自民党70年<中>
昼食を取りながらの会合は釈明から始まった。
「水を差すような発言はしていない。しっかり実現していく」。11日昼、国会近くのホテルのレストラン。自民党幹事長の鈴木俊一(72)は食事が運ばれる前に、日本維新の会幹事長の中司宏(69)ら同党幹部に自らの発言の意図を説明した。
前日の記者会見で鈴木は、維新肝いりの衆院議員定数削減を「臨時国会で決めきるのは難しい」などと述べ、維新側が猛反発していた。中司らは鈴木の言葉に静かに耳を傾けて矛を収め、会食は無事に始まった。
この日の会合は、定例化された両党の幹事長、国会対策委員長、政調会長による「2幹2国2政」の3回目だった。自民はこのほかにも、重要政策を最終決定する与党政策責任者会議(与責)を設けるなど、維新との連立メカニズムを急ごしらえで整えつつある。
ベースにしたのは、自民、公明両党による「2幹2国」など、前の連立政権の仕組みだ。
1999年、小渕恵三内閣で自由党を含む自自公連立から始まった自公連立は、「55年体制」にならって「99年体制」とも言われるほど長続きした。ともに地方や業界団体などの意見を吸い上げ、党内で了承を積み上げて正式決定に至るボトムアップ型の組織文化だ。2幹2国の場などで公明側が自民にブレーキをかけることも多く、連立の安定化につながった。
かたや維新は、代表で大阪府知事の吉村洋文(50)を中心としたトップダウン型だ。定数削減や副首都構想の実現など12分野の政策実現を求めて様々な場で自民に迫り、自民が対応に苦慮する場面も多い。
維新の発足時メンバーの一人は、公明が「踏まれても踏まれてもついていく下駄(げた)の雪」と揶揄(やゆ)されたことを念頭に、「俺たちは下駄の雪ちゃうから、見誤らないことや」とすごむ。自民にとって「アクセル役」の維新は、合意が実現できなかった瞬間に連立が解消するというリスクをはらんだ相手でもある。
自維間で選挙協力の仕組みがないことも、自民が連立維持に苦心する要因となっている。
自公時代は、例えば衆院選では、自民候補が小選挙区で公明の推薦を受け、その代わり比例選で公明への投票を呼びかけるというバーターがあった。
これに対して自維は、昨年の衆院選で全国289の小選挙区の半数に上る145選挙区で激突した。特に維新は、本拠地の大阪府では19の小選挙区で全勝しており、自民との選挙協力は必要ないとの立場だ。
自民の地方組織は困惑しており、10月末に党本部で開かれた全国幹事長会議では、大阪府連が党執行部に「もう私たちは要らないのか。要らないなら、はっきり言ってほしい!」と迫った。大阪を差し出して安易な選挙区調整に入らないようくぎを刺した形だ。
もろさを抱える維新との関係を懸念し、自民内では将来的な公明の連立復帰を見据える動きもある。
「昔の歌に『別れても好きな人』というのがあった。自民議員は胸に刻んでおいた方がいい。(公明に)受けた恩とか情けを忘れたらダメだ」。99年当時に官房副長官を務めた自民の鈴木宗男(77)はそう指摘する。自民内では、公明との関係は断つべきではないという意見が大勢だ。
自民の歩みの約3分の1は連立の歴史でもある。「数合わせ」の打算とともに安定政権を維持してきた自民は、いま新たな局面に立たされている。(敬称略)