「片思いの相手」の妻を殺し26年逃亡…「子育てしながらバリバリ働いている」とウソをついた容疑者(69)の心の闇

1999年11月13日に起きた、高羽奈美子さん(当時32歳)が刺殺された「名古屋主婦殺人事件」。その容疑者・安福久美子(現69)は、26年もの間、自分に捜査の手が伸びてこなかったことを訝しく思いながら、ひっそりと身を潜め、世間づきあいもほとんどせず、怯えて暮らしていたのであろう。
もし、2010年に刑事訴訟法が改正されなかったら、殺人事件の時効である15年をとうに過ぎ、天下晴れてお天道様の下を歩けたのにと、悔やんだこともあったかもしれない。
事件を起こす約5カ月前、安福容疑者が被害者の夫・高羽悟氏(現69)と高校テニス部の同窓会で会わなかったら、「昔のみじめな思い出」も次第に薄れ、結婚して子供も生まれ、平凡だがささやかな生活で満足していたはずだった。
だが、あの日の出会いが、安福の心の底で“熾火”のように燃え残っていた「恨みと未練」の情念の炎に、再び火を付けてしまったのであろう。
では、安福がそれまで抱えてきた「恨みと未練」とは何だったのだろうか?
「愛知県豊橋市内にある昔ながらの喫茶店で、ひと組の若い男女が向かい合って座っていた。高度経済成長も終わりを迎えた1975年のことだ。
男は私立大学の学生で、女は受験浪人中の身だった。
『やっぱり君の気持ちには応えられないよ』
男がそう告げると、女は突然号泣し始めた。店内の他の客から見れば、その様子はよくある男女の痴話喧嘩のようにも見えたかもしれない。だが、男は困惑しつつ内心こう思っていた。
『大学まで勝手に押しかけて来て、なんで泣かれなきゃいけないんだよ……』」(『週刊文春』11月13日号)
男は高羽悟氏、女性は高校時代の同級生で同じテニス部だった安福久美子である。
※編集部註:初出時に年代の表記に誤りがありました。当該箇所は修正しております。11月19日14時30分追記
『週刊新潮』(11月13日号)は安福のストーカーまがい行為を詳しく報じている。
「高校卒業後、悟さんは愛知県豊橋市内の大学に進学するが、思わぬ形で安福容疑者と再会することになる。
『私は大学に入ってもテニスを続けていたのですが、ある日、大学のテニスコートに彼女が現われ、何時間も私を待っていたことがありました。(中略)“こういうことをされると困るんだ”と言うと、彼女が突然泣き出して困り果てました』(悟さん)
安福容疑者も県内の別の大学に通い、テニス部に入っていたというが、
『待ち伏せをされた日以外にも、テニスの大会で、彼女が友達を連れて私を応援していたことがありました。まさか犯人だなんて思わなかったので、好意を寄せられていたことを警察には話していませんでした』(悟さん)
社会人になってから接点は途絶えたが、事件の5カ月前、高校ソフトテニス部の同窓会が開かれた。
『高校近くの店でランチを取った後、皆で懐かしのテニスコートまで歩きました。その途中、彼女が私のそばにやって来て、“私、いまは結婚して、仕事もバリバリやって、家事もしてるから大変なの”と話しかけてきたのです。学生時代の暗い印象とは打って変わり、とても明るい様子だったので、驚くと同時に安心したのを覚えています』(同)」
しかし、安福の日常はとても“バリバリ仕事をしている”とは見えなかったようである。
「安福容疑者が犯行時に住んでいたマンションは、西区のアパートから直線距離にして約10キロ。同マンション住人が言うには、『控え目な印象の女性でした。周囲とは、エレベーターで会えばあいさつを交わす程度の交流しか持っていなかったと思います。覚えているのは、同年代の旦那と子供2人の4人家族だったということです』
一家がこのマンションから約450メートルの距離にある一軒家へと移り住んだのは約10年前。近隣住民は、『ここは旦那さんの実家です。引っ越し時にあいさつに来た旦那さんが“町内会の会費などについてはすべて自分を通してください”と言って、以降、会の組長仕事なども主に一人でこなしていました。ニュースを見て、奥さんがまるで人目を避けるように暮らしていた理由が分かったような気がしました』」(=『週刊新潮』)
最初は彼に対する純粋な愛情だった。しかし、相手からの拒絶により、“可愛さ余って憎さが百倍”というアンビバレントな感情を抱いて悶々としていたが、この久々の邂逅の後、安福は「心の奥にしまい込んでいた情動が一気に噴き出したのではないか」(精神科医の片田珠美氏=『週刊新潮』)
高羽悟氏は、「なぜ、彼女が自分の住所を知っていたのかわからない」といっているようだが、情動に突き動かされていた安福容疑者が元同級生の住所を探り出すのはたやすいことだったに違いない。
