今年を振り返ると、選挙の現場や報道で何度も耳にした言葉がある。「外国人問題」だ。だが本当にそうした“問題”は存在するのだろうか。そんなミステリーを、今年は何度も感じた。喫緊の課題のように語られているが、事実はどうなのか。
対照的な論調だった産経新聞と東京新聞
たとえば都内のマンション価格高騰の背景には外国人による投機的な取引が一因にある!との主張を選挙期間中によく聞いた。すると先月末、次の記事が産経新聞と東京新聞の一面を飾った(11月26日)。
産経は「都心6区マンション取得者 7.5%が海外に住所」。東京は「都内新築マンション 海外から購入3%」。いずれも国交省の発表を基にした記事だった。一見すると、どちらも「外国人問題」を扱っているように見える。実際、産経はそんな論調だった。
しかし東京新聞を読むと「マンション価格高騰の背景には、外国人による投機的な取引が一因にあるとの指摘もあったが、外国人取得の影響は限定的な可能性がある」。産経と対照的な論調だった。
両紙が揃って取り上げていたのが国交大臣のコメントだ。大臣は「日本人か外国人かを問わず、実需に基づかない投機的取引は好ましくない」。
つまり問題があるとしたら投機的な短期売買をする人であり、日本人か外国人かは関係ないわけだ。ところがいつしか「外国人問題」として語られるようになった。単純化するとウケるからだろう。煽るほうが、考えるよりずっと楽なのだ。
その一方で目先を変えてみよう。「外国人問題」は地方の報道を読むと切実だったからだ。夏に衝撃的なニュースがあった。全国知事会が7月に青森で開かれ、国に多文化共生施策の司令塔となる組織の設置などを求める提言をまとめた。提言は在留外国人が過去最多となっていることに触れ、日本語教育や生活支援などの課題解決は「受け入れ自治体任せ」と指摘。
静岡県の鈴木康友知事は「国は外国人を労働者としか見ていないが、地方自治体は生活者として受け入れている。そのことを認識すべきだ」と話した。ところがである。取りまとめ役となった静岡県には「外国人が増えれば犯罪が増加する」などの批判的な意見が殺到したのだ。曲解した人々が自治体にクレームを入れたのだという。議論が成立しない状況に、言葉を失った。
だが全国知事会は毅然としていた。11月も「多文化共生の推進」を訴えた。「事実やデータに基づかない情報による排他主義・排外主義を強く否定します」と宣言。「感覚的に論じることなく、現実的な根拠と具体的な対策に基づく冷静な議論」を進めるとした。
悪意に負けない姿勢を、はっきりと示した。地方にとっては外国人との共生は切実なのだ。
信濃毎日新聞の社説は、ここ最近は事実に基づかない「外国人問題」が叫ばれていることを指摘し、「そうした風潮に乗じ、伝聞や個人的な感想を、さも重大事であるかのように語る政治家の姿が目に余る」と問うていた(「知事会の宣言 排外主義の克服 足元から」12月3日)。そう、人々の不安を煽る手法のほうが問題なのだ。
SNSで「移民が押し寄せる」などの誤情報が拡散
外国人に関してはこんな記事もあった。「外国人労災死傷者6000人超 24年全国 また最多を更新」(信濃毎日新聞12月1日)。これは氷山の一角であり、労災隠しが疑われ、外国人労働者の“使い捨て“がはびこっているのが現状だという声も載っていた。
さて、外国人問題を語るなら、こっちではないだろうか。まず問われるべきは、彼らを安価な労働力として使い潰してきた側の責任ではないのか。
自治体にクレームというキーワードでは「ホームタウン」騒動もあった。8月に国際協力機構(JICA)が国内4市をナイジェリアなど4カ国のホームタウンに認定した。ところがナイジェリア政府の「日本が特別なビザ(査証)を創設」との誤った声明をきっかけに、SNSで「移民が押し寄せる」などの誤情報が拡散。4市には不安や抗議の電話とメールが殺到し、ホームタウン事業は撤回された。しかしこの件は「誤情報には気をつけましょう」という問題だけだろうか? 次の社説はその根っこを指摘している。
《先の参院選では「日本人ファースト」を掲げた参政党をはじめ、排外主義につながる主張が注目を集めた。その余勢を駆って、外国に関わる誤情報やデマが、故意に拡散された可能性はないか。漠とした不安を呼び覚まし憎悪をあおるとすれば、悪質である。》(信濃毎日新聞社説「ホームタウン騒動 デマは国際交流の妨害だ」9月21日)
今年の選挙現場で見た印象的なシーン
ここからは私の実体験である。今年の選挙現場で見た印象的なシーンだ。6月の東京都議選から7月の参院選を現場で見たが、排外主義的な「演説」が多いことに驚いたのである。事実と異なるものも多かった。公的な場で政治家や候補者がヘイトのようなものを平気で言うわけだから「そうか、言ってよいのだ」とスイッチを押された人が出てきても不思議ではない。全国知事会へのクレームもホームタウン騒動も参院選後に起きているのは地続きのように思えた。
こうした空気は、特定の政党や人物に限った話ではない。流れに乗ったのか、9月の自民党総裁選での所信発表演説会では高市早苗氏が外国人観光客の一部が「奈良の鹿を足で蹴り上げ、殴って怖がらせる人がいる」と主張して外国人政策の厳格化を訴えた。しかし奈良県庁で奈良公園を所管する部署の担当者は「観光客による殴る蹴るといった暴力行為は日常的に確認されておらず、通報もない」とマスコミ取材に答えている。
さらに高市氏は刑事事件を起こした外国人に関し「警察で通訳の手配が間に合わず、不起訴にせざるを得ないとよく聞く」と発言した。法務・検察幹部は「最後まで通訳が確保できなかったという話は聞いたことがない」と取材に対し語っている。
事実は二の次で、主張が共感されればそれでいいという風潮。個々の発言以上に、こうした言説が歓迎される空気そのものが、いま問われている。来年も加速するだろうが、重要になりそうなのはメディアが淡々と事実を指摘できるかどうか。デマや攻撃にもへこたれず、あきらめずにできるか。来年は「ニュー・オールドメディア」への試練の年になるのでは?
(プチ鹿島)