「悲しみは乗り越えるものではない」日航機墜落事故で9歳の息子を亡くした美谷島邦子さんが語る、被害者支援の現実と「終わりのない安全」

「自分も死にたいと思った遺族は、事故当時66パーセントに上った」この数字が、公共交通事故の被害者が直面する現実の深刻さを示しています。
10月9日、札幌で、北海道運輸局が主に交通事業者を対象に開いた「公共交通事故被害者等支援フォーラム」で、「8.12連絡会」事務局長の美谷島邦子さんが講演しました。
演題名は「安全の鐘を鳴らし続けて」。1985年の日本航空123便墜落事故で、小学3年生だった息子・健ちゃん(当時9)を亡くした美谷島さんは、41年にわたって想いを発信し続けてきました。
520人の命が失われた日―事故直後の遺族の実像
1985年8月12日18時12分ごろ、羽田空港を離陸した日本航空123便は、乗員乗客524人を乗せて大阪・伊丹空港へ向かいました。離陸からわずか12分後に異常事態が発生し、操縦不能となった機体は18時56分ごろ群馬県上野村・御巣鷹山の山中に墜落。重傷を負いながら救助された4人を除き、520人が亡くなりました。単独機による航空機事故としては、今なお世界最悪の記録です。
美谷島さんの息子・健ちゃんは、夏休みに大阪のいとこを訪ねるためにひとりで飛行機に乗っていました。リュックにお菓子やジュースを詰め、甲子園で高校野球を見ることを楽しみにしていました。
美谷島邦子さん 「飛び立った飛行機の姿が見えなくなるまで見送り、家に戻った途端、飛行機の機影が消えたというテロップがニュースで流れました」
テレビに表示された搭乗者リストには、カタカナで「ミヤジマ ケン」の名前がありました。美谷島さんはすぐに息子を迎えに行こうと決めました。
美谷島邦子さん 「機内には知っている人が誰もいない、ひとりでいる、助けてあげなければ」
事故から4日目、美谷島さんは登山道のない御巣鷹山を4時間かけて登り、墜落現場にたどり着きました。毛布にくるまれた遺体が次々とヘリコプターで運ばれていきます。
美谷島さんは、持参した健ちゃんの好きなジュースを大破した機体にかけました。「ジュッとすごい音がした」。燃えた機体はまだ、触れると火傷をするほど熱かったのです。その音で初めて「ここで大事故が起きたんだ」と我に返ったといいます。
健ちゃんの遺体が見つかったのは事故から6日後。残されたのは、ほんのわずかな胴体の一部と右手だけでした。爪の形を見て、美谷島さんはすぐに「健です」と確認しました。
遺体確認の作業は8月から12月の合同火葬まで4か月間続き、「どの遺族も、あのときが一番つらかったと話す」と美谷島さんは振り返ります。
「孤立させてはいけない」―数字が示す傷の深さ
8.12連絡会は、事故から1年目と3年目に、140人の遺族にアンケートを実施しました。 ●「自分も死にたいと思った」:事故当時66%、3年目9% ●「事故を起こしたものに対する激しい怒りを感じた」:事故当時91%、3年目68% ●「事故後心身の変調をきたした(医療機関にかかったり、眠れない・食欲がないなどの不調があった)」:79%
これらの数字は、事故後の被害者が心身両面にわたって深刻なダメージを受けていることを示します。
美谷島さん自身も、健ちゃんを亡くした翌年、桜の花びらが「灰色に見えた」と言います。「どんなに目をこすってもピンクではないのです」。悲しみのショックが、色彩の感覚すら変えてしまいました。
「人を治すのは人」―寄り添うことの意味
事故から2か月後、「心がバラバラに砕けていた」という美谷島さんのもとに、1本の電話がかかってきました。徳島県の女性からでした。その女性の娘は健ちゃんと同じ123便、それも隣の席に座っていたといいます。
「亡くなった私の娘は優しい子でした。きっと健ちゃんの手をしっかりと握っていたと思いますよ」。
「健はひとりではなかった」――。美谷島さんは、この電話をもらった日から、少しずつ自分を取り戻し始めました。
美谷島邦子さん 「悲しみは乗り越えるものではない。心の中に悲しみの居場所を作る必要があると思いました。ひとりひとりの悲しみは点だけれども、つながると線になって続いていくんです」
美谷島さんは、講演でアメリカの精神科医サリバンの言葉を紹介しました。『人を治すのは人』
美谷島邦子さん 「心の傷を聴いてくれる誰かがいることが必要です。心の傷には絆創膏が貼れないからです」
では、どのように寄り添えばよいのでしょうか。美谷島さんはこう語りました。
「普通は雨が降ってきたら傘を貸してあげますよね。でも雨が降っているときは、傘を差し出すよりも、一緒に濡れてあげる。つまりそのつらい気持ちに寄り添えることが求められます」
8.12連絡会の41年が「安全」を変えた―「事故を起こしてしまった航空会社と安全の扉を一緒に開けたい」
事故から4か月後、美谷島さんたちは「8.12連絡会」を立ち上げました。全国に散らばる遺族約1,500人に連絡を取り、励まし合い、支え合いながら生きていくための緩やかな連帯で結ばれた会です。
会の名前から「遺族」の文字をあえて削ったのは、「遺族と呼ばれたくないという気持ちと、遺族の枠を超えて世界の空の安全を促していきたいという決意があったため」だといいます。
連絡会は41年にわたり活動を続けてきました。その結果の一つが「JAL安全啓発センター」の設立です。
日本航空は当初、機体の残骸を破棄する方針でした。しかし、遺族たちは毎年アンケートを取り、保存を求める要望書を出し続けました。「見るのはつらいけど捨ててはいけない」という考えがいつも上回ったといいます。メディアが後押しし、事故から21年目、会社は方針を転換して機体の保存に踏み切りました。
