「媚びでのし上がった」「ネトウヨの姫」…支持率8割の高市首相を叩き続ける女性の”複雑な胸中”

高市早苗氏が首相の座についてから、その評価をめぐって、ネット上ではものすごい盛りあがりを見せてきた。
私は当初、高市氏の評価をめぐって、「フェミニズムは一定程度社会に受け入れられたのだなぁ」としみじみとしていた。なぜなら、高市氏が首相の座に着くまで、男性たちによる「高市は、女だからダメだ、能力がない」といった批判が、ほとんど見られなかったからである。
2008年に、ヒラリー・クリントンがバラク・オバマとアメリカの大統領選の民主党の指名をめぐって予備選挙で争っていたとき、「俺たちは、ヒラリーの皺が増えていく過程を見せられなきゃいけないのか」といった発言をはじめとして、候補者が女性であることを揶揄する男性の声が多くあがっていた。アメリカでも、まだここまでひどい性差別的言動があるのかと、私はかなりの衝撃を受けた。
それから約15年が経過して、日本では高市氏に対し「女だからダメ」という声がほとんどみられなかったことに、私は多少、感動すらしたのである。
むしろ、批判は女性たち、とくにフェミニストを自認するひとたちのほうから見られたのは、意外であった。
例えば、選択的夫婦別姓制度の導入を求める一般社団法人「あすには」代表理事の井田奈穂さんは、10月9日に出演した動画ニュース番組「ABEMA Prime(アベプラ)」の中で、高市氏が自民党の総裁に選ばれたのは、男性支配的組織に同化する「女王蜂現象」であり、高市氏は「ネトウヨの姫」になって党内で認められていった人だと話している。彼女が自民党の総裁に選ばれたのは、組織が危機にある時に女性をリーダーに就かせ、矢面に立たせて“利用する”という「ガラスの崖」現象だったと指摘。男性らが不祥事の謝罪などを女性に押し付け、女性もそれを「認められるチャンスだ」と張り切って引き受けてしまうことが多いことにも言及していた。男性優位の社会の中では、こうした「ガラスの崖」に立たされた女性に対し、高みの見物をしている男性がおり、もしうまくいかなかった場合は、「やはり女性はダメだ」といって、切って捨てるというのである。
こういった分析には、もちろん、納得のいくところもある。例えば、高市氏は「男性支配的組織」であるだろう自民党に、適応しているようにみえる。無所属で初当選し、自民党に入党するときには、「一生もんの選択」と発言していた高市氏にとって、自民党内の組織政治の世界をうまく泳いでいくことは重要な課題であっただろう。そしてリベラルから保守へと鞍替えしていったのは、もちろん、個人の思想信条の変化もあっただろうが、いまの日本の政治の現実を考えるときに、保守を前面に打ち出さなければ、けっして与党にはなれず、ましてやそのなかでも力を得ることはできないだろうという冷徹な計算がなかったとはいえないだろう。
井田さんによる分析は、賛同できるところはあるものの、「ネトウヨの姫」という称号には、あまり賛同することはできない。この言葉はまるで、高市氏が実力もないのに、男性を手玉に取ることだけで出世していったような印象を与えるからだ。
「ガラスの崖」現象だという指摘も、事実に反するのではないかと思う。高市氏は、自民党が苦境に陥る前から総裁選に立候補していたのであるし、「やりがいの搾取」よろしく、面倒事を押し付けられたわけではないだろう。自民党のなかには、「高市さんにだけは総理になってほしくない」と考えるひとはたくさんいるようだし(前回の総裁選での石破茂総裁の誕生は、そうした事情の集積だったように、私には見える)、苦労して高市氏が総裁という座に就いたことについて、「高みの見物をしている男性がいる」というのは、やはり、事実とはいえないのではないか。それに、たとえそれが“崖”に立たされるようなポストであるにしても、自民党総裁、そして総理大臣になりたい男性は少なくはないだろう。
高市氏が総裁に選ばれた際に祝意を述べていた、若者の政治参加を進める「笑下村塾」代表のたかまつななさんは、高市氏の「ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てる」という発言に対して、「政治家になりたいけど、立候補しないひとというのはいっぱいいるんですよ。……子育てしているひととか不妊治療しているひととか、介護しているひととか、そういう人の声だって国会に届く必要はある」、つまり、政治家がワーク・ライフ・バランスを捨てることを容認してしまうと、子育てや不妊治療、介護などで長時間労働ができない人を、政治の場から排除してしまうことになりかねないとして、批判する文脈で発言していた。
私はこれは、少々意地悪ではないかと思った。たかまつさんは今年1月に、自身のYouTubeで、高市氏のライフヒストリーをインタビューしており、彼女が子どもの頃にまだ赤ちゃんだった弟の世話をしていたこと、自分で学費を稼ぎながら大学に進学していたことは、知っていたはずである。また、このインタビューでは言及されていないが、高市氏は、脳梗塞で倒れた夫の山本拓氏の介護も経験している。そうした高市氏の経験を生かしてほしいというのであるならともかく、「弱者の気持ちをわかっていない」と決めつけることは、評価としてはあまりにアンフェアなのではないかと感じる。
フェミニストはなぜ、ここまで女性の首相に、冷たいのだろうか。保守的な右派の政治家は男性にもたくさんいるのに、なぜことさら熱心に高市氏を叩くのだろうか。
