「おまえらが殺した」と罵られる児相職員の信念

※本稿は、読売新聞社会部『孤絶家族内事件』(中央公論新社)の一部を再編集したものです(年齢、肩書は取材時)。
「警察から8歳女児について虐待通告。母親が暴れたと警察が覚知。女児は『母親によくたたかれる』と話している。母親には発達障害あり」 「夫婦間暴力の両親による心理的虐待。家を出た母親が2歳と0歳の兄弟と車中泊繰り返す」 「警察から午前1時頃、15歳男児が『父親に殴られた』と交番に駆け込んできたとの通告。何発殴られたか分からないが、唇が腫れている」……。
2017年6月下旬、倉敷児童相談所(岡山県倉敷市)の会議室。虐待家庭の資料が詰まった分厚いファイルが積み上げられた机を囲んで、直近1週間で同児相に寄せられた0~17歳の子ども23人に関する虐待通告の説明が続いていた。
「一時保護」で子どもを親から強制的に離すべきかどうか。今後の親子の生活をどう支えるか。会議では、同児相のケースワーカーが受理した虐待通告の概要を説明し、集まった児童福祉司、児童心理司、保健師ら職員約30人で議論しながら、子ども一人ひとりについて対応を決めていく。
「とりあえず、定期的に家庭訪問して、親子の話を聞きながら対応していきたいと思っています。里親の利用も検討していきます」
女性ケースワーカーが、母親からのネグレクト(育児放棄)と身体的虐待が疑われる小学生の女児についての今後の対応方針を説明し終えると、間髪を入れず、会議室に大きな声が響いた。「心理司の意見は?」。机に向かって時折腕を組み、じっとやりとりを聞いていた所長の浅田浩司さん(54)だ。
「(女児は)両親の夫婦関係をうまくいかせるために動いていて、自分の気持ちを話せないでいる状態。しんどいところだと思います」。発言を求められた児童心理司の男性職員の説明を聞くと、浅田さんは力を込めてこう主張した。
「本当に今の環境で、この子を守れるのか。父親、祖父母がどれだけ協力できるのか。もっと強めの介入が必要かもしれん。予想外のトラブルを想定して準備を進めるべきだ」
女児に対しては、職権での一時保護を含めて、検討することが決まった。
約3時間にわたる会議に、終始、厳しい表情で臨んでいた浅田さんには、忘れられない記憶がある。
この会議からさかのぼること10年、2007年の正月のことだ。
「あの子が死んでしまった」。仕事始めの前の日にかかってきた上司からの電話に、当時、同児相で現場職員の統括役だった浅田さんは言葉を失った。前年の春から担当していた4歳の男児が亡くなったという連絡だった。
振り返れば、予兆はあったと思う。年末に「母親が『子どもの首を絞めてしまった』と話している」との通告が幼稚園から寄せられていた。別の職員が家庭訪問したが、母子が外出中で会えなかった。同じ頃、浅田さんは0歳児が虐待されたという別の通告に対応し、一時保護した後に預ける乳児院の確保に追われていて、この母親とは面会ができないまま年を越した。
心に少し引っかかったものの、浅田さんは、母親がそれまでに市の窓口などに「子どもをたたきそうだ」「家から閉め出した」などと頻繁に相談していたことから、「虐待してしまいそうになったら自分から相談してくるはずだ」とも考えていた。年明けすぐに家庭訪問し、さらなる対応を検討しようと思っていたところだった。
しかし、浅田さんの対応を待たず、男児は母と2人きりの自宅で唐辛子を口に入れられ、窒息死した。男児は、虐待を理由に過去に児相に保護されたことがあり、男児の兄は保護されたまま、自宅に戻されずにいた中での事件だった。
「幼い命をなぜ守れなかったのか」 「児童相談所が虐待を見逃した」 「殺したのはお前らだ」
事件が報道されると、批判の電話が全国から殺到した。
鳴りやまない電話の中、浅田さんはショックで頭が真っ白になっていた。
明確な身体的虐待はないが、ネグレクト(育児放棄)の傾向が強いという、対応の難しいケースだとは分かっていた。細心の注意を払ったつもりだったが、一方で母親とはコミュニケーションが取れているという思いもあった。これが慢心につながったのだと批判されたら、返す言葉は思い浮かばなかった。
