震で道路に大きな被害が出たため、復旧工事が進まない地域です。
自宅近くを案内してもらいました。「あれが(去年)9月21日の水害で…」。地震の約9か月後に起きた豪雨で、大規模な土砂崩れが発生しました。地震で被害の少なかった民家も、土砂に押し流されたといいます。
高野さんは土砂崩れの現場を見やり、「あそこにも家があって。ここにも家があったんだけど、跡形もなくなってしまって。びっくりしました、本当に。地震よりも被害が大きいくらいだから」と話しました。
二重災害に苦しめられています。
長期避難世帯に認定された高野さんの自宅は、いますぐにでも住めそうなほど片付けられていました。しかし地震以降、停電と断水が続き、携帯電話も使えないそうです。
高野さん
「水も電気も来ていない。(携帯の)電波が来ていない。これは命につながりますよ。万が一のことがあったら連絡のしようがないから」
地震で自宅は半壊しました。高野さんは壊れた箇所を指して、「ここの壁がみんな落ちてしまって。土間にひびが入って半壊になった」と言いました。工事業者が足りないため、壁のシート張りも家の片付けも、1人で行いました。
生まれ育った大切な家。先祖代々、150年以上受け継がれてきたといいます。「(先祖が)苦労して建てたんだろうけどね…。守っていきたいというか…」
毎日、片道数十分かけて自宅に通い、手入れを欠かしません。「風を通すためにこんなことをしている。(家が)傷んでしまうから。掃除機使えないから、ほうきと雑巾と」
──4年間、家を手入れし続けるのは大変ですよね。
高野さん
「そうだね。でもやっていかないと、どんどん(家が)朽ちていくことになるから」
こうした中、飼っていたコイを失いました。「コイを飼っていたんだけど、電気が不足してコイが死んでしまった。酸素を送ることができなかったから」。地震の前は10匹以上のコイを大切に育てていたといいます。
「口をあけて、エサを待っているのはいいですよ。かわいらしい。一つの生きがいだから。癒やしだな」
長期避難世帯が復旧するまで4年。複雑な思いがあります。
高野さん
「この被害があまりにも甚大で、4年かかるのも納得できる。でも思いとしては、一日も早く戻って生活したいですよ」
この集落では全37世帯が長期避難世帯に認定され、ひとけが消えました。地震前は水田だった場所は、すっかり荒れ果てました。
高野さん
「1年半でこんな状況になってしまった。長期避難地域に認定されたことが荒廃を生む原因にもなっている。難しい。(避難が)長引けば長引くほど迷いがでて、ほとんどの住民が諦める。(集落を)維持していくことがなかなか難しくなってくる」
「残ろうというのは私みたいな年寄り。捨ててしまうのも、これまた何かやるせない。大変だ…。どうあろうと、私はここに残って頑張っていこうと思っています」
長期避難世帯の苦しみを知ってほしい。高野さんはそう考えています。
輪島のいまを知ってもらいたいと願う人々は、他にもいます。「わじま観光案内センター」を訪ねました。
輪島市観光協会事務局の橋爪朱文さん
「いましか見られない輪島を見ていただきたい。まだこんな状態なのか、この復興の流れを見ていただいて。頑張っている市民の皆さんを応援していただければと思います」
輪島市の民間企業では、市内を巡るツアーを行っています。
「まちづくり輪島」ガイドの大下慎司さんは、自身も被災しました。「僕も地震と水害にあいました」
地震の後、火災で焼失した輪島朝市。観光客に火災直後の写真を見せて説明するといいます。「この通りが震災があった時の写真です。電柱が倒れたり、焼けたり、電線もぐちゃぐちゃですよね」
大下さんの母親の店も被害にあい、写真に残されています。いまは焼けた建物は撤去され、更地に。それでも子どもの頃から通った朝市の姿は、鮮明に思い出せるといいます。
「よく買い物したところもありますからね。おばちゃんの顔も覚えていますしね。この辺は野菜とか、お箸とか…」
今も目に浮かぶ、地震前の姿。輪島を代表する観光名所だった輪島朝市は、笑顔いっぱいの場所でした。「頭の中に残っていますね」と大下さんは言います。
大下さんは火災で知人を亡くしました。朝市に来るのはつらい思いもあるといいます。それでも、こう力を込めます。「つらいのは通り越して、あとはもうやっていくしかないので。とにかく今を見てほしいですし、忘れられるのがさみしいので」
その輪島朝市は現在、輪島市内のショッピングセンターで続けられています。
輪島朝市の山下良子さん
「まだ完全ではないけども来てほしい。少しずつ復興しているので」
山下初枝さん
「訪ねてきたみなさんと話すのが楽しくて、元気が出る」
水口美子さん
「頑張ってね、って一言がうれしい」
地震と豪雨という、困難を極める二重災害からの復興。輪島のいまを知ることが、復興への手助けになります。
(10月23日『news every.』より)