それはフェミニストの高い倫理性のせいではないかと思う。「女性初の総裁、総理大臣が誕生した。女性であるならば、女性の問題だけではなく、できればすべての差別問題に取り組んでほしい」という、強い願いがあるからである。すべての差別問題に取り組み、改革を目指す左派の女性にこそ総理大臣になってほしいのだ。そして、右派が総理大臣になるのであったら、せめてそれは女性であってほしくはないと考えているのである。
しかし、おそらく日本の現状では、左派の女性総理大臣というのは、そうかんたんには実現しないだろう。個人的には、最初から左派の女性総理大臣誕生を望んでも無理だろうという気持ちがある。女性を取り巻く政治状況の困難さを考えれば、まずは女性首相が当たり前になってからでなければ達成は難しいだろう、と想像する。
またフェミニストには、女性が右派的な主張を繰り返すのであったら、自分たちがなんとかしなければという責任感があるのではないか。保守的で、男性優位の社会を容認するような女性の言動は、ある意味で、「わたしたち女性」の課題であり、責任である、と感じているようにみえる。
もちろん、はっきり言ってしまえば、「『総理大臣になるのは、女でありさえすれば誰でもいい』と思っているような、倫理感の低いフェミニストであると思われたくない」という気持ちもあるだろう。
私は前回の記事で、「研究者は、旧姓では論文が書けないという小泉進次郎さんの主張は誤りで、アカデミアでは通称使用は浸透しているから不都合はない」と書いた。それについて、選択的夫婦別姓は必要ないといったわけではないのに、フェミニストの研究者から「夫婦別姓を否定するなんて」という批判を受けた。誤読であるとしても、「フェミニストのくせに、夫婦別姓を否定するとはけしからん」と信じてのことだろう。
ただ、同じ女性、しかも研究者でありフェミニストである私を叩くことによって、「高市氏に賛同するところなどまったくない」という自分の“潔白さ”を証明しようとする政治があることも、事実だなと思われた。こうした潔白さの証明にやっきになるありかたは、「フェミニストは、高市早苗のすべてを許さない」以外の意見を許容しないという点で、学問の自由を脅かし、一般の社会との乖離をひろげていくことに帰結するだろう。しかし、「高市氏のやることはすべて許さない」と最初に決めつけるのであったら、高市政権の施策のひとつひとつを検討していくことすら、不可能になってしまう。
高市氏がトランプ大統領と会見した際も、ネットでは彼女の一挙一動に批判が相次いだ。既にその書き込みは削除されているが、ある女性アーティストは、「こうやって男に散々媚びてきたんだろうな」とポストしていた。俳優の東ちづるさんも「媚びと過剰適応でのし上がってきたと想像できる」と、高市氏の振る舞いと首相就任を関連付けている。共産党の元衆議院議員、池内さおりさんは、「女性差別を『もろともせず』のし上がった人物の悲しい姿。彼女個人の自己顕示欲の強さも痛々しい」と述べたうえで、「現地妻」という言葉を思い浮かべたと批判している。
もちろん、男性からも高市氏を批判する声はあがっており、「対米従属だ」と怒ったり、聞くに堪えない言葉を投げつけたりしたひともいた。しかし多くの女性もまた、彼女の振る舞いを「媚び」だと断じ、彼女が首相に「のし上がった」のは、そうした媚びへつらい故であると批判したのである。
そこには微妙なポリティクスがあると思うのは私だけだろうか。
高市内閣の支持率は、読売新聞社の調査で71%、朝日新聞が68%、共同通信が64.4%、JNNの調査では82.0%と、いずれも非常に高い。男性にしてみれば、これほどに支持されており、史上初の女性首相を歓迎する声が多数あがるなかでは、さすがに高市氏を批判するのは気が引ける。女性たちが「こんな女性が首相だなんて!」「このひとは、媚びて首相の座に就いただけのひとなんです」と叩いてくれるならばありがたいだろう。
その一方で、こうも思う。この男性社会で、まったく「媚び」ずにいられる女性などいるのだろうか。
それに、これまでの男性首相は、アメリカにそれほど毅然とした態度をとることができていたといえるのか。
高市氏に向けられている批判は、さまざまなかたちで私たちにも返ってくる。笑顔を見せないと「お堅い」「愛想が悪い」と言われる。愛想よくすると、「媚びることでのし上がってきたのだ」と決めつけられる。「高市さんがかわいそう」――。高市氏に対する、女性からの批判は、批判者の意図とは異なって、結果として高市人気を高めることに貢献してしまうのではないだろうか。
懸念されていた韓国の李在明大統領との会談もうまくいったようである。李大統領は「一政治家の時と国家のかじ取りを担う立場では考えや行動が異なるべきだ。私も野党代表だった時と大統領になってからでは判断が違う」と述べた。この言葉からは、大統領が、高市氏は状況によって柔軟に立場を使い分けることができる人物だと評価したと受け取れる。個人的には、おそらく国防に関わるところは厳しめに、外交にかんしては、重要課題以外は柔軟にやっていくように予想している。
いずれにせよ、政権は発足したばかりであり、高市氏は、評価を下すことができるほどのことは、まだ何も達成していない。
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(武蔵大学社会学部教授 千田 有紀)