台風19号の記録的大雨で千曲川が決壊し、甚大な被害を受けた長野市では、江戸時代からの大水害を教訓に住民らが決断し、いち早く避難していた。
台風上陸約3時間前の12日夕、同市北東部にある長沼地区内の各区長らが顔をそろえ、避難の陣頭指揮を執った。赤沼区長の柳見沢宏さん(67)は「死者2人や要救助者を出した以上、今回の避難にプラス評価はできない」としつつも、「あの状況で最大限の行動ができたのは伝承された水害の記憶、住民の訓練があってこそだ」と明かす。
被災住民の多くは口をそろえて、千曲川史上最大の洪水として知られる1742(寛保2)年の「戌(いぬ)の満水」などの水害の歴史を語る。戦後も5回にわたり大水害に見舞われ、支流の浅川を「暴れ川」などと呼んで警戒。地区には妙笑寺などに過去6回の千曲川大洪水水位標が設けられている。
市長沼交流センターの宮沢秀幸所長も「水害の恐怖や対処法などの災害文化が途切れず伝承されてきたことが大きい」と強調。例年梅雨入り後の6月末には避難訓練をし、子どもからお年寄りまで300人余りが参加してきた。
国の千曲川河川事務所が策定した防災マニュアルの避難目安は、河川の水位が「7メートル」とされていた。しかし、大町区長の岩崎貴裕さん(62)は「想定を超えるペースで増水する恐れがあり、これではまずいと、6メートルに達した時点で全員避難することになった」とし、「1メートルの余裕」が明暗を分けたという。
ただ、治水への関心はひときわなだけに、今回の決壊は大きなショックだ。堤防事業の必要性を訴え、寄付もした西沢和雄さん(79)は「(堤防の完成は)悲願だった。今回は一番安全だと思っていたのだが」と落胆。妙笑寺住職の妻、笹井妙音さん(69)も「河床の掘削で流れが急激になり、一部の堤防には(補強する)矢板が施されていなかった。ちゃんと工事していれば被害は抑えられたのではないか」と疑問を呈した。