汚れた海「東京湾」は本当に回復しているのか

東京湾の環境は回復していると言われますが、はたして実態はどうなのでしょうか?(写真:Yoshitaka/PIXTA)
目前に控えた東京オリンピックをきっかけに、関心が高まっているのが東京湾の環境だ。いまだ大腸菌の検出などが見られるなど、本当に国際競技ができる環境にあるのか、その環境を疑問視する声も上がる。
東京湾を熟知し、『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)でダッシュ海岸企画を監修する海洋環境研究家・木村尚氏は「『東京湾は回復している』という言葉だけが独り歩きしている」と語る。
※本稿は、木村尚『都会の里海 東京湾 人・文化・生き物』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
東京湾の後背地の河川流域や沿岸には、約3000万人が暮らしています。この3000万人もの人々の生活と、社会の発展を支えなければならなかった東京湾は、さまざまな形で傷ついてきました。
工業立地や物流基地、港湾機能の拡張や拡大、ごみ処分や住居スペースを生み出すための埋め立て――。その進展は同時に、水質浄化機能や生態系を保持していた干潟、浅場、藻場の埋め立て、工業排水や生活排水による水質汚濁を意味してきました。
排水による過度な栄養供給があれば、プランクトンが異常増殖(いわゆる赤潮化)します。さらに、そうしたプランクトンなどの有機物が死に、海底に堆積すれば、それを分解するため、海中にある大量の酸素が過剰に消費されます。
今度はそれによって貧酸素状態が常態化し、それが湧昇すれば青潮が発生します。そうなれば十分な酸素を取り入れられない生き物は減少し、漁業も衰退。さらには東京湾と直接触れ合える場所も減少し、東京湾での遊びや文化の衰退がもたらされる。まさに「負のスパイラル」です。
近年まで、日本はなんとか経済発展を遂げるため、その努力を続けてきました。実際、少しでも豊かに暮らしたいと誰もが必死でしたし、そうしていくことが環境などにどう影響していくかということまで、気が回らなかったのは事実でしょう。
かくいう私も、そうした経済成長の中で過ごしたわけですから、単純にそのことを責めることはできません。しかし、気を回さなかった結果として、今では東京湾の環境のみならず、自然と人間、人間と人間、そして社会全体にまでそのほころびが目立ってきたように思っています。
東京湾の環境が回復している、という側面について本当によく報道されています。しかしその回復が「本当に意味のあるものなのか」という検証や、「どこまでが事実なのか」といった正しい理解まで進んではいません。
そこで皆さんが日頃なんとなく抱いている印象と、乖離している実態、いわゆる「勘違い」について、ここで整理させていただこうと思います。
勘違い /綣舛篭畴になって改善している
近年、環境問題への取り組みが重視されてきた中、確かに東京湾の水質環境についても改善のためにさまざまな対策が取られてきました。
とくに流入する汚れの量(負荷量といいます)についての対策は進んでいて、汚濁のもとになるCOD(化学的酸素要求量。水中の有機物を酸化する際に必要となる酸素量を表し、高いほど汚染されている)の値は、この30年でなんと半分以下にまでなりました。
しかしながら流れ込む量は減っても、東京湾の海域で見た際、その水質が改善されているわけではなく、ここ25年、横ばいの状態が続いています。
これについては、いくつかの理由があります。ここではざっとしか述べませんが、水質の浄化に一役買う、浅場や干潟の大幅な減少が大きな理由として考えられています。
一方、長年の蓄積で海底に汚濁源が今も堆積しているため、ずっと栄養分過多の状態が続いていることもあるでしょうし、また、東京湾は閉鎖性の内湾なので、外海との海水交換もあまり行われないこともあります(ただしここでの汚濁は、栄養過多という意味で、化学的な汚染ではありません)。
つまり、これらの結果として東京湾の水質は再生が進んでいない、むしろ放っておけば、放った分だけ負の循環がさらに続く、というのが現状なのです。
勘違い◆ゝ獲量は近年になって回復している
恵まれているその地形に加え、黒潮や湾に注ぐ大きな河川からの養分などの影響で、もともと豊かだった東京湾。それこそ大昔から1950年代まで、東京湾内での漁業は大変に活発でした。
そして漁獲量でいえば、そのピークはなんと1960年。それほど昔ではありません。
しかし当時19万トンまであった漁獲量も、そこから激減。今ではたった2万トンにまで落ち込んでしまいました。まさに劇的といえるほどの減少です。
この数字は、埋め立てや開発が進み、干潟や浅場の減少に伴って減り続け、実は環境への配慮がされるようになった現代にあってもほとんど回復していません。エビやカニに至っては、残念ながら今もほとんど漁業としては成り立たないような状態が続いています。
確かに生き物としては、ブリやサワラも姿を見せるようになりましたし、マダイなども釣れるようになりました。そういう意味で、少しずつ環境が改善してきた兆しが見え始めているとは思いますが、昔の海のようにただ単純に増やしたい生き物を放流しても、その生き物が棲める環境がなければ増えません。
あくまでそうした生き物が定住できて、再生産されるような環境を復元することのほうがずっと重要です。
ではそういう意味で、現在の東京湾はどうなのかというと、私は毎月のように潜水していますが、よくなったとはまったく感じていません。海底の広い範囲にイオウ細菌が繁茂して、貧酸素が起きており、生き物がいない状況が見られています。場所によって生き物が見られるといっても、漁業として成立するほどの量には到底なっていない。まだまだ努力が必要、という表現のほうが正しいのではないでしょうか。
勘違い 各所の努力が結実している
私が東京湾の環境再生に尽力している、と聞くと皆さんは良好な反応を示してくれます。
しかし、自らの体を動かし、お金や時間を費やしてまで、その再生に向けて活動する方や組織は、まだ極めて少ないと言わざるをえません。いろいろな問題が複合的に絡まっているので、簡単にこれが悪い、あれがいい、とは言えないのですが、はっきりしているのは、私たちの普段の生活と、東京湾との関わりがあまりに希薄になっている、ということです。
東京では、経済活動を優先した土地利用や、防護機能の向上にばかりどうしても重点が置かれ、海辺にたどりつくことすらも難しくなってしまっています。そうなれば、海へ向けられる想いや愛は、どうしても薄れてしまうのではないでしょうか。
また、社会が“今”の快適さを追求するあまり、将来のためにお金や時間を使う、という考えになりにくくなっているのも、顕著な結果にまで至らない理由と思われます。
以上、典型的な誤解をまとめてみました。皆さんも同様の勘違いをしてはいませんでしょうか。

東京湾の環境は、近年よくなった、と言われることが増えました。確かに部分的には回復したところもあると思いますし、流入する汚れも、かつてに比べて格段に減っています。
しかし、東京湾に残されている「傷跡」は想像を超えて深い。しかも埋め立ての影響などで、自然治癒もあまり期待できない状況にあるため、このままでは劇的な回復は望めません。
だからといって、何もしなければ現状維持どころか、さらに悪化する可能性がずっと高くなってしまいます。そのため私は、その環境の回復に向けてさまざまな活動にこれまで注力し続け、現状を訴え続けています。
現在、間近に迫る東京オリンピックをきっかけに、東京湾の環境への関心が高まっています。しかし大事なのはさらにその先の未来であり、本当の意味で東京湾を復活させるためには私たち一人ひとりがどのように行動すればいいのか、どのように湾に親しめばいいのか、そこに少しでも思いをはせていただければ幸いです。