自分は何かを見落としていた可能性がある。であれば、担当している他のケースでも、同じような結果になってしまうのではないか――。そう思うと怖くなり、児相の倉庫に徹夜で籠もった。すべての家庭の資料を読み返し、改めてチェックしても、「この子らも死んでしまうのではないか」という不安は消せなかった。
母親の精神状態が不安定、きょうだいを保護している、保護した後に自宅に戻した……。この事件との共通項を抱える家庭は無数にあった。100カ所以上の家庭を訪問し、子どもの安全を確認する日々が続いた。夜になっても、気になる子の姿が浮かんで、眠れない。虐待の情報が寄せられる家庭は、すべて何らかのリスクが潜んでいるように見えた。
そして、一時は、ほんのわずかなリスクでも、子を親から離す保護を選択した。浅田さんだけでなく、県内、いや全国の児相全体が、そうした傾向を強めていった。
しかし、一方で、保護ですべてが解決しなかった事例もあった。
母親からの暴力で保護した小学生の姉妹は、児童養護施設で暮らしている間に母親が亡くなった。浅田さんによると、2人は18歳になる前に施設を出たが、貯金も行き場所もなく、貧しい生活を強いられたという。
児相の権限で保護を継続できるのは、原則として子どもが18歳になるまでだ。自宅や家族といった生活の基盤を持たずに社会に出ていかざるを得ない子どもも多い。
保護された後に家庭に戻った子を愛せないという実親、希望しても大学に進学できない施設出身の子どもたち、「実の子ではない」と里親から告知を受けた子の葛藤……。虐待で保護された後、施設や里親家庭で育ちながら様々な苦労に直面した子が成人後、「自分の子は施設に入れたくない」と語り、「絶対に親と同じことはしない」と言いながら、わが子を虐待してしまう。そんな「負の連鎖」を、浅田さんは繰り返し目にしてきた。
虐待通告があるたび、児相は難しい判断を迫られるが、浅田さんの考えは、親子が一緒に暮らす道をギリギリまで探りつつ、虐待の危険性を冷静に見極めること。これを基本線としてきた。
ともに虐待対応に当たる部下の女性保健師(46)から見れば、浅田さんは「誰よりも危機感が強く、いつも最悪の事態を考えている」存在という。
そんな浅田さんは、今でも「事件」の恐怖感を拭えないままだ。緊急の対応に備え、早朝から深夜まで職場から離れず、会合などがなければ飲酒もしない。そして、すべての子どもを保護することで解決が図れるわけではないこともわかっている。
部下には、自戒の思いも込め、いつもこう説いている。
「我々は専門家である以上、『精いっぱいやった』ではダメだ。子どもを救えなければ意味がない」
救うのは、子どもの命であり、人生。10年前のつらい経験を経て、その思いが揺らぐことはなくなった。
児童虐待で子どもが命を落とす悲劇は、今も全国各地で後を絶たない。死亡例は、都道府県や政令市など、児童相談所を設置する自治体が2012~15年度に把握しただけで255件に上る。
なぜ救えなかったのか。
それを考えるうえで、まずは死亡に至った事例の検証が欠かせないが、読売新聞が2017年に調査をしたところ、事例255件のうち、自治体が検証を実施していたのは5割にとどまっていた。厚生労働省は、児相を設置する全69自治体にすべての死亡事例を検証するよう求めているが、警察など関係機関との情報共有の難しさや職員の不足などから検証が進んでいないのが実態だった。
児童虐待防止法は、国と自治体が重大な虐待事例を検証するよう規定しており、厚労省は2011年、自治体にすべての虐待死事例を検証するよう通知した。読売新聞は2017年6~7月、これらの69自治体に通知後の検証状況をアンケート調査し、すべての自治体から回答を得た。その結果、2015年度までの4年間に自治体が把握した死亡事例(心中を含む)計255件(死者291人)のうち、検証が実施されたのは51%にあたる130件(同147人)。また、虐待死があったと回答した56自治体のうち、6割以上の35自治体で未検証の事例があった。