私は、もちろん、この事件の捜査の全容を知る立場にはないが、当時の新聞を読み返しながら、安福容疑者のターゲットはあくまでも高羽悟氏で、夫人の奈美子さん(当時32歳)ではなかったと推測している。それは事件が起きた曜日にあった。
事件が起きた日の翌日の中日新聞(1999年11月14日付)はこう報じていた。
「捜査本部は、奈美子さんが扉を開けるなりいきなり犯人に鋭利な刃物で首を刺されたとみている。同じ部屋のイスには2歳1カ月になる長男が座っていたが、けがはなかった」
残された血痕からB型の女。現場から約500メートルにわたって血痕が残され、目撃証言などから40代~50代と絞り込んだ。
安福は、奈美子さんともみ合ううちに手をケガしたようで、現場から血を流して相当な距離を歩いていたため、目撃者も多くいたのであろう。当時の犯人の似顔絵は安福の特徴をよく捉えているように思う。
ここまで犯人像がわかっているのに、なぜ、26年もの気が遠くなるような時間がかかったのだろう。
その理由を一言でいえば、愛知県警と西署は、犯人は妻の奈美子さんの交友関係にあると絞り込み過ぎて、高羽悟氏の交友関係にほとんど目を向けようとしなったからだ。
『サンデー毎日』(11月23日号)で悟氏は、こう話している。
事件当初から、警察は高校のテニス部の名簿を押収していたが、悟氏は、「26年間(警察から=筆者注)聞かれたこともないから、彼女はシロだとしか思っていなかった」
テニス部の名簿には当然だが、安福の顔写真も載っていたはずである。だが、信じがたいことに警察はその名簿を25年もの間、手つかずに放置してきたようなのだ。
だが、事件があったこの年の11月13日は「土曜日」であった。
当時も多くのサラリーマンは週休2日で、土曜日は家にいる確率が高かったはずである。偶然、その日、高羽悟氏は出社していて不在だったが、そこまで安福容疑者が下調べしていたとは思えない。
もし、犯人が妻の奈美子さんを狙っていたのなら、夫が不在の確率の高い平日の昼間を選ぶのではないだろうか。
しかし、県警も西署も、事件は妻の奈美子さんを狙った犯行だと先入観を持ちすぎたため、悟氏側の「過去」を調べることをおざなりにしてしまったようである。
捜査員を延べ10万人以上、事情聴取したのは5000人以上に上るといわれるが、初動捜査で決定的なミスを犯していたのだから、カネと時間ばかりが“浪費”されたといわれても致し方なかろう。
やはり、警察の捜査に不信感のようなものを抱いていた悟氏は、自らが事件解決に向けて動き続けた。
事件が起きた家からは移り住んだが、転居後も惨劇の舞台となった部屋をそのまま保存し続けた。家賃は2200万円を超えたという。
「『(犯人に=筆者注)絶対に枕を高くしては寝させないぞ』という思いで毎年、命日や警察の300万円の懸賞金の更新の2月6日にはチラシ配りやマスコミ出演でプレッシャーをかけ続けた」(=『サンデー毎日』)
同じ中で悟氏は、こう警察不信を覗かせている。
「警察がビラを作ったのは事件から10年後。普通は3~4年目には作りませんかと言ってくるそうです。(中略)『もっとやってよ』って言うべきでしたね。
想像もしてなかったけど安福久美子のことも言っておけばよかった。警察は同級生やテニス部からもかなり聴取したようです。
警察は私に『大学に来ていたことなどをマスコミに話さないでください』とか言いながら、安福容疑者の供述内容などを私は報道で知り、警察は教えてくれないので苦情を言いましたよ。まあ、事件当時も血痕がB型だなんて全部報道で知りましたからね」
オブラートに包んだ表現ではあるが、警察の捜査のやり方や秘密主義に、相当な怒りを持っているように、私には思える。
悟氏の警察以上とも思える事件解明への貢献は、それまで時効が15年だった刑事訴訟法を改正させる運動「宙(そら)の会(犯罪被害者団体)」を続けてきたことである。
「宙の会」は2009年2月に設立された。「被害者は宙のかなたに逝ってしまったが、宙を通じてつながっている」という願いを込めてつけた。設立メンバーには16の殺人事件の遺族が名を連ね、悟氏も熱心に国に働きかけてきた。
ついに、その努力が実ったのである。
「2010年4月27日。殺人事件などの公訴時効を廃止する刑事訴訟法の改正案が可決され、約130年続いた制度が変わった。これにより、1995年4月28日以降に起きた未解決事件は、現在も捜査が続いている」(朝日新聞デジタル2025年7月14日)
