軽快な筆致で男のエゴをあらわにした「猛妻」ものや、人生の哀歓を描く自伝的小説で知られた直木賞作家の佐藤愛子(さとう・あいこ)さんが4月29日、老衰のため東京都内の施設で死去した。102歳だった。告別式は近親者で済ませた。喪主は長女、杉山響子さん。
少年小説の第一人者だった作家・佐藤紅緑の次女として大阪で生まれ、童謡「ちいさい秋みつけた」を作詞した詩人のサトウハチローは異母兄。戦時中に20歳で結婚したが、夫は病気の治療からモルヒネ中毒となり、後に死去した。
その頃から小説を書き始め、1950年に作家の北杜夫らがいた同人雑誌「文芸首都」に参加。同じく同人だった田畑麦彦と再婚し、自伝的小説「愛子」や「ソクラテスの妻」を発表して注目された。
しかし、夫の田畑が事業で失敗して破産。その借金を肩代わりして離婚した。この時の経験を基につづった「戦いすんで日が暮れて」で69年、直木賞を受賞した。
借金返済のため、テレビのワイドショーのコメンテーターなども務め、歯に衣(きぬ)着せぬ言葉から「怒りの愛子」の異名も取った。また、2000年には、紅緑から始まる佐藤一族の壮絶な人間模様を12年かけて執筆した大作「血脈」を完成させ、同年、菊池寛賞を受けた。
91歳となった14年には、田畑と自身がモデルの「晩鐘」を「最後の小説」と銘打って刊行。同書は翌年、紫式部文学賞に輝いた。
近年は、小気味良い語り口のエッセーでも人気を集め、16年刊の「九十歳。何がめでたい」はミリオンセラーとなり、17年の年間ベストセラー1位になった。現在は130万部に達する。同年には旭日小綬章も受章。100歳を迎えた23年にもエッセー集「思い出の屑籠(くずかご)」を出し、晩年まで筆を執り続けた。
作家の娘に生まれて、最初の結婚の破綻と再婚、夫の借金苦……。起伏に富んだ人生を送りながら、執筆を続けた。その人生経験に裏打ちされた毒気と愛嬌(あいきょう)のあるエッセーで、晩年に改めて注目を集めた。
卒寿を超えて出版したエッセーの題名は、「九十歳。何がめでたい」。
多くの日本人がスマートフォンを手放せなくなった状況に、「日本人総アホの時代がくるね!」。小さな出来事からインターネット上で「炎上」が起きるような風潮には、「いちいちうるさい世の中である」と注文をつけた。
娘の杉山響子さん(66)は今年1月、「憤怒の人 母・佐藤愛子のカケラ」を執筆し、母の人生を振り返った。その取材の際、「ジェットコースターのような(性格で)、大将のような人だった」と語った。子供の頃は、仕事をする母の隣で眠り、万年筆の音を聞きながら眠りにつくのが好きだった。人が好きといいながら、文筆のネタを探しているようにさえ見えたという。
「母である前に作家なんです。書くということは母そのものでした」(文化部 高梨しのぶ)