高市早苗首相は、いったい何を守ろうとしているのだろうか。
中傷動画を拡散させて他候補を貶めるような卑怯なことはしない政治家だという矜持だろうか。その政治家のために懸命に働く公設秘書もまた、主の名誉のために不正、不当なことはしないという誇りだろうか。
去年の自民党総裁選を勝ち抜き、2月の衆院選でも歴史的な大勝を勝ち取った高市首相。史上初めての女性首相であり、大胆な行動で、新しい政治を切り拓いてくれるのではないかという期待の大きさが高い支持率を生んでいる。
その政治的な力を持ち続ければ、国論を二分するような大胆な政策も、憲法改正や皇室典範の改正さえも実現できるはずだった。そうした困難な課題を実現することこそ、政治家の名誉であり、誠実に取り組む姿勢を見せることが、政治家としての矜持であろう。
しかし、週刊文春が報じた高市首相陣営による自民党総裁選での中傷動画作成疑惑をめぐって、首相の国会答弁や記者との会見での発言は、揺れ続けている。
当初は、他候補の誹謗中傷をすることなど絶対にない、動画作成者との面識もないと、疑惑を全否定していた首相だが、週刊誌だけでなく共同通信までが、動画作成者にインタビューした記事を配信し、秘書と動画作成者の男性が打ち合わせをしているとされる音声も公開された。
当初、秘書を信じると事実の確認さえ突っぱねていた高市首相も、ここに至って、秘書と問題の男性の間に接点があることは否定できない状況に追い込まれた。秘書がその音声が自分のものかどうか確信が持てないとしながらも、そうした会合に出ていたこと自体は認めたのである。
「一切面識がないという答弁は揺るがない」という発言が、「面識があるかどうか確信が持てない」まで変わるのに1カ月以上かかっている。しかも、ズルズルと後退して、ついに、事実関係を否定してきたのは、首相が信頼するその秘書の「勘違いだった」と言わざるを得なくなった。まさに「答弁崩壊」ともいうべき事態まで追い込まれたのである。
40年近く永田町を取材していると、スキャンダルや疑惑の度に、言い逃れをしたり秘書に責任を押し付けたりする政治家の姿を数多く見ることになる。しかし、国政の最高責任者である首相の言葉が、こうも軽々と修正が繰り返され、しかも、真実の解明が却って遠ざかるようなことは、筆者の記憶にはない。
しかも、問題になっているのは中傷動画作成の経緯や首相周辺の関わりという以前に、高市事務所の秘書と動画作成に関わった男性との間に「面識があるのかないのか」という単純な事実関係だ。記憶があいまいだとか、確信が持てない、などという発言で納得を得ることは到底できないだろう。
「その場の思いつきや余計な修飾語を使って答弁するから、後々つじつまが合わなくなる。しかも、間違いや思い違いを認められないから、さらに傷口を広げる。結局、訂正したのかどうかあいまいなまま引きずることになる。それでも、最後まで非を認めなければ、いずれ野党も諦め、世間も忘れてしまうと思っているのだろう。これが『サナエの流儀』だ。今回の中傷動画問題もその流儀で逃げ切ろうと思っているのだよ」
ある立憲民主党の議員は吐き捨てるようにそう言った。
高市氏は、第二次安倍政権の総務相時代に、放送法の政治的公平をめぐる政権内のやりとりを記録した総務省の文書について、自らの発言については「捏造だ」と言い放ったことがあった。当時の立憲議員らの追及に、「捏造でなかったら議員辞職しても結構だ」とも言って、強く事実関係を否定していた。その後総務省が行政文書であることを認めたが、それでも高市氏は「私はこんな言い方はしない」と自身の発言であることを最後まで認めず、結局進退はうやむやになってしまった。
「何を言われても、強気で否定し続ければ乗り切れるという成功体験になっているのだろう。しかし、今度は総理大臣の発言だ。言葉の重みがあの時とは全然違うんだよ」
この議員は、今回も徹底的に追及すると言う。
高市首相も今回は、強気で押し通すことは難しいと判断したようだ。10日の衆院法務委員会で、答弁の一部を修正したのに続いて、11日には、自民党国対を通じて、過去の参議院での首相答弁にも誤りがあったので訂正したいと立憲側に申し入れた。
しかし、自民党の国対幹部は、この問題はそう簡単に終わらないかもしれないと危惧している。
「総務省の文書捏造問題は、役人が反発しただけで済んだが、今度の中傷動画の問題は、そうはいかないだろう。これまでの答弁を修正したからといって立憲が『はい分かりました』とはならない。何しろ岡田克也氏や安住淳氏は、中傷動画のせいで落選したと思っていてその恨みは大きい。秘書と面識があったかどうかは、入り口にすぎない。これから抽象動画の問題や不透明なままの『サナエトークン』の真相解明を求めてくるだろう。後半国会ではそうでなくても重要法案の審議が遅れて頭が痛い。高市総理自身も今はピリピリしている」というのだ。
自民党の別の閣僚経験者も、微妙な空気の変化を気にしている。