もし、そのまま時効制度が続いていれば、10年前にこの事件は未解決事件として処理され、被害者家族と加害者以外には忘れられていたかもしれないのだ。
被害者の夫の「犯人を捕まえずにはおかない」という不屈の執念に比べて、警察側のお粗末な捜査が細々と続いてきたようだが、転機は、昨年、担当の刑事が代わったことだったという。
「実は、事件が解決に向けて一気に動いた要因の一つには、昨年四月、担当刑事が代わったことがあった。
再び悟さんが語る。『坊主頭で少し強面の、新しい刑事さんがやって来て、「私がいる間に絶対に犯人を捕まえます」と宣言したんです』」(=『週刊文春』)
「そして遂に今年の夏頃、安福に行きついたのだ。
『テニス部の名簿を刑事さんから見せられたのもちょうどその頃でした』(同前=悟さん、筆者註)
県警は安福の事情聴取を繰り返し、DNAの提出を求めた。「当初は拒否していたが、10月30日に提出に応じ、数時間後に西署に出頭。現場のDNA型と一致したため、逮捕に至った」(=『週刊文春』)
捜査員が代わらなければ、まだ細々と捜査は続けられていたのだろう。
最大の疑問は、どの新聞、週刊誌報道を読んでも、事件の起きた当初から、被害者の夫である悟氏から警察は、「あなたが狙われた可能性もあるから、これまでの人生で、女性とトラブったことはありませんでしたか? どんな些細な事でも構いません。思い出してください」と聞いていないのはなぜなのか?
もし聞いていれば、悟氏は、高校の同級生で同じテニス部だった安福久美子との間で起こった「過去」を話していたはずである。
それは『サンデー毎日』の悟氏のこの言葉からも窺い知れる。
悟氏は、2024年4月に代わった担当刑事から、今年10月31日に西署へ呼ばれ、「今夜犯人を逮捕します」と告げられたという。
「誰ですか?」と聞くと、「悟さんの関係者です」といわれ、即座に「高校の同級生。軟式テニス部」とピンと来たそうだ。
普通、こうした長期にわたる捜査で、ようやく犯人を突き止めた時などは、「警察、執念の捜査実る!」のような大見出しが躍るものだが、私が知る限り、警察のお手柄だと報じたところはないようだ。
警察といえど人間の集団である。間違いも犯せば判断ミスもある。しかし、この事件は、土曜日の昼に起こったのである。夫の悟氏も在宅していた可能性が高かったはずである。妻に危害を加えようとしたのかもしれないが、夫のほうも被害者になったかもしれないのだ。
捜査員たちに尋ねてみたい。なぜ、妻の関係者ばかりに重点を置いて捜査したのかと。
朝日新聞デジタル(11月13日 5時00分)にこんな記事が出ていた。
「愛知県警の元捜査員は捜査が難航した背景をこう指摘する。『当初の捜査は、被害者の周辺に重点が置かれ、高羽悟さんの周辺の捜査は十分ではなかった。灯台下暗しだった』」
コールドケース(未解決事件)はまだまだ多くある。この事件で、昨年4月に新しく配属された「特命捜査係」の警部捜査員のように、今一度事件を全く違う角度から見つめなおし、一つでも二つでも解決していくことが、捜査する側には求められているはずだ。
安福容疑者は、10月30日に逮捕されたが、その前の8月頃から数回にわたって愛知県警に事情聴取されていたという。
「その際、DNAの任意提出を求めたものの拒否された。しかし逮捕前日、安福は一転してDNA提出に応じ、その日の夜に捜査本部のある県警西署に自ら出頭しました。逮捕後の取り調べで“8月に警察が来て捕まってしまうことを覚悟した。家族に迷惑をかけられず、毎日不安だった。奈美子さんに申し訳ないと思っている”などと供述しています」(全国紙デスク=『週刊新潮』)
逮捕後、安福は容疑を認め、取り調べにも応じていたが、新聞報道によると、その後黙秘に転じているという。
悟氏はこういっている。
「犯人が分からないときは、『透明人間』みたいに思っていましたけど、いざそれが分かってみると……。犯行現場を思い出すと、『あの子が、ああいうことができるのかな』と思ってしまって、なかなか繋がらないんですよね』
そして、こう続けた。
『凶行に走る理由が僕ら夫婦にありましたか。奈美子を殺すほど僕があなたにひどいことをしましたか。彼女にはこう聞きたいです』」(=『週刊文春』)
26年前に起きた事件について、安福容疑者の刑事責任能力の有無や程度などを判断するために「鑑定留置」が始まったようだ。
事件当時の精神状態を専門の医師が調べ、地検が刑事責任能力の有無を判断するためだ。安福容疑者の心の闇の解明は始まったばかりである。
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(ジャーナリスト 元木 昌彦)