【大原浩】日本人が知らない「温暖化対策」巨額すぎる無駄なコスト 見習うべきは日本の災害対策投資だ

「人類が排出する二酸化炭素が原因となって地球が温暖化し、将来大変なことになる」という「地球温暖化論者の主張」が、「宇宙人が侵略してくるから、今すぐ地球防衛軍を設立すべきだ」という主張以上の信憑性を持たないことは、10月9日の記事「『地球温暖化騒動』の『不都合な真実』に目を向けよう」ですでに述べた。

そもそも、二酸化炭素は、人類が化石燃料を使い始めてから突然出現したわけではない。
現在の空気の組成は窒素が約80%、酸素が約20%で大部分を占めるが、二酸化炭素は大気のうち約0.040%だけである。
シアノバクテリア(光合成細菌)が登場したおおよそ30億年前(学説によってかなりブレがある)までは、空気中に酸素はほとんど存在せず、この時に二酸化炭素を使用する光合成が行われることによって初めて酸素が登場した。
シアノバクテリアが大発生したことによって、当時ほとんどの生物にとって毒素であった酸素があふれ、多くの既存生物が死滅したと考えられる。
その中で、「毒素である酸素」に耐性をもち、むしろ高エネルギーの酸素を活用する「有酸素呼吸」をする生物が生き残り、世界を支配するようになったのである。
ダーウィンの進化論を持ち出すまでもなく、「酸素の登場という環境の変化に適応」した生物だけが生き残れることができた。
どのような生物も地球環境の変化に「適応」したから勝者になったのであり、有害な酸素を排除しようなどという「地球環境を変えようとする、神をも恐れぬ傲慢な考え」を持っていたとしたら全滅する運命を迎えたはずだ。
地球温暖化論者は、「地球環境が危機に瀕している」と大騒ぎするが、どのような環境なら「正しい」のであろうか?
自然環境に「正しい」「間違っている」など存在するはずもない。正しい、間違っているなどと論ずるのは、人間だけを基準にした反自然的行為である。人間に都合がいい環境が他の生物にも都合がいいとは限らないのだ。
また、ある試算では、2100年の地球の平均気温を0.05℃下げる(抑制する)ためには毎年1兆ドル以上のコストがかかる。

1億歩譲って、地球温暖化論者の言うことが正しいとしても、毎年100兆円(日本の国家予算と同規模、税収の約2倍)もの巨費を支出することは正当化しにくい。
ましてや「宇宙人が攻めてくるかもしれない」という程度の理由で、毎年数百兆円の費用をかけて地球の気温をコントロールしようなどというのは正気とは思えない。単純計算で、毎年1000兆円かけても地球の温度は0.5度しか低下しないのである。
もちろん、公害や環境汚染の対策は必要である。その問題は、ほとんど根拠がない「地球温暖化論」と違って、「目の前にある確かな危機」だからだ。
リベラル(偽装共産主義)の人々が、世界最大の二酸化炭素排出国に対してだんまりを決め込んでいることは、前述の記事で述べたが、日本にも多大な被害をもたらすPM2.5の原因を生み出している「環境汚染大国」=共産主義中国に対して、もっと大きな声を上げるべきであろう。
地球温暖化論に限らないのだが、「環境保護」を名目に、自然環境に手を加えることが逆に自然破壊につながることはよくある。
典型例が、ある特定の種を絶滅などから救うために、その種の天敵を退治したところ、その種だけでは無く、その天敵が抑制していた他の種が異常発生し、生態系が完全に崩れ去るという例である。
多くの環境保護論者が「自然は人間のためにある」という誤った考えを持っている。だから、「環境保護」という美名のもと「自然環境を自分たちに都合よく」変えようとしている。彼らには「環境保護をリードしている私たちは、他の人間より優れている」というようなエリート意識さえ感じる。