「私の流儀だとイキって見せたり、週刊誌より秘書を信用するとか、文春の有料動画になぜ金を払うのかとキレられたとか、余計な事を言い過ぎた。夜中に秘書に何度も電話したが出てくれなかったとか、関係ない秘書の病状のことまで答弁するなんて、何を考えているのか分からない。ウチの秘書も、さすがにあんなこと言っちゃダメですよね、とあきれていた。もともと面従腹背の議員が多かったが、いよいよ首相を支えようという党内の空気が薄くなってきたような気がする」
ただ、高市首相を支える党幹部は強気の姿勢を崩していない。
「この問題自体は、たいしたことじゃない。自民党総裁選は、公選法は関係ないから中傷動画は違法でもなんでもない。総選挙で他党の候補を批判するなんてどの党もやっている。それに、野党がどんなに騒いでも、バラバラのままでは何の力もない。自民党内が盤石であれば大丈夫。高市政権はこのくらいではビクともしませんよ」
確かに野党側を見ると、中道改革連合と公明、立憲が合流できないだけでなく、重要法案への態度もバラバラだ。
△国家情報会議設置法案では、中道と公明が賛成、立憲は反対、△健康保険法案では、中道が賛成、立憲と公明は反対。△安定的な皇位継承に関するとりまとめも、中道と公明は「了」、立憲は女性皇族の身分保持のみ賛成、というように3党の足並みがなかなかそろわない。3党の合流は無理だと公言する小沢一郎氏だけでなく、立憲のなかにも、合流への慎重な見方が根強い。
「それに」とこの幹部は続けた。
「再来年の参議院選挙までは何も変わらない。このまま支持率が下がらなければ来年秋の自民党総裁選も波乱は起きない。だとすると、いま、執行部に逆らっても何もいいことはない。『国力研究会』がいい例だ。反高市のあぶりだしだ、大政翼賛会だ、と自民党内にも様々な声があるが、ともかくバスに乗り遅れるなという結果だ。高市政権に逆らおうという者はいなくなりますよ」
高市首相と近い山田宏氏が、高市首相の後ろ盾の麻生太郎氏らにもちかけて結成された高市政権を支えようという議員連盟「国力研究会」だが、冷ややかな見方をしている自民党関係者も少なくない。
「派閥は100人超えたら統制が取れなくなるので危ないと安倍晋三氏も言っていたが、347人の議連なんか、意味がない。ポストの配分もできない。麻生さんに逆らいたくない、睨まれたくない、というだけだ。麻生さんがご執心の皇室典範の見直し一つとっても、内心はこんなことやっていると世論を敵に回しかねないと心配している議員もいる。そんな意味もない議連だよ。大騒ぎしたけど、いずれなくなるんじゃないか」
確かに皇室典範の改正問題は高市政権に複雑な影響を与えそうだ。
この問題では、皇族数を確保する方法として△女性皇族が結婚後も皇室に残る案と、△旧宮家の男系男子を養子に迎える案の二案が、衆参両院の正副議長のもとで「立法府の総意」としてまとめられた。特に男系男子の養子案については、憲法違反の疑いがあると立憲などに反対論も根強く、立法府の総意と言えるのか、疑問の声も残っている。
しかし、男系男子の養子案にこだわってきた麻生氏は、この国会で何としても皇室典範の改正案を成立させたいと意気込んでいる。
亡くなった三笠宮寛仁(ともひと)親王妃の信子さまは、麻生氏の実妹だ。皇族の親戚でもある麻生氏は、21年前、女性天皇を認めるべきだとした小泉内閣の有識者会議で、男系男子の養子案が明確に否定された後も、その実現を主張し続けてきた。男系男子の養子案は麻生氏の悲願なのである。
それが、麻生氏が後ろ盾となって誕生した高市政権の高い支持率を追い風に、ついに実現しようとしているのだ。
麻生氏が前のめりになるのも当然かもしれないが、しかし、主要メディアの世論調査では女性皇族の身分保持については7割から8割の支持がある一方、男系男子の養子については、支持が半数を超えていない。さらには、「立法府の総意」が取りまとめられた後も、主要な新聞社の社説の多くが、「女性天皇の検討を置き去りにしたままでは、皇族数の確保にもつながらない」として、今回の検討そのものにも疑問を投げかけている。
天皇陛下は、政治的な発言は慎重に避けながらも、皇族数の確保に関する与野党の動きについて「国民に理解されるものであることを望んでいる」と述べられた。世論調査の結果を見る限り、この案が国民の理解を得ることは相当難しいと言わざるを得ない。それでも、古い伝統に逆戻りしようという麻生氏の執念に従っていくことになるのだろうか。
いくら数の力があると言っても、高市首相の求心力が落ち始めているなかで、麻生氏が自らの野心を強引に押し通せば、世論の支持を失う可能性が高い。
フランス・エビアンで開かれるG7サミットという華々しい外交舞台で政権浮揚を期待する高市首相の周辺だが、その足元は、すでに揺らぎ始めている。
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(ジャーナリスト、元NHK解説委員 城本 勝)