「台湾有事」で高市首相は本当に決断できるのか…自衛隊が万全でも政治のせいで中国に完敗する最悪なシナリオ

※本稿は、小川清史『合憲自衛隊』(ワニブックス)の一部を再編集したものです。
1970年代後半にいわゆる有事法制の研究が行われ始めた頃、反対派の方々から「また、日本が戦争をするように仕組みをつくるのか」「国民を巻き込む有事法制には反対する」といった論調の批判があったと記憶しています。
しかし、研究を経て実際に制定された有事法制は、そのような論調とは全く異なるものでした。有事の際における自衛隊の行動が平時の国内法違反とならないように、適用除外や特例を設けるものとして自衛隊法に規定されたのです。
一方で、有事下における国民の保護については、法的強制力や義務のない「国民保護法」が制定され、実際の有事において国民が武力攻撃発生前に無事に避難できるのかが問題となる状況も生じてしまいました。
国民保護に関する議論はそれだけで一冊の本になるくらい重大な問題なのですが、本稿のメインテーマではないので、ここでは自衛隊法に規定されている有事法制について、問題点や解決策を論じたいと思います。
有事法制の問題については、栗栖弘臣統合幕僚会議議長(以下、統幕議長)の発言に触れないわけにはいきません。
1978(昭和53)年7月、栗栖統幕議長が『週刊ポスト』のインタビューに対して「現行自衛隊法には不備があり、奇襲侵略を受けた場合、首相の防衛出動命令ができるまで自衛隊は動けない」「そのため、第一線部隊指揮官は超法規的行動に出ることがありうる」という主旨の発言をした記事が掲載されました。
この「超法規」発言はシビリアン・コントロールの原則に反するとして政治問題化し、栗栖氏は事実上解任されてしまいましたが、その2年前のMIG-25事件などを契機としてすでに有事法制研究は本格化していました。
有事に自衛隊が行動するための法制上の問題点については、前年の1977(昭和52)年8月から防衛庁による正式な有事法制研究が行われていました。しかし、当時の研究は、立法化しないことを前提とした、内部的な検討にとどまっていました。栗栖統幕議長の発言はこれに対して「立法化すべきだ」とする問題提起でもあったのでしょう。
ところで、1972(昭和47)年10月14日に参議院決算委員会に提出された政府見解「集団的自衛権と憲法との関係」では、日本国憲法第9条のもとで許容される自衛のための武力行使について、以下のような3つの要件が示されました。
①急迫不正の侵害があること
武力行使は、外国からの武力攻撃によって国民の生命・自由・幸福追求の権利が根底から覆されるような「急迫不正の事態」に対処するために限って容認される。
②武力行使以外に排除する手段がないこと
武力行使は、国民の権利を守るための「やむを得ない措置」でなければならず、無制限には認められない。
③必要最小限度の実力を行使すること
武力行使は、侵害を排除するために必要最小限度の範囲に限られる。これを超える武力行使は憲法上許されない。
この見解は、憲法前文や第13条に示された「平和的生存権」や「幸福追求権」を根拠に、国家としての自衛権は否定されないとしつつも、憲法の平和主義の原則に基づき、武力行使には厳格な制限を設けるという立場をとっています。
また、この見解では、他国に加えられた武力攻撃を阻止するための集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと明確に否定されました。
栗栖統幕議長の「超法規」発言の前提にあったのが①の「急迫不正の侵害への対処」です。
当時は冷戦期であり、米ソ対立を背景に、ソ連軍が日本に奇襲的に侵攻する可能性が懸念されていました。そうした奇襲侵攻に対して、国民が被害を受ける前に自衛隊が出動して侵攻を阻止し得るのかが議論の焦点になっていたのです。
当時の体制では、「急迫不正の侵害」が我が国に対して行われた場合、内閣総理大臣が三要件に照らして侵害行為であると認定し、防衛出動命令を作成。内閣総理大臣→防衛大臣→各陸海空幕僚長(当時)→各部隊長へと命令が下達され、部隊が出動して防衛配備につき、侵害対処をすることとなっていました。
ただし、実際には「急迫不正の侵害」が発生してから防衛出動命令が下達されるまでに時間を要する可能性があります。もちろん、その間に日本の領土や国民が被害を受けるリスクもあります。
そのように国民の生命や領土が危機にさらされる事態において、法的手続きが間に合わない場合には、現場の指揮官が「止むに止まれず」超法規的行動を選択せざるを得ないのではないか。
むしろ「急迫不正の侵害」が発生する前に自衛隊が出動できる制度的整備が必要ではないか──栗栖統幕議長はそうした現実的・実務的な問題を提起したというわけです。
栗栖統幕議長が指摘した「いわゆる奇襲対処の問題」に対して、1978(昭和53)年9月21日防衛庁の回答が有事法制研究の中間報告の中で示されました。
つまり、内閣総理大臣は、武力攻撃のおそれのある緊急時には、国会の承認を受けなくても防衛出動を命ずることができるので、奇襲攻撃には対応できるとのことです。
その後、武力行使の三要件に関しては、2015(平成27)年に「武力攻撃事態対処法」が改正され、新たに「存立危機事態」などの概念が導入されたことで、より柔軟な対応が可能となり、従来の「急迫不正の侵害」要件は削除されました。
「存立危機事態」については、武力攻撃事態対処法第2条第4号で次のように定義されています。
我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態をいう。
これにより、従来は認められていなかった集団的自衛権の限定的な行使が可能となりました。つまり、日本が直接攻撃されていなくても、同盟国への攻撃が日本の存立に重大な影響を及ぼすと判断された場合、自衛隊による武力行使ができるようになったのです。そのため、武力行使の三要件も、前章で見た通り、次のように変わりました。
①我が国に対する武力攻撃、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、我が国の存立や国民の生命に明白な危険がある場合(筆者要約)
②武力行使以外に排除する手段がないこと
③必要最小限度の実力を行使すること
では、これで栗栖統幕議長が問題提起した「急迫不正の侵害」への対応の問題は解決されたのでしょうか。
確かに、一見すると解決したかのように思えます。
ところが、台湾有事(南西諸島有事含む)のウォーゲーム(軍事・安全保障分野で行われるシナリオ型の机上演習)を様々な研究所が行ったところ、首相・防衛大臣役による事態認定、そして防衛出動命令または防衛出動待機命令の迅速な発出が困難である、もしくは遅れることが問題として指摘されています。
つまり「急迫不正の侵害」の事態ではなくとも、政軍関係(政治と軍事の関係性。文民が軍を統制し、軍は政治の意思に従って行動する仕組み)における政治から軍への橋渡しをする前の段階、すなわち政治サイドが自衛隊による我が国防衛(戦争)開始を決定するという重要な段階において、そもそも大きな問題が存在しているとの指摘があるのです。
現在の日本の防衛制度では、自衛隊が武力行使をするには、内閣総理大臣による事態認定と、防衛出動命令または待機命令が必要です。これらは政治判断に基づくものであり、軍事的な状況が緊迫していても、政治サイドが迅速に判断・命令を下さなければ自衛隊は動けません。
しかし、現状は政治サイドが「状況を把握する→事態の深刻さを評価する→軍事的対応の必要性を判断する→命令を出すかどうかを決断する」という一連の流れの中で、判断・決断の遅れや躊躇、制度的な不備、情報共有の不足などが問題視されているというわけです。
台湾有事のような複雑で迅速な対応が求められる事態では、政治判断の遅れが日本の安全保障上の致命的なリスクになり得ることは言うまでもありません。
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(元自衛隊陸将 小川 清史)