【追悼】「世界で最も尊敬された日本人」緒方貞子さんが貫いた“3つの尊厳”

10月29日、日本人初の国連難民高等弁務官を務めた緒方貞子さんが亡くなっていたことが分かりました。92歳でした。緒方さんは在任中の10年間でイラク・クルド難民問題、ボスニア紛争、ルワンダ大虐殺問題などに取り組み、支援と「難民へのリスペクト」を訴えました。「文藝春秋」2013年1月号では、50年来の親交があるウシオ電機の牛尾治朗会長が、緒方さんとの思い出を語っていました。その全文を特別公開します。緒方貞子さんのご冥福をお祈り致します。
※記事中の年齢や日付などは掲載時のものです。
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「日本を代表する国際人」というとき、真っ先に上がる名前は、緒方貞子(85)に違いない。ウシオ電機の牛尾治朗会長(81)は、昭和31年に留学先のアメリカで机を並べた仲。50年来の親交を語る。

確信をもって断言しますが、いま世界で最も尊敬されている日本人は、間違いなく緒方貞子さんです。
日本初の女性国連公使となった緒方さんは、国連関係では、児童基金執行理事会議長、難民高等弁務官などの要職を歴任しました。国内でも、アフガニスタン支援日本政府特別代表や、2012年春までの9年間は国際協力機構(JICA)理事長をお務めになりました。
僕は25歳のとき、勤めていた東京銀行を休職してカリフォルニア大学バークレー校の大学院へ留学し、アジア政治が専門のロバート・スカラピーノ教授(後に同大名誉教授)の教室に入りました。二学期から入ってきたのが、中村貞子さん。のちの緒方さんです。15人くらいのクラスに、日本人は私たち二人だけでした。
犬養毅元総理を曽祖父にもち、外交官の家に生まれた緒方さんは、聖心女子大を卒業してアメリカのジョージタウン大学大学院へ進んだあと、さらに政治学の勉強を続けていらっしゃったのです。アメリカ暮らしが長いというのに、とても日本的な、しとやかな女性でした。僕は、年下だとばかり思っていた。勉強熱心だし英語も抜群ですから、よくノートを見せてもらった。非常に助かりました(笑)。
帰国後、僕は親父の事業を継ぎ、緒方さんは国際基督教大学や上智大学で教鞭を執られました。昭和60年に僕が内閣官房の日米研究会の座長をしたときは、緒方さんに委員になっていただいて、4年ほどご一緒しました。
その研究会で、ある若い先生が外務省を誹謗したことがあります。すると即座に緒方さんが、
「言う通りかもしれないけど、節度をもってしゃべりなさい」
ピシッと後輩を指導したのです。筋の通った人だな、と感じ入りました。
2000年に国連欧州本部の会議場でスピーチされた言葉も、とても印象的で忘れられません。
「難民問題で必要なのは、3つの『リスペクト(尊厳)』です。まず、家を追われて最も貧しい境遇にある人々を守らんとする国々の献身に、尊厳を。次に、各国の協力体制の下で難民に寄り添い、第一線で人道支援に従事する者たちに尊厳を。そして一番大事なのは、難民に対する尊厳です」
会場の人たちは総立ちになって、拍手を送ったそうです。日本では難民を「助けてあげる」という発想ですが、それは違う。自分の手に負えない原因で不幸な境遇に置かれているのだから、難民の人権は絶対に尊重しなければならない。「それは近代国家の義務ではないですか」と緒方さんは言います。
国際協力では、その活動のトップの人生観が大切です。10年にわたって務めた国連難民高等弁務官時代には、予算や職員の数を2倍にしました。歴代の国連事務総長はみな緒方さんの人柄に魅せられ、全面的にバックアップしたのです。何せ緒方さんは防弾チョッキを着込み、イラクやサラエボ、ルワンダなどの紛争地帯へ率先して出かけて行くのですから。
01年に森喜朗総理がアフリカを歴訪したとき、緒方さんが同行しました。アフリカへ着くと、難民対策の仕事をしている各国のスタッフが一斉に、「オガタが来た! お帰りなさい」と拍手で迎えたそうです。世界中で人道支援や難民相手に活動する人たちにとって、母親のような存在なのですね。
2012年2月、我々は日本アカデメイアという組織を立ち上げました。政党や産官学といった枠を超え、日本の将来を担う人材を探して結集させることが目的です。学習院大学の佐々木毅教授が中心で僕を発足人の一人ですが、緒方さんにも加わってもらいました。グローバルな人材を集めようというとき、緒方さんに誘われたら誰も断われませんからね(笑)。
(牛尾 治朗/文藝春秋 2013年1月号)