「起きなよ知華」 愛娘と無念の対面 辺野古沖転覆、遺族が記録つづる

名護市辺野古沖の転覆事故で亡くなった同志社国際高校(京都)2年の武石知華(ともか)さん(享年17)の父親は、インターネットの投稿サイト「note(ノート)」で発信を続けている。15日までに8本の記事を配信。12、13両日の投稿では、事故後、赴任先のインドネシアから沖縄へ向かい、娘の亡きがらと対面するまでの詳細を記録し、つらい胸の内をつづっている。(社会部・山城響)
知華さんが事故に遭ったのを最初に知ったのは母親だった。転覆した船に同乗していた生徒の母親から連絡が入ったという。高校に到着した母親に学校側から「死亡が確認された」と伝えられた。転覆から約2時間半がたっていた。インドネシアから電話をつないだまま状況を案じていた父親は「電話越しに娘の死を知った」と無念さをにじませた。
赴任先はレバラン(断食明け大祭)の連休前で、帰国便の確保が難航した。午後10時7分、乗り継ぎまでの合間に、先に沖縄に着いていた家族とのビデオ通話で娘の変わり果てた姿を確認した。「顔など見える範囲の傷も、服で隠れる部分の傷も、想像より多くひどかった」。離陸の時刻が近づき、家族がむせび泣く声を聞きながら通話を切った。
父親が知華さんと対面できたのは、事故から約31時間後の17日午後5時過ぎ。本島北部の病院から中城海上保安部の安置室に移されていた。「こたつで昼寝をしているときの顔と変わらない。冷たい。(中略)苦しかったろうに。なんで死んでるの。パパは4カ月も会ってなかったよ。起きなよ知華」。やり場のない思いを記した。
15日の投稿では、事故の2日後に辺野古漁港を訪れた母親が、知華さんが乗船していた「平和丸」に向かって「怖かったね」などと語りかける様子の動画もアップした。米軍キャンプ・シュワブ内の事故現場が見える場所で献花し、黙とうをささげた様子も記した。
遺族は事実解明につながる情報提供を呼びかけている。メールはこちら(http://mail-to.link/m9/1fajjrx)から。