<独自>米ボーイング、日航に謝罪 修理ミスの記述を削除「混乱招いた」 墜落事故41年

乗客乗員520人が犠牲となった日航機墜落事故をめぐる米ボーイング社の修理ミスについて、ボーイングが自社サイトで公開していたミスの原因についての記述を削除し、「混乱を招いた」として日本航空に謝罪していたことが12日、分かった。産経新聞が昨年、記述について報道したことを受け、日航はボーイングに説明を求めていた。謝罪の一方、ミスの原因の詳細の説明はなかったという。
事故原因が修理ミスであることは当時の調査で判明していたが、ミスの原因については長年不明だった。しかし昨年、米ボーイングが自社サイト上でミスの原因について言及していたことが判明。日航、国土交通省とも、詳細をボーイングに問い合わせていた。12日で事故から41年。事故の関係者はミスの背景事情の全容解明を望んでおり、今回の「謝罪」のみで終われば、真相は遠ざかることになる。
ミスは1978年発生
ミスが発生したのは、墜落事故から7年前の1978年。6月2日、機体は伊丹(大阪)空港で尻もち着陸事故を起こし、「後部圧力隔壁」という気圧を保つためのドーム状部品を含めて損傷した。
同年6月17日から7月11日にかけ、ボーイングのチームが修理を行った。問題があったのは6月26日。ドームの壊れた下半分を新品に取り換え、上半分と接合する際、作業者は、ぎ目にあてる接合板(スプライス・プレート)を本来1枚で扱うところ、2枚にして鋲止めした。ボーイングや日航の検査ではこのミスは発覚しなかった。隔壁の強度は想定の7割まで落ち、その後のフライトで金属疲労が進行。85年8月12日夕、隔壁は上空で破断し、機体は墜落した。
なぜ接合板を2枚にしたのか。87年6月にまとめられた旧運輸省航空事故調査委員会の報告書では、2枚使った理由についての記載はない。日米の法制度の違いなどが原因で、ボーイング側に聞き取りができなかったためだ。
実はホームページで公表
だが、ボーイングはその後、自社サイトに2024年9月に開設した航空関係者向けの安全教育コーナーで、接合板を2枚にした理由を「設置することが構造上困難だったため切断した」と公表した。ボーイングとしての対外的な説明は初とみられ、産経新聞が25年8月に報じた。国交省も日航も把握していない内容で、それぞれがボーイングに対し、記述の根拠となる詳細の説明を求めた。
この記述はFAA(米連邦航空局)のサイトの内容を踏襲したもので、FAAは、事故当時日本側が聴取できなかった情報を、ボーイングから聞き取っていたとみられる。
日航によるとその後、ボーイングから「FAAのサイトの表現を引用したことで混乱を招いた点」について書面、対面で謝罪があった。だが「背景を含めそれ以上の報告はない」という。一方、ボーイングは「誤解を避ける目的」で自社サイトから記述を削除。現在は、FAAのリンクを張るにとどめている。
国交省によると、ボーイングとやりとりは続けているものの、現時点で正式な回答はない。国交省ではFAAにも説明を求めている。
過去に「指示読み違え」報道も
ミスの原因を巡っては、1988年5月13日付の読売新聞朝刊は、ボーイング側の話として「作業員が指示書を読み違えた」と報じている。ボーイングが自社サイトから削除した内容とは齟齬(そご)がみられる。
産経新聞ではミスの原因の詳細、過去の報道との整合性についてボーイングに質問したが具体的な説明はなかった。ボーイングは「ご遺族の皆様には心よりの哀悼の意とお詫びを申し上げます。JAL123便を含むすべての事故から得た知見を決して忘れることがないよう、これからも努めてまいります」などとの声明を出し、回答とするとした。(織田淳嗣)

日航機墜落事故 1985年8月12日夕、羽田発大阪行きの日本航空123便が離陸12分後に異変が生じ、制御不能となった。コックピットの懸命の努力で機体はおよそ30分にわたって飛行を維持。羽田空港への帰還を目指したが同6時56分ごろ、群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」に墜落。乗客乗員524人中、520人が亡くなった。旧運輸省航空事故調査委員会の報告書では、修理ミスで強度が弱まっていた圧力隔壁が当該フライトで破断し、機内の空気が機体後方に一気に流出、油圧全4系統と垂直尾翼などを吹き飛ばし制御不能となったと結論付けている。