内閣支持率急落に焦る高市早苗首相(65)は消費税減税を強行するなど、人気取りに躍起だが、チラ見えする独善的な本性で自分の首を締めている。首相就任後、初めて参列した広島と長崎の平和式典で見せた冷酷な態度は見るものをゾッとさせた。一方、傲慢な高市首相をヨソに毅然とした態度で株を上げた政務三役がいる。外務副大臣の国光文乃衆院議員(47/茨城6区)だ。高市首相が政権浮揚を期す夏の人事でのパージを懸念する声が上がっているが、国光氏もしっかりと「黒歴史」を刻んでいる。
国光氏が脚光を浴びたのは、高市首相らと長崎の平和祈念式典に参列後に臨んだ被爆者らと対面だ。被爆者団体の会長が代表し、国是である「非核三原則」の法制化や国連の「核兵器禁止条約」への参加などを記した要望書の趣旨を読み上げた際、高市首相は手元の資料をチラチラ見て鬱陶しそうな表情を隠さなかった。「非核三原則」を骨抜きにする「持ち込ませず」の見直しが持論だからだ。
ところが、高市首相に先んじて発言した国光氏は「政府は政策上の方針として非核三原則を堅持をしております」「核共有は非核三原則や原子力基本法をはじめとする法体系との関係から、政府としては認められないと考えております」と明言。「唯一の戦争被爆国として、核兵器のない世界に向けてNPT(核兵器不拡散条約)体制をはじめとした様々な枠組みでしっかりと取り組んで参りたいと思います」と応じた。
国光氏は1979年、山口県大島郡久賀町(現・周防大島町)生まれ。経歴はピカピカだ。父親が転勤族のサラリーマンだったことから転居し、広島観音高を卒業後、長崎大医学部医学科を卒業。会見で「大学6年間をこの長崎の地で過ごさせていただきました。学生時代を通じて被爆の実相を様々な形で学ばせていただいたことがワタクシの原点になっております」とも言っていた。
国立病院機構災害医療センターや東京医療センターなどを経て、2005年に医系技官として厚労省入り。この間に渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の公衆衛生大学院で修士課程を修了したほか、東京医科歯科大大学院で博士課程を修了。2011年の東日本大震災を契機に政界を志し、自民党の丹羽雄哉元厚生相の後継の座を射止め、東京都の小池百合子知事が希望の党を立ち上げて挑んだ2017年衆院選に初出馬。新人3人の戦いを制して初当選し、岸田派入りした。このあたりから、怪しい歴史が始まる。