2019年4月に起きた東京・池袋の自動車暴走事故から19日で7年となる。妻子を亡くした松永拓也さん(39)は、事故直後に手にした一冊のノートを今も大切に持ち歩いている。事件や事故の被害者が直面する現実への方策をまとめた「被害者ノート」だ。民間の支援団体が作ったノートの理念は、国や自治体にも広がりつつある。(鈴木直人)
「混乱して自分が何に困っているのかも分からなかった」。松永さんは今月5日、妻・真菜さん(当時31歳)、長女・莉子ちゃん(同3歳)と暮らした都内の自宅でノートを開き、事故直後の状況を振り返った。
悲しみに打ちひしがれる中でも、やらなければいけないことが次々に押し寄せた。行政手続きや捜査協力、弁護士との打ち合わせなど、慣れないことばかりで「暗闇の海の中に放り投げられた感覚になった」。
公的なパンフレットにも目を通したが、専門用語が多く、精神的に余裕がない状態で理解するのは難しかった。インターネットで検索しても、整理された情報にはたどり着けなかった。
松永さんのもとに被害者ノートが届いたのは、事故から約1か月後。送り主はノートを考案した「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」代表理事の小沢樹里さん(45)だった。「一人で苦しまないでください」との手紙が添えられていた。
ノートは、小沢さんらが発足させた団体「途切れない支援を被害者と考える会」が14年に制作した。刑事手続きや弁護士の選任、自治体への各種届け出、相談・支援窓口のほか、マスコミへの取材対応の方法などがA4判約100ページにまとめられている。
警察や役所で同じ説明を繰り返すのに備え、事故の発生日時や場所のほか、被害者の当日の行動を記録するページがある。松永さんは現場周辺の地図を印刷して貼り付けた。あの日、昼休みに職場からかけた最後のテレビ電話が思い出された。「買い物と莉子を遊ばせるため南池袋公園へ」「帰り道に事故」――。書きとめながら涙があふれた。
事故後は眠れず、食べ物も喉を通らなくなった。「自分の心は壊れたんじゃないか」と不安に襲われた。そんな時「心配になるでしょうが、正常な反応」というノートの一文が、落ち着きを取り戻させてくれた。
「ノートに書いて事実と向き合うことが心の回復の一歩だった」。松永さんは自らの経験を踏まえ、講演など行く先々でノートの存在や必要性を伝えている。
国土交通省は22年から、「交通事故被害者ノート」の配布を始めた。事故による後遺障害の治療や看護を行う病院の紹介、被害者を介護する家族のコラムなど、交通事故に特化した情報をまとめ、約2万5000部を発行した。東京都や新潟、佐賀両県のように、同様の被害者ノートを独自に作る動きもある。活用の広がりは大きな前進だ。
松永さんは昨春、最愛の2人と暮らした都内の自宅に生活の拠点を戻した。真菜さんが料理する姿や、壁からぴょこんと顔を出す莉子ちゃんの表情――。思い出すのはつらいが、2人を近くに感じていたいと思ったからだ。
事故後に始めた講演は今年2月に100回を超えた。活動の根底には、被害者ノートに記した「もうこんな思いを誰にもしてほしくない」という決意がある。それでも悲惨な事故は起きる。「誰かに聞かれたときにすぐ見せられるように」。松永さんのバッグにはきょうもノートが入っている。
◆池袋の自動車暴走事故=東京都豊島区東池袋の都道で、旧通産省工業技術院元院長の男性の車が暴走。横断歩道の通行人らをはね、母子2人が死亡、9人が重軽傷を負った。男性は禁錮5年の実刑判決を受け、受刑中の2024年10月に93歳で死亡した。