マツダのEVは何が新しいのか?(前編)

10月24日から11月4日まで、東京ビッグサイトで開催されている東京モーターショーの見どころを紹介していきたい。

第一弾は、今や極めて少数になった東京ショーのワールドプレミア。つまりこのショーで世界初お目見えになるモデルだが、それは同時にマツダ初のEVでもある。マツダMX-30である。

古の時代はさておき、現在の流れにつながるという意味で、世の中に第1期生のEVが誕生したのが2010年頃。具体的にいえばそれは日産リーフとテスラ・Model Sのデビューが契機だろう。そこから10年。EV時代到来がいわれ続け、しかしその割には普及しない。

EVの10年
EVの現状は、自動車全体に対して1%少々というところだろう。書き方が曖昧なのは統計がグダグダだからで、純粋なBEV(バッテリー電気自動車)の統計が少なく、なぜかエンジン付きのPHEV(プラグインハイブリッド車)と合わせた数でまとめたがる。少しでも数を大きく見せたいならいっそHV(ハイブリッド車)も一緒にカウントして、電動化モデル全部で評価すればいいのだが、なぜかEVクラスターの人はHVを敵対視する。というわけでEVにはなぜかPHEVだけがカウントされるという奇妙な現象が頻発するのだ。余談として書けば、PHEVとHVの違いはバッテリーのサイズだけだ。仕組みも構造も一緒。ただし、PHEVは充電が可能。おそらくそこを指してBEVの仲間だといいたいのだろう。

さてさて、ではこの10年、BEVの歴史とは何だったかといえば、常にその中心にあったのは航続距離競争であった。航続距離競争とはとりもなおさずバッテリー容量の競争なので、誰が一番デカいバッテリーを積むかの競争だったということでもある。プレミアムEVクラスは60~100kWhの大容量を搭載するし、スタンダートEVクラスは、40~60kWhあたりで争う。

どこよりも小さいバッテリーのEV
マツダは今回MX-30の開発にあたって、「航続距離で戦うな」という指令をスタートラインにした。基本に立ち返れば、EVとは、環境保護のための技術であり、当然限られたエネルギーをいかに効率良く使うかということになる。電池切れを恐れるあまり重い電池を大量搭載して、加速の度にエネルギーを余分に使うのは、やはりどこかブラックジョークめいている。

日々の走行距離はクルマが使われている地域によって異なる。年間に直せば分かりやすいが、普通の人が1万キロ(27.8キロ/日)、多い人でも2万キロ(55.6キロ/日)くらいが現実的な線で、あとはイレギュラーなたまの1日のためにどれだけ備えるかになる。

問題は、その備えが車両価格に大きすぎる影響を与えることだ。例えとして日産リーフを見てみると、大小2つあるバッテリーの小さい方の最廉価モデルが330万円。バッテリー容量は40kWh、航続距離がWLTCモードで322キロとなる。一方で、バッテリーが大きい方の最廉価モデルは424万円で、バッテリー容量は62kWh。航続距離はWLTCモードで458キロだ。

もちろん厳密にいえばバッテリーのサイズが変われば電力のマネジメントも変わり、加速性能も変わる。装備だって全く同じということでもないので、あくまでもざっくりした数字上の話だが、バッテリー容量差12kWhで価格差が94万円、航続距離差が136キロだ。

マツダはリーフの小さい方より、さらに4.5kWh小さい35.5kWhのバッテリーを搭載した。航続距離はNEDC(新欧州ドライビング・サイクル)で、210キロと聞くが、すでに出回っている記事によっては200キロの表記もある。いずれ正式発表があるだろう。

いずれにしても航続距離自慢ができるクルマではないが、このバッテリー容量は、クルマの生産から廃棄までの全過程を通して見たときのCO2負荷を精査した結果だという。要するに「誠実に考えればこうなるはずだ」とマツダはいっているのだ。

ディーゼルやハイブリッドの航続距離が長いモデルだと1500キロ。しかも数分の給油でまた1500キロ走れる。不得手を補うことは大事だが、かといって不利なジャンルで勝負を挑むのは頭が悪い。少なくとも環境的には、青天井にバッテリー容量を増やすことには正義があるようには思えない。だとすれば、航続距離についてはそこそこで手を打って、重量増加を可能な限り回避する選択肢はあり得るし、バッテリー容量の適正化で全体としての効率を取ろうというのがマツダの戦略だ。