美谷島邦子さん 「『風化』というのは、社会全体の記憶から薄れていくということだけではなく、安全意識の薄れに直結します。だからこそ、可能な限り風化を防ぐべきなのかと思います」
安全啓発センターには今、飛行機・鉄道・船・バスなど、命を運ぶ仕事に携わる人々が安全を学びに訪れています。
「安全は目には見えないが、安全でないことは目に見える」
センターに残された機体の残骸は、その事実を無言で語りかけてきます。
制度を動かした被害者の声
美谷島さんたちの働きかけは、制度面にも変化をもたらしました。2009年、国土交通省に「公共交通における事故による被害者等への支援のあり方検討会」が設置され、美谷島さんらも委員として参加しました。
この検討会の提言を受けて、2012年4月から国土交通省総合政策局に「公共交通事故被害者支援室」、運輸安全委員会には「事故被害者情報連絡室」が設置されました。
美谷島邦子さん 「国の役割は被害者の家族に直接向き合い、情報を正しく迅速に伝え、要望を関係機関につなげること。特に心のケアは身近なところでの支援が必要です」
2022年4月、北海道で発生した知床沖の観光船沈没事故でも、この支援室の機能が活用されました。20人が亡くなり、6人が行方不明のまま、乗客家族は今も苦しみの中にいます。
美谷島さんは国土交通省支援室のアドバイザーとして事故に関わり、乗客家族に寄り添い続けています。
美谷島邦子さん「再発防止のために、安全情報を一元化して発信して共有することが必要です。そして、ひとりひとりの悲しみを、社会がともに引き受けることが、安全の意識を変え、安全をつくることに繋がると感じています」
「安全には終わりがない」―被害者が残したもの、伝えたいもの
美谷島さんは安全の本質についてこう語りました。
「安全には終わりはありません。安全は守るものではなく、築き上げるものだからです。安全を図るのは、今までの失敗や事故の数ではなく、事故の痛ましい経験を知識として皆さんが共有し、安全を守るために実践をしてきたその数です。安全の最後の守り手は人間の意識でしかないと思います」
事故から41年が経ち、御巣鷹山に植えた30センチのもみの木は、空に届くような高さに育ちました。悲しみが土台となり、安全文化という幹が太くなっていく―美谷島さんが伝え続けてきた想いは、多くの人に広がり、もみの木のようにどこまでも伸びていくことでしょう。 (HBC報道部:大佐賀南)
【深掘り】残された家族に、事業者は何ができるのか―公共交通の「被害者等支援計画」が問いかけるもの
飛行機をはじめとする公共交通の大規模事故は、被害者本人だけでなく、家族の人生を一瞬にして暗転させます。深い悲しみと混乱の中に投げ出された遺族が最初に直面するのは、「何が起きたのか知りたい」という切実な願いと、途方に暮れるほどの孤独です。
賠償ではなく「寄り添い」を―国土交通省ガイドラインの原点
事故の発生直後から、被害者やその家族が生活を取り戻すまでの道のりを、交通事業者はどう支えるべきなのでしょうか。その基本方針を事前に定めておく仕組みが「被害者等支援計画」です。国土交通省は2013年3月、航空、鉄道、バス、旅客船の事業者を対象とした作成ガイドラインを公表しました。
この計画の基本は、補償や損害賠償ではなく、被害者やその家族への「寄り添い」です。安否や事故原因に関する正確な情報提供、現場での待機場所や移動の手配といった初動対応にとどまらず、心のケアや中長期的な相談窓口の設置まで、一貫して、被害者や家族らを支える体制を「事前に」築くことを求めています。
美谷島邦子さんは、2012年から全国の運輸局をまわり、公共交通を担う事業者に対し、計画の策定を呼びかけ続けています。
現実の壁―義務化されない計画と、知床の教訓
しかし、その備えは社会全体に行き渡っているとは言えません。国土交通省のまとめでは、全国で計画を策定・公表している事業者は458社(2026年3月末時点)。
大手航空会社や主要鉄道会社が網羅されている一方、バス(272社)や旅客船(67社)など地域の中小事業者では策定の遅れが目立つといいます。計画策定が法律上の義務ではなく、事業者が「自主的に」策定するものにとどまっていることが一因とみられています。
記憶に新しい知床沖の観光船事故でも、運航会社が支援計画を策定していなかったことが問われました。突然の惨劇を前に、準備のない事業者が混乱し、適切な説明を怠り、被害者家族の感情を受け止めていないととらえられる行いを見せれば、被害者家族の心に二重の傷を負わせることになります。
「リスクはゼロにできない」からこそ
今回のフォーラムには、北海道内の公共交通事業者から40人ほど、さらに運輸局の職員20人ほどが、オンラインも含めて参加しました。フォーラムを主催した北海道運輸局の公共交通事故被害者支援室が、運輸・交通を業務とする運輸局職員には美谷島さんの経験を直接聞いてほしいと、参加を呼びかけたといいます。
支援室の土屋尚範さんは「事故を起こしてはいけないが、リスクを完全にゼロにすることはできない。だからこそ、万が一の事態が起きたときに誠意ある対応をどのように尽くすのかを、平時から考え抜くことが重要」と、被害者等支援計画の意義と必要性を訴えました。
計画の策定自体が、結果として混乱する有事から事業者自身を守ることにもつながります。「支援に終わりはない」という現実を前に、すべての公共交通機関が向き合うべき課題です。
各事業者が策定した「被害者等支援計画」は、事業者のホームページなどで公表されていて、誰でも見ることができます。