西寺跡で講堂の基壇を発見 平安京内の建物で初

京都市文化財保護課は24日、同市南区唐橋西寺町の史跡「西寺(さいじ)跡」などで実施した発掘調査で、平安時代初期に創建され、鎌倉時代に廃絶した西寺の講堂の基壇や五重塔跡とみられる柱の基礎を確認した、と発表した。同課によると、西寺の主要建物遺構の発見は初めてで、平安京内の建物の基壇が発掘されたのも初めて。「現存する東寺と並んで平安京を代表する大寺院だった西寺の実態を知る上で、極めて貴重な発見」としている。
西寺跡の中心部に位置する公園内の2区画計約152平方メートルと、南西部の住宅地の3区画計約174平方メートルを9月末から調査。中心部では昨年の調査で南端の一部が確認されていた。高さ約1・5メートルの基壇と正面階段の跡、壇上の礎石1カ所、礎石を抜き取った穴4カ所、壁部分の石敷きなどを検出した。
調査地は中世以降「コンド山」(高さ約3メートル)と呼ばれた小高い丘で、松尾大社(西京区)の祭礼で神輿(みこし)を据えて神事が行われてきた。上部は瓦を含む焼け土で覆われており、講堂が990(正暦元)年の火災で焼失した後、基壇の上に盛り土して祭祀(さいし)の場にしたと考えられる。礎石は焼けた痕跡がなく再建に向けて設置したものとみられるが、基壇は832(天長9)年の創建時のもので、後世に手が加えられた可能性もある東寺を除くと、大内裏や諸門の遺跡も含めて、平安京当時のまま残された唯一の基壇遺構となる。
中央部と東南角の柱跡が検出された結果、講堂が正面に8本の柱が並ぶ東西30・1メートル、南北15・5メートル(または16・7メートル)の建物で、10本の柱が並ぶ東寺講堂(東西34・9メートル、南北15・5メートル)より一回り小さかったことが判明した。東寺と西寺は元来、朱雀大路を挟んで左右対称に計画されており、東寺講堂の完成が西寺より7年遅いことから、同課は「空海に与えられた東寺では、立体曼荼羅(まんだら)の仏像群を収容するために計画を変更して講堂を広げた可能性がある」としている。

また、南西部では柱の位置に穴を掘り、土砂を突き固めて基礎とする「壺地業(つぼじぎょう)」(直径約2メートル、深さ約0・5~1・2メートル)12カ所を検出。柱の位置を補強した上で地面の上に基壇を築いたとみられる。基壇の上にあった心礎(心柱の礎石)が確認できないため断定できないが、等間隔に4列が整然と並ぶ構成や大がかりな基礎構造から、通常の堂や蔵とは考えにくく、「五重塔跡の可能性が極めて高い」という。
網伸也・近畿大教授(考古学)は「西寺跡がこれだけ良い状態で残っていたことに驚いた。基壇も壺地業も奈良時代とは異なる構造で造られており、実態がよく分からない平安宮など平安時代の建物のあり方そのものを考える上で画期的な成果」としている。
現地説明会は26日午前10時~正午。問い合わせは現場事務所(080・1402・4443)。【澤木政輝】