「刺激証拠」の排除が常態化…遺体写真は簡易イラストで代用も「裁判員への過度な配慮」

裁判員の心理的負担を軽減するという理由で、裁判所が遺体写真などの「刺激証拠」を裁判員裁判から排除する運用が定着している。暴行場面の音声データがあるのに証拠採用せず、検察官が反訳して読み上げたケースも。法曹関係者からは「裁判員への過度な配慮で、真相究明に支障が出ている」と現状への批判も強まっている。
刺激証拠に定義や基準はなく、あくまで裁判官が「裁判員の負担になる」と判断したものが対象だ。主には犯罪被害者の遺体写真だが、性犯罪事件で被告側が撮影した性的暴行の映像や、事故の瞬間のドライブレコーダーの記録なども刺激証拠として取り扱われるケースがある。
「想像で補える」
元岐阜地検検事正の十時(ととき)希代子弁護士によれば、検察は遺体写真をイラスト化して証拠提出するのが常態化。そのイラストも「リアルすぎる」と裁判官から描き直しを命じられ、抽象的なものに差し替えた例もある。刺激証拠の対象は年々拡大しているといい、「かつての裁判官は食い入るように証拠を見ていた。だが、今では『見なくても何が起きたかは分かる。想像で補える』と平気で言ってくる」と問題提起した。
殺意の有無が争点になる事件では、遺体写真が証拠採用されるかどうかが大きな意味を持つと検察関係者はいう。ひどい児童虐待の末の死亡事件、骨と皮だけになって餓死した事件…。「実態は遺体を見ないと分からない。だが裁判所は見せない。『感情に訴えかけるな』と理由をつけて」(検察関係者)
遺族無念「写真見てくれれば」
令和4年3月、大阪市内のマンションで女性=当時(22)=が男(42)にゴルフクラブで殴られ死亡した事件。大阪地検は男を殺人罪で起訴したが、男は裁判員裁判で殺意を否認した。
男は暴行の理由について、トラブルになった女性をおとなしくさせるためだったと主張。遺体写真は証拠採用されずイラストで審理が進んだ。
大阪地裁は6年2月の判決で、女性の全身の傷は計64カ所、頭や顔の傷は18カ所に及び、うち5カ所の傷の深さは頭蓋に達していたと認定。死因は顔や頭の傷による失血死とする一方、殺意は認めなかった。
判決理由では被告の供述を「手加減していた趣旨とすれば信用できる」と評価。殺人罪の成立を認めず、傷害致死罪を適用して懲役10年(求刑懲役16年)を言い渡した。
女性の母親は取材に「娘の両腕はひどい内出血で真っ黒だった。娘は必死に身を守ろうとしたのに男は殴り続けた。あの遺体写真を見ていれば殺意は伝わったはず」と無念そうに話した。
母親は大阪地検に控訴を要望。しかし、1審判決に誤りがないかを審理する「事後審」という控訴審の性格上、新たに遺体写真の証拠調べを請求しても認められない可能性が高く、大阪地検は控訴を断念した。
音声データは文字化
4年に広島県海田町で男性=当時(71)=が監禁後に行方不明になった事件の裁判員裁判では、強盗致死などの罪に問われた男が共犯者とともに、被害者を暴行した際の音声データが刺激証拠扱いで排除された。
鑑定医として出廷した日本法医病理学会の近藤稔和理事長ら複数の関係者によると、公判では音声データを反訳した書面を検察官が読み上げ、暴行の様子を再現。6年10月の判決で広島地裁はこれらの証拠を踏まえ、被告が男性の胸に約50回の暴行を加えたと認定し、求刑通り無期懲役を言い渡している。
この事件では結果的に検察に不利にはならなかったが、十時氏は「最も分かりやすい証拠に目を通さずに人を裁くのは人権侵害につながる」と疑問を呈する。近藤氏も「法医学では証拠を過大、過小のどちらにも評価してはいけない。起きた事実に基づいて評価するのは裁判員も同じはずだ」と話す。
国賠訴訟機に扱い一変
刺激証拠の扱いが一変したきっかけは、平成25年に福島地裁郡山支部で開かれた強盗殺人事件の裁判員裁判とされる。女性裁判員が現場写真などを見て急性ストレス障害を発症したとして国家賠償請求訴訟を起こした。訴訟は女性の敗訴が確定したが、影響は今も続いている。
最高裁事務総局は取材に対し、刺激証拠の取り扱いは裁判官の判断に委ねており、裁判所全体の統一的な方針はない、と説明した。
一方で国賠訴訟以降、全国の地・高裁に刺激証拠の採用を慎重に吟味するよう促す通知書などを送っており、刺激証拠の扱いを問題視する法曹関係者からは「最高裁への忖度(そんたく)が裁判員への過剰な配慮につながっている」との指摘もある。
一方、最高裁が毎年実施している2千人を対象にした国民意識調査では、刺激証拠を見ることに不安を感じると答えた人は令和6年度が全体の40%。質問項目に加えた平成25年度は46・7%だったが、近年は4割前後で推移している。(倉持亮)
変わるべきは裁判官の意識 椎橋隆幸・中央大名誉教授(刑事訴訟法)
裁判員に重大犯罪の審理を担わせることを前提に導入された裁判員制度である以上、遺体写真であろうと必要な証拠は見せるべきだ。制度の問題ではなく、運用する裁判官側の意識の問題。国賠訴訟の衝撃が大きかったのだろうが、国民の精神力を甘く見すぎてはいないか。刺激証拠が本当に裁判員に負担になるようであれば、公判の途中でも辞退を認めるなど柔軟な対応はできるはずだ。
裁判員との協議の場を増やし、精神的負担を減らす努力も大切。裁判官は証拠を制限することが裁判員への配慮になるという考えを捨て、どうすれば裁判員が刺激証拠と向き合えるかに心を砕くべきだ。