世界有数の漁場を擁する港町、宮城県気仙沼市は東日本大震災の津波と大規模火災により壊滅的な被害を受けた。復興の陣頭指揮を執る菅原茂市長(68)は県内で被災した市町村で、震災当時から務める最後の首長となった。「出来(でき)ませんとは言いません」をスローガンに駆け抜けた15年の歩みや、海と生きる街への思いを聞いた。
「この街は、分かりやすく変わった街の一つだと思います」。菅原氏が言及したのは、気仙沼湾上に架かる全長1344メートルの横断橋「かなえおおはし」だ。夢や希望、願いをかなえるという意味が愛称に込められ、復興のシンボルとして5年前に開通した。
「災害に強い道路ということで国も当初は海から少し離す、という整備方針だった。ただ、気仙沼の地形を考えると、どうしても海を渡る方が合理的であり、最後は地域の声も反映して海側ルートに決まった」
「津波火災」の恐怖目の当たりに
発災直後、津波で破壊された燃料タンクから1万キロリットル以上の重油が流出し、気仙沼湾全域が火の海と化した。海上の漂流物にも引火し、多くの市民が津波だけでなく、市街地に迫る炎からも逃げまどう「津波火災」の恐怖を目の当たりにした。
「自然の力は想像をはるかに超えるものだった」とし、がれきの山となった街の再興は「国に復興事業として認めてもらう闘いの連続だった」と振り返る。「だが、その過程で職員の大きな成長につながった」という。
震災翌年には、市役所中にスローガンを書いた紙が張り出された。職員は激務をこなしつつ、相談にやって来る市民に寄り添った。「当時はできないことばかりだった。それでも『出来ません』と言わないで一緒に解決策を考えれば、被災者の気も少しは楽になる」
止まらない人口流出
水産業が基幹産業の気仙沼にとって、海は「災害」と隣り合わせだが、同時に「恩恵」をもたらす。近年は海洋環境の変化に伴う海水温の上昇により、水揚げされる魚種が激変。昨年は生鮮カツオが記録的不漁となり、漁獲量日本一は28年連続でストップした。
人口流出による人手不足も歯止めが掛からない。震災前、約7万4千人だった市の人口は今年1月時点で5万5千人を割り込んだ。減少率は全国平均を上回るペースで進んでおり、水産加工業などでは外国人労働者への依存も高まる。
震災を知り尽くす首長として現状をどう考えているのか。「ハード面の整備がほぼ終わり、復興特需も一巡した。これからは人口減と産業構造の変化を踏まえた政策転換が重要になる。市民にとって耳障りのよくない課題であっても、それを実行する覚悟が求められる」。菅原氏はこう語り復興の次を見据えた。(白岩賢太)
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岩手、宮城、福島の3県の被災した市町村で震災当時から首長を務めるのは宮城県気仙沼市の菅原茂市長と福島県川内村の遠藤雄幸村長の2人となった。15年の思いを聞いた。
気仙沼の観光キャラは「ホヤぼーや」
気仙沼市 宮城県の北東端に位置する。人口5万4992人(1月末時点)。世界三大漁場の一つ、三陸沖に面し漁業がさかん。気仙沼漁港は、カツオ、サンマ、メカジキ、サメなどの水揚げ量が全国屈指を誇る。市の観光キャラクターは「ホヤぼーや」。