その理由(複数回答)としては、「判明まで(虐待の相談を受けるなど)行政の関与がなかった」(26自治体)、「警察や病院など関係機関から情報が得られない」(7自治体)などの回答が目立った。一方で、神奈川県や長野県、大分県などは、虐待が判明するまで行政の関与がなかった事案も、医療機関などから情報を得て検証を行っており、取り組みに差が見られた。
検証率向上のため国に求める対策(複数回答)としては、「警察などから情報を得る仕組み作り」(36自治体)、「検証を行うための人手・予算の確保」(32自治体)などが挙がった。
死亡事例の検証に数多く携わる奥山眞紀子・国立成育医療研究センターこころの診療部長は、「検証率5割は低すぎる。亡くなった子どもの死を無駄にしないためには、自治体がなぜ関与できなかったのかを含め真摯(しんし)に検証することが重要だ」と指摘している。
平仮名ばかりのノートには、両親に許しを請う言葉がつづられていた。
書いたのは、2018年3月、東京都目黒区で両親から虐待を受けた末に亡くなった船戸結愛(ゆあ)ちゃん(当時5歳)。その年齢とは不釣り合いな少し大人びた印象を与える言葉が、まだ幼い結愛ちゃんが抱えた苦しみの大きさを物語り、社会に大きな衝撃を与えた。
十分な食事を与えられず、低栄養状態で引き起こされた肺炎による敗血症で亡くなった結愛ちゃんもまた、以前に住んでいた香川県で児相に一時保護され、自宅に戻った後に東京に転居して、被害に遭った。
結愛ちゃんの事件がなぜ起きたのか。防ぐすべはあったのではないか。厚生労働省が、虐待リスクの見極めや情報共有に不備があったとする検証結果を公表してからわずか3カ月後の2019年1月、今度は千葉県野田市で同じような事件が起きた。小学4年生の栗原心愛(みあ)さん(当時10歳)が自宅で死亡し、その父親が虐待したとして逮捕されたのだ。
心愛さんは、亡くなる1年以上前、学校のいじめアンケートでSOSを発していた。
「お父さんにぼう力を受けています。夜中に起こされたり、起きているときにけられたりたたかれたりされています。先生、どうにかできませんか」
助けを求める心愛さんを児童相談所はいったん保護したが、約3カ月後に自宅に戻した。その直前に児相職員と向き合った父親は「父と娘を会わせない法的根拠はあるか」などと、心愛さんを戻すよう威迫的に要求したという。児相は自宅に戻した理由を「保護者の拒否感が強い中、学校できちんと見ていただこうという形になった」と説明した。
やはり、というべきか、児相の「他力本願」は通じなかった。自宅に戻ってから1年もたたないうちに亡くなった心愛さん。暴力を振るった疑いがあるとして逮捕された父親には、真冬の浴室で心愛さんに冷水のシャワーをかけた疑いも浮上した。
結愛ちゃんも、心愛さんも、一度は虐待を理由に保護された後、再び自宅で親と暮らした末に、その幼い命を奪われた。児相は、虐待が繰り返される可能性を把握しながら、2人の家庭に潜んでいた危険性を見極め、適切に対処することができなかった。
繰り返される悲劇に、政府も何度目かの「抜本策」を打ち出した。2022年度までに、児童相談所で相談に応じたり必要な指導を行ったりする児童福祉司を約2000人増やし、現在の1.6倍にする計画を発表。専門性を高めるため、児童福祉司に任用する要件の厳格化を検討することを打ち出し、支援する職員の質量の充実を図るとした。さらに、児相が子どもを保護せずに在宅で指導しているすべての虐待事案について、子どもの安全を緊急点検した。
しかし、これがどれだけの「結果」につながるのかは未知数だ。
親や親族によって幼い命が奪われる悲劇の連鎖を、どうすれば断つことができるのか。子に手を上げ、傷つける可能性がある親に対し、児相はどう対応するべきなのか。「保護」の判断に抵抗する親に対する児相の権限は現状で十分なのか。警察や裁判所など他の機関ができること、地域社会や、それを構成する私たち一人ひとりがもっと関われることはないのか。
これらの古くて新しい課題に対する答えを、行政も社会も、そろそろ見いださなければならない時期に来ている。
(読売新聞社会部)