遂に出ました陳述書!
国会閉幕ぎりぎりでようやく提出。ここまで引っ張られた以上、ちゃんと読むのが提出した側への礼儀でしょう。
木下剛志氏の陳述書の中身
これは、高市早苗首相を巡る中傷動画作成・拡散問題について、国会答弁の代わりに提出された地元秘書・木下剛志氏の陳述書である。
全文を読むと、一つ特徴がある。
・「受け身」だった出来事は、比較的具体的に覚えている。
・一方で、「記憶がない」「確証が持てない」という表現が増える。
例えば、
「学者の紹介で会った」
「オンラインミーティングをした」
「提案書を受け取った」
「ネット配信を見て驚き、相手に連絡した」
など、自分が受け身だった出来事は比較的具体的に説明している。
ところが、自分の認識や関与が問われる場面になると、「記憶していません」「記憶がありません」「確証を持てません」が何度も出てくる。
さらに気になったのは「記憶がない」が続く一方で、
「中傷動画は依頼していない」
「暗号資産として発行するという説明は一度も受けていない」
という部分はとても断定的に書かれていることだ。では「記憶がない」と「断定できる」の境界は何なのか。その線引きこそ、本来は国会で直接説明してもらいたかったところだ。
ちなみに、週刊現代でこの問題を追及してきた河野嘉誠氏の質問への回答を読み返すと、陳述書の説明とは時系列が食い違うように思える箇所もあったという。前述した違和感は「何を覚えていたのか」から「いつ覚えていたことになっているのか」という疑問へと広がってきた。
思わず笑ってしまった箇所もある。松井健氏とのオンラインミーティングについて、木下氏はこう書いている。
「後日、ご紹介いただいた方には、『何か具体的にお願いすることはなかった』という趣旨をお伝えした記憶があります」
その記憶はあるんだ!
今度はもう一つの「陳述書」が現れた
ここまで読むと、紙より本人に聞きたくなる。それをやる場所を、たしか国会と呼んでいた。木下秘書は陳述書の最後で、訂正された国会答弁について、「就寝中だった」などと説明している。その程度の確認で国会答弁になってしまうものなのか。
……と思っていたら、今度はもう一つの「陳述書」が現れた。投稿先は国会ではなくX。
高市首相が書いたのは、「寝ていない」という話だった。「0時間~3時間睡眠が常態化」「風呂掃除」「洗濯」「アイロン」「裁縫」。一見すると近況報告のように見える。
この投稿には同情だけでなく、さまざまなツッコミが集まった。
「寝ていない自慢は、もう時代遅れではないか」「本当なら睡眠不足で重要な判断をするほうが心配だ」「働き方改革を掲げる首相の発信として矛盾しているのではないか」「自衛隊の最高指揮官が『寝ていない』と発信するのは危機管理上どうなのか」
どれも納得の指摘に思える。
一方で、こうも言えないか。これは単なる近況報告ではない。一つの「物語」だ。
「国のために身を削り、それでも家事もこなす私」
そんな主人公が、この文章にはいる。
気になったのは、読んでいると「私」という言葉が何度も浮かんでくることだ。私が資料を読む。私がメールを処理する。私が洗濯をする。私が裁縫をする。主人公は、ずっと「私」である。官邸チームや秘書官、官僚の姿はほとんど見えない。語られているのは政策そのものではない。「どれだけ頑張っているか」という物語だ。
近年は「政策」そのものより「誰が語るか」が支持を左右する「物語の政治(ナラティブ)」が語られることがある。今回の投稿も、政治家自身が「物語」を発信する一例のように思えた。
長年こだわってきた国旗損壊罪もそうだ
もう一つ気づいた。この投稿が伝えようとしているのは、「骨太方針で何を変えたか」という政策ではない。最後の「明日から又、頑張れます!」まで含めて、情報より感情が前に出る文章だった。
実は、この「まず感情から入る」という政治スタイルは、今回のXだけではないようにも思える。
例えば、高市首相が長年こだわってきた国旗損壊罪もそうだ。「外国の国旗を損壊すると処罰されるのに、日本の国旗だけ処罰されないのはおかしい」。感情としてはわかりやすい。しかし刑法学者は、外国国旗損壊罪は外交関係を保護するための規定であり、日本国旗とは立法事実が異なると繰り返し指摘してきた。
奈良のシカの発言もそうだった。まずわかりやすい物語があり、その後から事実確認の議論が追いかける。今回のXも、そう読めた。
木下秘書は説明を求められて陳述書を書いた。高市首相は共感を求めてXを書いた。一方では「記憶がありません」が繰り返され、もう一方では生活の細部が驚くほど具体的に語られる。説明を求められることはあまり語らない。共感を集めることは自分の言葉で詳しく語る。その対照は、いまの高市政治を考えるうえで印象的だった。
もちろん、政治には物語も必要だ。支持者には思い入れも必要だろう。しかし、各メディアで支持率が下がっていると報じられた途端、首相のほうからわざわざ「物語」が発信されたことはとても興味深い。
その「物語」を見て、「だから応援したい」と感じる人がまた増えるのか。それとも「これは寝言のようなもの」と一歩引いて眺める人が増えるのか。そのあたりも注目したい。
(プチ鹿島)