空や海から敵の艦船に体当たりする「特攻」。この捨て身の作戦に真っ向から異を唱え、戦い抜いた部隊が曽於市にいました。戦後80年。全国から遺族や関係者が集まり、慰霊祭が行われました。
11月10日、静岡から鹿児島へやってきた中野桂子さん。終戦の年に生まれた80歳です。
(中野桂子さん)
「1年ぶりですね。皆さんとお会いできるのが、楽しみ」
中野さんの父は、太平洋戦争末期、曽於市大隅町の岩川を拠点とした芙蓉部隊の指揮官、美濃部正少佐。アメリカ軍の猛攻に追い込まれた旧日本軍がとった「全機特攻」の方針に 真っ向から異を唱えた人物です。
「同じ死ぬなら確算ある手段を」と、上層部に決死の覚悟で訴え、部隊は終戦まで夜間攻撃を貫き、戦果を上げました。
それから80年、長女の桂子さんが訪ねたのは、当時を知る町の写真館です。
(澤俊文さん)
「わざわざお越しくださいまして、ありがとうございます」
澤俊文さんは、写真を撮りに来た隊員に遊んでもらっていたと言います。澤さんを訪ねてきた人は、他にも――。
隊員の孫世代の遺族です。
(梶原隆司さん・山口あゆみさん)
「昨日、福岡から」
「私は長崎から」
「私は大叔父と会ったことがなくて、写真とか見せてもらって教えてもらっている。生きている間、本人が全然話さなかったので」
「私も、生まれて1か月後に(隊員だった)おじいちゃんが亡くなったので、記憶が全く無いのです」
(澤俊文さん)
「僕は、5歳やったからね。兵隊の人たちは、うちに来てうちで写真を写して、うちから郷里に送っていた」
慰霊祭を翌日に控えた夜――。地元で芙蓉部隊の歴史を語り継ごうと活動する、岩川芙蓉会が、交流会を企画しました。全国から遺族や関係者が集い、芙蓉部隊を題材にした落語をつくった桂竹丸さんと、多くの関係者への取材をもとに本を出版した境克彦さんが語り合う場面もありました。
夫婦で参加した中濱さんは、19歳で戦死した隊員の姪です。戦後80年という節目の慰霊祭に、どうしても参加したいと愛知から駆け付けました。
(中濱正江さん)
「特攻って聞いていたけど、芙蓉部隊って聞いたことなかった。だから家族も誰も知らなくて」
叔父は特攻隊ではなく芙蓉部隊だったと知り、中濱さんが感じたのは安堵でした。
(中濱正江さん)
「『帰ってきていい』と言われて出ていくのと、『帰って来ちゃだめ』と言われて出ていくのって、すごく違うと思う。だから私は、ここに籍を置けたこと、美濃部さんの部下であったことが、叔父は幸せだったなってすごく感じています」
過酷で危険な夜間の出撃。美濃部さんは、隊員たちに「帰ってこい」と声をかけ、滑走路で何時間も待ち続けたといいます。
戦後――。美濃部さんは、家族や周りの人に当時のことをほとんど語りませんでした。しかし、亡くなる少し前、桂子さんに「岩川へ参ってほしい」と願いを託していました。
(中野桂子さん)
「亡くなった方もいっぱいいらっしゃるし、ご遺族に申し訳ないという気持ちはたくさんあったと思う。来られてよかったなと」
翌日――。雨のため屋内で行われた慰霊祭には、隊員の遺族や地元の中学生、岩川芙蓉会のメンバーなど、約80人が参列しました。遺族を代表して追悼の言葉を述べたのは、18歳で亡くなった隊員・松木千年さんの甥です。
語ったのは、出征前日の出来事――。
(渡辺広晴さん)
「父親である私の祖父が、おじさんの髪が伸びてもいない丸坊主の頭を、バリカンで刈ったそうですね」
最後の別れを覚悟し、遺髪を残そうと兄の坊主頭を刈る父親の姿を、まだ幼かった渡辺さんの母は不思議そうに見ていたそうです。
(渡辺広晴さん)
「伯父の頭を刈るときに母が…そんなに伸びていない髪なのになぜ刈るのか分かっていなかったので、おばあちゃんに袖を引っ張られて『いらんこと言うな、今は大事な時間なんだ』と。そういうことがあったと聞かされた」
渡辺さんは7年前、車いすの母を岩川に連れて来ました。母は、戦死者を祀る芙蓉之塔に抱きついて、幼くして生き別れた兄を偲んだそうです。その母も、兄の元へ旅立ちました――。
(渡辺広晴さん)
「そう簡単に『昔のことだね』と忘れ去ることは到底無理。私の子どもにももちろん伝えるし、生きている間の責任は全うしたい」
岩川芙蓉会のメンバー、前田孝子さんは、渡辺さん親子との出会いを機に、ある決意をしました。隊員の遺影や遺品を、この岩川の地に集めることです。
(前田孝子さん)
「生きた証が戦没者の方には無いなということに気づかされた。私たちに何ができるのかな、やっぱり生きた証を残さないと(いけない)と強く思った」
数年前までは、慰霊祭に足を運ぶ元隊員もいましたが、今やそれも難しくなりました。
(中野桂子さん)
「80年は短いようで長い。生きていらっしゃる戦争を味わった方がいなくなり、子どもや孫世代になって、その人たちが平和のことを考えながら、これから二度と同じような戦争が起こらないでほしいと切実に思う」
『一億総特攻』という時代の流れにあらがい信念を貫いた人たちが、この岩川の地にいたこと――。戦後80年・・・。これからもずっと「戦後」であり続けるために忘れてはならない記憶です。
(KYT news.everyかごしま 2025年11月20日放送)