問題はこれがすこぶる分かりにくいことだ。普通のユーザーは「航続距離が短いじゃん」と言うだろう。なので全国のマツダファンは、嫌がる相手をまず座らせて、バッテリーの正義について小一時間講義を聞かせてやらねばならない。正しいが分かりにくいというのはいつものマツダらしいポイントである。

スーパーハンドリングEV
さて、筆者はこのMX-30のプロトタイプに乗ったことがある。その時の記事は前後編としてすでに掲載されているので、お暇な方は是非ご一読頂きたい。前編はこちら、後編はこちらだ。

内容をかいつまんで伝えれば、マツダはxEVというコンポーネント型電動化システムを作り上げた。このシステムは、コンポーネンツを組み替えることによって、1つのシステムから、モーターと大型バッテリーでEVに、モーターと中型バッテリーと充電機能でPHV(プラグインハイブリッド)に、モーターと中型バッテリーとロータリー発電エンジンでレンジエクステンダーEVに、モーターと小型バッテリーとロータリー発電エンジンでシリーズ型ハイブリッドになる。

地域のエネルギー特性に応じて、最適なソリューションを提供するための仕組みであり、中々に洗練されたシステムだと思う。

今回東京ショーで発表されたMX-30はこの内、純粋にバッテリーとモーターで走る、いわゆるBEVであり、いずれ他のバリエーションも順次デビューすると思われる。

マツダはこのxEVのシリーズの説明に際して一貫して言い続けている言葉がある。「マツダが作るならEVはこうなるというものにします」。果たしてどうだったのか?

MX-30(プロトタイプ)は、スーパーハンドリングEVと呼べるモノに仕立てられていた。具体的に言えば、GVC(ジーベクタリングコントロール)を基本に、モーター駆動ならではの緻密な駆動力制御を組み合わせて、クルマの挙動を安定させる技術が投入された。

ロールはともかく、ことピッチングに関してはドライバーにはいかんともしがたい場面が多く、ここで舵輪(だりん)である前輪の垂直荷重が増減すると、舵(かじ)の効きが変わってしまう。それを防止するためには、タイヤの横力をチェックしながら垂直荷重の変化が滑らかになるように駆動力を調整すればいい。

だからMX-30は、盤石に安定しつつも俊敏という相反する動きを可能にしている。その走りはすこぶる楽しく、ロードスターに乗っている時のように「これにいつまででも乗っていたい」と思わせるものだった。

MX-30の性格は研ぎ澄まされた刀のような緊張感のあるものではなく、もっと堅牢(けんろう)で安心感のある優しい感じを受ける。何というか安心して全てを任せられる感じ。小さい子供の頃、たぶん父の背中はこういうものだったのではないか。

そういうものに仕上がったのには理由がある。マツダはMX-30を「いかにもEV」というものに仕立てなかった。具体的にいえば、アクセルを踏んだ瞬間のワープするような加速はいらないと考えた。もちろんこれは大容量バッテリーが保障する瞬間大電流が期待できないからという物理的な特性もあるが、ハンドリングも含めた車両の動きのマネジメント全体からも、「そういうもの」を異物視する姿勢は見て取れる。

同様にいわゆるワンペダルドライブも重視しない。マツダにとって、良いクルマとはEVであろうが、内燃機関であろうが変わらない。EVである前にまずはクルマであること。そのクルマの動きのマネジメントとして理想的なのはどんな動きなのかというのが揺らがずに存在している。

そういう教条主義的な真面目クンなところが良くも悪くもマツダで、時にもうちょっとチャラけたって誰にも怒られはしないだろうと思うことはあるのだが、一方で変わらぬ姿勢に対する安心感もあったりする。

結論めいたことを書けば、世の中の流れに逆らって、とことん真面目なEVを追求した結果出来上がったのがMX-30ということで、そういう真面目さ故に直感的にいろいろ分かりにくい。何か凄いところは? と聞かれて、「インターハイ出場」とか「学年トップ」とかそういうのではなく、「無遅刻無欠席」みたいなところがMX-30にはある。やろうと思うと大変だが地味なことこの上ない。

ただ、そんな真面目なエンジニアリングが世の中にどう受け止められるかはとても興味深い。さて、せっかくモーターショーの話なので、後編では「魂動デザインとMX-30」について、見て形で分かる話をしてみようと思う。

(池田直渡)