しかし、仏陀の教えを待つまでも無く、人間にとってはうっとおしい蚊、ゴキブリ、ハエも尊い命であり、自然の一部なのだ。「オケラだって、カエルだって、みんな生きているんだ」という歌をご存知の方も多いであろう。
どのような命にも価値がある。しかし、感染症を媒介するような生物を駆除してきたからこそ、人類は現在のような「健康で文化的生活」を送ることができるのだ。
つまり、我々の文明は、いわゆる「自然の犠牲」の上に成り立っているのであり、そのことを胸にしっかり刻み感謝することは大事だが、自然の脅威から身を守ることを否定してしまったら、人類の文明そのものがなり立たない。
ネズミが媒介するといわれ、欧州で黒死病と呼ばれたぺストの大流行も自然の一部なのである。
コオロギの鳴き声に「音楽性」を感じるのは日本人だけだという話をよく聞く。日本以外の国々の人々には、単なる鳴き声、つまり騒音でしかないということだ。
この話の真偽はともかく、今回の台風だけでは無く、地震も含めた数多くの災害が発生する日本で、人々が「自然と共生」しようと絶え間ない努力を行ってきたのは素晴らしいことである。
いつも人々にやさしいとは限らない自然を神とあがめて受け入れ、自分たちのできる範囲で共生してきたのだ。決して「自然環境そのものを変えよう」などと、恐れ多いことは考えなかった。

しかし、日本人たちは自然がなすがままになっていたわけではない、少なくとも江戸時代には治水工事が盛んに行われるようになり、そのおかげで災害時に失われる人命は徐々に減ってきた。
今回の台風19号は、おおよそ1200人が亡くなった1958年の狩野川台風に比べて、死者は今のところ100名を大きく下回る(亡くなった方々のご冥福をお祈りします)。
もちろん、1名でも人命は尊いが、死者数が劇的に減ったのは、治水をはじめとする防災工事や情報伝達の徹底など、事前の対策が効を奏した結果であるといえる。
年間100兆円以上の資金を費やして地球の気温を0.05度下げるくらいなら、その費用の十分の一でいいから、災害対策に使えば世界中の多くの尊い命が救われるはずである。
繰り返すが、人類は地球環境に適応してきたからこそ生き残ってきたのだ。決して、地球環境を変えたから生き残ってきたのではないし、そのような途方もないことなどできるはずもない。
防災対策といえば、どうしても「悪夢の民主党時代」を思い起こさずにはいられない。
鳩山由紀夫総理(当時)は、2009年9月22日の国連気候変動首脳会合で、温室効果ガスの1990 年比25%削減構想という、途方もない提案をした。
地球温暖化騒動で潤っている人々は拍手喝采したであろう。しかし、そのおかげで今日に至るまで、国民の税金だけではなく、多額の企業負担(最終的には消費者が負担する)が生まれることとなった。
一方で2009年11月に、民主党政権は、2010年度予算編成のための「事業仕分けを行った」ことを記憶している読者も多いであろう。
民主党政権誕生に大いに協力したオールドメディアでは、この仕訳で何が行われたのかに関して、現在「報道しない自由」を駆使しているが、ネットでは当時の民主党の行いが晒されている。
民主党が行ったのは、結局「国民の命を守る災害対策」の費用をとことん削って、怪しげな「地球温暖化対策」に資金を費やすということだったのだ。

政府はもちろんのこと、企業も「地球温暖化論」に踊らされることなく、本当に国民が必要としている分野に資金を使うべきだ。
例えば、企業のESGでは「二酸化炭素排出削減」ばかりが強調されるが、それはまったくの無駄使いだ。
その資金を、治水工事や備蓄、さらには防災研究などに使った方がよほど効果的だ。
インターネットのおかげで情報の非対称性が減ったのだから、国民は怪しげな情報に踊らされることなく、正しい情報に基づいて、政府や企業にもっと意見すべきだといえよう。
参考文献「インフラ整備は温室効果ガスの削減より効率的だ」池田信夫(アゴラ 2019年10月14日記事)