国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」の中止された企画展「表現の不自由展・その後」をめぐり、同祭の芸術監督・津田大介氏と、同展の実行委員会が2019年9月2日、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で時間を分けて「別々に」会見し、展示再開の協議などをめぐる双方の「溝」が浮き彫りになった。
実行委側は、展示中止の決定が津田氏や大村秀章・愛知県知事によって一方的になされた旨を主張。「芸術作家と表現の自由を守らなければならないというなら、作家と私たち(実行委)に意見を聞いて、悩みを共有すべきだったと思います」と対応への不満をあらわにした。
津田氏「僕としては相互のやり取りがあったと認識しています」
8月1日に始まったあいちトリエンナーレだが、「表現の不自由展・その後」をめぐっては慰安婦問題を象徴する少女像や、昭和天皇をモチーフにしたとみられる肖像画を燃やす映像作品などが展示されたことで、開幕直後から抗議が殺到。わずか3日間で展示中止が決定した。芸術祭全体の事務局をおく愛知県は8月15日「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」を設置し、検証を進めている。
芸術監督の津田氏は9月2日午後、同展実行委員会に先んじて会見を開き、中止の理由を説明。テロを予告する脅迫ファクス・メールが届いたほか、抗議電話が殺到したことで組織機能が一時停止状態に陥り、「円滑で安全な運営の担保ができないと思った」などと話した。
津田氏会見の終了30分後、実行委3人が同じ会場で会見を開くスケジュールになっていたが、報道陣からは「なぜ会見を分けて開くのか?」との質問があがった。津田氏は「僕は不自由展実行委員会の方々も同席した記者会見を望みました。ですが不自由展の方々(=実行委)には同席を断られました」と説明。津田氏と実行委側とで認識の違いがある点について次のように話した。
また津田氏は、実行委の小倉利丸氏が展示中止後のシンポジウムで「不自由展への脅迫がきているのに警察が動かなかった。芸術祭事務局がサボタージュした」旨の発言をしたとして、「これは明確に事実と異なります」と反論。警察に被害届を出しており、受理されたと説明した。
実行委員「ぜひ両方の会見を聞いて公平に記事書いてくれれば」
津田氏の会見には、そのあと会見予定の実行委・岡本有佳氏が報道側の席で参加しており、途中で司会から発言を促された。岡本氏は「なぜ(津田氏と)一緒に会見しないか。理由は2つあります」として会見を分けた背景を説明した。
直後に開かれた実行委の会見では、津田氏や大村知事への不満が次々に飛び出した。岡本氏は「大村知事と津田監督は開幕たった3日で『表現の不自由展・その後』の中止を決定しました。表現の自由への侵害であり、作家と表現の自由を守らなければならないというなら、作家と私たちに意見を聞いて悩みを共有すべきだったと思います」と主張。実行委はこれまで開催してきた展示会を通じ、職員への事前研修などが抗議への対応として重要であると学んできたと説明したが、「事前研修が実施されてないなど準備が十分でなかった」としてこう指摘した。
また「攻撃のターゲットとなった少女像は、戦争と性暴力のない、女性の人権と尊厳の回復を願う芸術作品です。こうした被害者の記憶、歴史的記憶を掲げるときに、今回『ジェンダー平等』をあげたあいちトリエンナーレはまず声をあげるべきだったと思います」と、芸術祭全体のテーマとも絡めてあいちトリエンナーレ側の対応を批判した。
「言論・表現の自由を守るために持てる総力を使ったのか」
ともに会見に出席した実行委アライ=ヒロユキ氏も「今回の問題はパブリックフォーラムの法理を連想しました。公共空間・公共施設での言論の自由は、人身の安全が保障される限り最大限認められるべきというものです。この言論・表現の自由を守るためにあいちトリエンナーレ事務局は持てる総力を使ったのか。公共空間を使うものとして社会的責任をまっとうしたのか、これに私は懐疑的です」と津田氏や大村知事らあいちトリエンナーレ側を批判。もう1人の出席者・小倉利丸氏も「表現の不自由展の作品は、歴史認識や天皇制をめぐって検閲されたものばかり。この国の表現の不自由が抱える最も深刻な問題がこの問題だと思います」と指摘した。
岡本氏は、津田氏が会見で言及した「中止が一方的に決められたかどうか」についても言及。次のように中止までの経緯と、その後の対応について順を追って説明した。
上記のように津田氏は、「事務局がサボタージュした」という小倉氏の話に反論したが、小倉氏はこれについて説明。「愛知県が開いた第1回検証委員会に出された資料に『あいちトリエンナーレ これまでの経緯』という文書があります。そこに書かれていることを読みます。8月2日朝、ガソリンテロを予告する脅迫ファクスを発見。(愛知県警)東警察署に通報。8月6日、2日の脅迫ファクスに対する被害届を東警察署に提出。2日のファクスに対して被害届は6日です。8月14日、脅迫メールに対する被害届を東警察署に提出。2日までに大量の脅迫メールが来たと言われていますが、被害届は14日。この空白は謎だと思いますが、県が検証委員会に出した経緯はこれであり、私はこれを言っただけです」と話している。