《参政党の急伸は“反エリート・反グローバル”のスローガンか》現役世代の不安を取りこぼす既存政党の問題点とは

2025年参院選は右派ポピュリズム勢力の伸長を印象付けた。
参政党は米トランプ大統領のような「日本人ファースト」を掲げ、一躍14議席を獲得した。しかも自民、立憲がともに支持者の中心が60代以上になるのに対して、参政党の支持層は50代以下にある。
維新やみんなの党と参政党の決定的な違い
2010年代にも現役世代の支持を獲得して、自民、旧民主の間に割って入るような「第三極」はいた。大阪から全国展開を目指した橋下徹が率いた維新、あるいは改革派として注目を集めた「みんなの党」が代表格だろう。決定的な違いは参政党にはマスメディアを賑わすスター、そして看板政策が不在であることだ。
維新にはタレント弁護士、大阪市長、府知事として名を売った橋下徹、みんなの党には大臣経験もある渡辺喜美という大看板がいた。いずれも行政経験を積み重ねており、結成した新党には行政改革が掲げられた。彼らは旧来的な左右のイデオロギーを強調するより、経験による実務的な解決能力をアピールしていた。
参政党は彼らとはまったく違う道のりを歩んでいる。地道にその数を増やしていった党員が活動の軸になっており、代表の神谷宗幣にしても、目立つ経歴は地方議員を経て自民党候補として衆院選に挑んだ(結果は落選)ことくらいだ。参院選直前までテレビ討論会への出演を熱望していたくらい露出は少なく、インターネット上のアピールに限られていた。
肝心なのは参政党の政策が荒唐無稽でしかないことだ。エリートが推し進めたグローバル化によって起きた諸問題へのカウンターとして「日本人ファースト」を叫び、「日本人=普通の人々」のために消費税の段階的廃止、既成政党批判を繰り返した。外国人をターゲットにした主張、歴史認識はいかにも右派的イデオロギーを前面に押し出す。だが、威勢はいいが、大胆すぎる減税と社会保険料の減免をしながら、どうやって子育て世帯に月10万円を給付するのか? 支持者以外も納得するような答えは存在しない。
注目された「日本人ファースト」にしても、参院選後に神谷は「移民上限は人口の10%まで」と発言している(後に5%以下に訂正)。2024年末の在留外国人が約3%であることを鑑みると、まだ受け入れ幅があるということになる。
実務経験も乏しく、政策も具体性がないとなれば政党として伸びる条件を欠いているようにも思える。だが、彼らは第三極としての立ち位置を得た。
グローバリズムを明確な「敵」と設定
それはポピュリズムが説得力を持つ地盤が日本においても整ったことを意味している、というのが彼らを取材してきた私の仮説だ。ポピュリズムとは、単に大衆に心地よい政策を訴える「大衆迎合主義」ではない。オランダの政治学者カス・ミュデの定義を提示しておこう。
《社会が究極的に『汚れなき人民』対『腐敗したエリート』という敵対する二つの同質的な陣営に分かれると考え、政治とは人民の一般意志の表現であるべきだと論じる、中心の薄弱なイデオロギー》(『ポピュリズム デモクラシーの友と敵』白水社、2018年)
ポイントはエリート層が推し進める政策、たとえばグローバリズムを明確な「敵」と設定して、「中心の薄弱」な主張と結びつくところにある。ポピュリズム政党に体系的かつ理論的な主張はない。よく言えば柔軟ではあるが、悪く言えば節操のない主張で体制を揺さぶる。
これは右派だけでなく左派――日本なられいわ新選組――とも結びつく。参政党とれいわには外国人を含む人権問題では大きな差があるが、エリートが重要な地位を占める既成政党や体制への不信を訴えること、大胆な財政出動といった共通点も多くある。反グローバリズムを唱えるポピュリズム政党は右派、左派ともに国境を超えて、むしろグローバルに広がっている。神谷はドイツ最大野党で極右と位置付けられる「ドイツのための選択肢(AfD)」の共同代表と会談し、さらに凶弾に倒れたアメリカの若き保守活動家チャーリー・カークを招いたイベントを開催するなどネットワーク作りにも熱心に取り組む。
体系的な主張は存在しない?
既存政党が既得権を持つエリートと位置付けることができれば、あとはその場でウケる言葉が高い効果を発揮していく。なぜなら、彼らの唱える言葉はあくまで「反エリート」のスローガン以上の意味を持たないからだ。有権者への説明や理詰めの説得などは一切気にせずに「日本人への気持ち」を込めて訴えることだけに集中すればいい。
大手メディアがこぞって参政党は排外主義的だと批判したが、言葉は空を切った。体系の無さや主張の矛盾はポピュリズム政党のダメージにはならないからだ。主張に理詰めで論争を仕掛けても、神谷は「問題提起のつもりだった」とあっさり言えてしまう。政治的な立場が異なる私のインタビューでも好戦的な論破ではなく、意見の違いを素直に認める柔軟さは印象に残った。取材でもよく聞いたのは、支持層の「日本の政治家が日本人を第一に考え、大切にするのは当たり前」といった声だ。それに応えているという姿勢のほうが批判よりもずっと真摯に響いてしまっているのが現実である。
日本に限った話ではないが、最大の課題は既存政党が単なる古いものに成り下がってしまい、議席減少を重ねている点にある。ポピュリズム研究の到達点は、彼らに「正しい解」を示す力はないが、「正しい問い」は発していると認めることだ。解は既存政党が示さなければ、政治システムそのものが揺らぐ。左右のポピュリズムが「普通の人々」を取り込んで台頭した参院選の結果は、現役世代の漠然とした不安に自民党をはじめとする既存政党が答えを出せていないという問題を浮き彫りにした。ポピュリズム政党に支持者を奪われたくなければ、自らが変わり、説得的な解を示すことに尽きる。この波はまだまだ続く。
◆このコラムは、政治、経済からスポーツや芸能まで、世の中の事象を幅広く網羅した『 文藝春秋オピニオン 2026年の論点100 』に掲載されています。
(石戸 諭/ノンフィクション出版)