停車バスが生む死角、歩行者・自転車・車が入り乱れて…#危険なバス停<3>

今回の報告では、横断歩道に近接する「危険なバス停」が各地に存在する背景と、他の場所にバス停をなかなか移せない事情を考えたい。
話の舞台は、横浜市内のバス停「宮田中学校前」。読売新聞社会部の取材班が撮影した動画の冒頭に出てくる十字路である。

動画のURL(https://www.yomiuri.co.jp/stream/2/13059/)
「乗客が乗り降りするために止まっているバスの脇を、車が飛び出るように通り過ぎる。とっても怖い」。8月、横浜市保土ヶ谷区の40歳代の会社員女性は話した。
女性が暮らす地域は、車がやっとすれ違える細い道路がうねうねと縫う。バス停「宮田中学校前」は、住宅街の十字路の角にある。
十字路を囲むように四つの横断歩道が渡されている。ただ、バス停に止まった路線バスの車体は交差点の大部分を塞ぎ、横断歩道を渡る歩行者を車の視界からほとんど遮ってしまう。
交通量は多い。朝のラッシュ時は1時間に9本のバスが止まり、自家用車やトラックが行き交う。歩く人、自転車、先を急ぐ車……。伊藤

安海
( やすみ ) ・山梨大教授(安全医工学)は「停車中のバスが死角を作ると、追い越す後続車や対向車、横断歩道を渡る歩行者が入り乱れて事故が起きやすい」と指摘する。
女性には幼稚園に通う長女がいる。バス停から横断歩道を渡ると公園もある。娘は動きたい盛りなので、離れないよう手を握りしめて歩くが、やはり危なっかしい。
1年ほど前、女性は地元の「相鉄バス」(横浜市)に電話をかけてバス停を他の場所に移すようお願いした。でも、「難しい」と回答されたという。

読売新聞の全国調査では、こうした「危険なバス停」は少なくとも16都府県で441か所に上る。なぜ各地に存在するのだろうか。
1950~70年代の高度経済成長期には、バス停の新設や道路の整備が進んだ。関東地方の自治体の担当者は「当時は、国全体として、安全性よりも、人やモノの輸送量をいかに増やすかに腐心していた」と話す。
「宮田中学校前」のバス停は59年にできた。相鉄バスによると、最初は横断歩道がなかったが、その後、道路の舗装に伴って敷かれたとみられる。
バス停を新設・移設するには、バス会社が警察や道路管理者の許可を得ることになる。ただ、横断歩道とバス停との距離を規制する法律や全国基準はない。
警察庁と旧運輸省(現国土交通省)は90年、「バス会社がバス停の位置を変更するときは、あらかじめ地元の警察署長に意見を聴く」と覚書を交わした。
今は、都道府県によっては「30メートルは離す」「15メートル以内には置かない」といった目安を警察が設ける。ただ、危険なバス停を動かすにしても、移設先の住民の同意が前提だ。毎朝、バスを待つ人の列が家の前にできても構わない人は少ない。
結局、危険なバス停の多くは手つかずの状態となる。相鉄バスは昨年から「宮田中学校前」の移設先を探すが、メドは立たない。十字路の横断歩道を一つ消す方向で検討されている。

危険なバス停の付近では人身事故も起きている。バスで横断歩道の状況が見えにくい場合、車はいつでも止まれるよう徐行する法律上の義務がある。車のドライバーが事故を起こせば加害者として刑事責任を問われるが、横断歩道に死角を作るバスの存在がクローズアップされることはほとんどない。
バスが死亡や重傷などの重大事故を起こした場合、バス会社は国に事故報告書を提出することが義務づけられている。ただ、バスが直接の当事者でなければ、その必要はない。公営の路線バスを手がける自治体の大半は、事故当事者でない限りは内部向けの報告書も作っていない。
伊藤教授は「国は、自治体や警察、バス会社と連携して、危険なバス停の数を調査し、横断歩道とバス停との距離について最低基準を設けるなど、安全対策を講じるべきだ」と提言している。

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