「子産ませない」言われた過去も 第三の人生歩む元女性海上自衛官

竹本三保さん(69)は、女性海上自衛官のさきがけとして32年間、公立高校の民間人校長を5年間務めた経験などを基に、「女性の活躍と自己実現」「リーダーシップとマネジメント能力」をテーマに、古里京都をはじめ、近畿各地で研修の講師を務める。米大リーグ・ドジャースの大谷翔平選手が高校時代に実践したことで知られる、目標を自ら列挙するメソッドで、男女がそれぞれの人生の「夢」をかなえる手助けをする。
艦艇勤務、女性は認められず
京都府城陽市生まれ。元海軍航空通信兵で戦後は大手広告代理店に勤めていた父親から、「これからは女性の時代だ」「国際的視点と海の守りの大切さを絶対に忘れてはならない」と教えられ、海上自衛官を志した。京都聖母学院高から入隊を志望したが、当時は防衛大学校生はおろか一般隊員にすら、女性採用枠はなかった。国立奈良女子大進学後、海自が女性自衛官採用を始めたことを知り、改めて大学卒で幹部候補生学校に入校し希望の職に就いた。
しかし現在と違い、海自の“花形”職種である艦艇勤務は女性に認められていない時代。初級幹部が日本一周や世界一周の航海をすることで知られる練習艦隊にも乗艦は許されず、自分を含めた女性同期を残し、艦隊は出航して行った。「今では考えられないが、体力的に耐えられないとみなされ、『女は艦(ふね)に乗せない』という方針。ならば自分の能力を最大限に認めてもらえるよう努力するしかなかった」
その覚悟を決めて通信分野に進んだ。米軍での研修、米国国家安全保障局(NSA)暗号学校への留学も経験しながら通信のエキスパートを目指した。舞鶴システム通信隊(舞鶴市)、さらには中央システム通信隊(東京都)などで女性初の司令に就任した。海自勤務中に結婚・出産も経験。心ない上司からは「しっかり働いてもらう。子どもは産ませない」「(家庭や子どもがあるなら)辞めろよ」とも言われたが、「夫や娘の方がむしろ応援し、家事負担も別居生活も受け入れてくれた」。
定年退官後、民間人校長に
キャリアが評価され、定年退官後に大阪府教委が公募の民間人校長として採用。2012年から5年間、府立狭山高(大阪狭山市)校長を務めた。「教育が国の安全保障と並ぶ欠かせない柱の一つだと信じている。次の世代が日本の将来をどう担うか、進路を決める際の支援をしたかった」。教師を公平に評価するシステムの構築、指導者としての教師のリーダーシップ育成、授業でのICT(情報通信技術)活用など、海自指揮官の経験を生かし学校経営にあたった。一方で、文化祭などイベントでは生徒に交じり仮装やダンスに参加し人気者に。「生徒をリードするのは現場の教師で、それを統括するのが校長。干渉はしないが現場には極力いようと心がけた」
現在は第三の人生としてフリーの社会教育家の道を進む。女性のキャリアアップ、社会人のリーダーシップ養成、子どもたちの夢の実現に役立とうと、教育専門家・原田隆史さんが提唱した指導法「原田メソッド」の普及に取り組んでいる。大谷選手のように、自身に必要な課題を「目標設定シート」に十数個以上書き込み、次にその目標に到達した自分をイメージすることで解決策を導く。「やるべきことを可視化することで主体的に目標に向かう。自衛隊や学校で自分が取り組んだ指導にも通じると感銘を受けた」
昨年からは、奈良県上牧町の自宅隣に、大人と子どもを対象とした「寺子屋塾GRIT」を開設。幅広い世代を対象に直接指導している。「指揮官、校長として過ごした中で『誰かのために頑張ることが自分自身の目標達成につながる』と実感した。女性のキャリア形成、リーダー論、若い世代の進路のいずれにもいえる。これを多くの方に伝えていきたい」【鈴木健太郎】
竹本三保(たけもと・みほ)さん
1956年、城陽市生まれ。79年に海自入隊。舞鶴、呉、中央各システム通信隊司令を歴任し、1佐で退官。大阪府立狭山高校長、奈良県教委参与を経て、現在「竹本教育研究所」(同県上牧町)代表。