「日程、変えよっか?」“千駄ヶ谷の受け師”木村王位らしさを実感した2つの出来事

10月6日の「観る将ナイト」は大いに盛り上がった。詳しくは 公式レポート をご覧いただきたい。
筆者は第1部と第2部に出演し、ファンと共に楽しい時間を過ごした。
第2部の木村一基王位とのトークショーでは、タイトルを獲得して初のイベント、そして(一部)ノーSNS&ビール付きだったことから木村王位はいつも以上に饒舌で、お客様に大いに喜んでいただけたと思う。
第2部が始まって木村王位が登場したとき、会場は万雷の拍手に包まれ、その拍手はなかなか鳴り止まなかった。
そして自然とお客様からは「おめでとうございます」が溢れた。木村王位を祝福するその声もまた、なかなか止まらなかった。
しかしこの日一番先に「おめでとうございます」を伝えたのは、共演した二人、漫画家の松本渚さんと筆者だろう。楽屋で最初の「おめでとうございます」を言えたことは嬉しく、そして木村王位の少し照れくさそうな笑顔が印象的だった。
ここでイベントから少し時を遡る。
木村王位誕生の2日後、筆者は師匠である加瀬純一七段の将棋教室に指導へ行った。前回の記事にも書いたが、木村王位がプロ入り前から指導に来ている将棋教室であり、ここで筆者も木村王位と知り合った。
木村王位がいなくてもそこはお祝いの嵐だった。師匠に、師匠の奥様に、筆者に、そしてお客様同士でも。皆さんが「おめでとうございます」を言いたくて仕方ない感じだった。

古株のお客様は「木村くん」と呼んでいる。王位だろうが40代後半だろうが関係なく、年配の方からみたら息子も同然なのだ。
そして息子が悲願の初タイトルを獲得したのだ。その喜びはきっと人生でも有数のものであっただろう。
木村王位誕生の瞬間、筆者の脳裏に真っ先に浮かんだのはこのお客様たちの顔だった。皆さんおめでとうございます。応援してきた甲斐がありましたね。そんな気持ちだった。
木村王位もイベントで「終局後の大盤解説会でも、何局も来ていただいた方がたくさんいて、そういった人を見ると泣きそうになるから見ないようにしていた」と語っていたが、筆者もお客様の喜ぶ顔を見た時にちょっとだけ泣けた。
その日の打ち上げでは、「どこでいつ祝賀会をするか?」「次のタイトルは何だ?」「来年は誰が挑戦者になるんだ?」などと大いに盛り上がった。ファンからすれば10年越し、いや20年越しの夢が叶ったのだ。はしゃぐのも無理はない。
当の本人はそんなことはつゆ知らず、遠く大阪の地で強敵と対局していたのだが。
ここからは王位戦七番勝負を振り返ろう。
木村王位が開幕から2連敗した時、正直言ってシリーズの行方は決まったと思った。内容的にも精彩を欠いていた。相手も最強のタイトルホルダーだ。
しかしそこから木村王位の巻き返しは見事だった。
第3局は豊島名人の猛攻を耐えての勝利。第4局も長い時間受けにまわり、タイトル戦最長手数となる大熱戦を制してタイに追いついた。

持ち味全開の2連勝で流れを引き戻すとともに、木村王位の信念が豊島名人の歯車を少しずつ狂わせていったように筆者は感じた。
木村王位の信念とは「自分らしさ」を貫くことだと思う。相手に攻めさせてそれを受け止めて勝つ、それが千駄ヶ谷の受け師と呼ばれる「木村王位らしさ」だ。
信念を貫くために大切なのは戦法選択だ。
いまトップ棋士の中で将棋AIの思想を取り入れていない人は皆無と言っていいだろう。高性能のPCと強い将棋AIを使えなくても、プロ同士の棋譜を調べたり練習将棋を指す中で将棋AIの思想が伝わるからだ。
思想で差をつけられない中で大事になるのが、「自分らしさ」を出せる展開に持ち込めるかどうかだ。
そこで求められるのは芸域の広さである。自分の得意とする展開に持ち込むためには、数多くある全ての戦法に対応する必要があるからだ。
木村王位の芸域の広さはトップ棋士でも屈指といえる。逆に特定の戦法に特化した棋士は「自分らしさ」を出すことができず、軒並み成績を落としているのが現状だ。
王位戦七番勝負で木村王位は先手番で全局相掛かり戦法を採用した。戦法としての幅が広いことから芸域の広さが生きやすい相掛かり戦法は、木村王位の「自分らしさ」が出しやすく、また豊島名人の深い研究にハマりにくい。
さらに先手番で受けにまわることで、一手遅れる後手で豊島名人が技をかけにいくとどうしても無理が生じていた。
木村王位は相掛かり戦法を採用した3局全てでリードを奪い、逆転負けした第2局以外は勝利に結びつけた。

王位戦最終第7局は完璧な内容だった。
先手番を握った豊島名人がエース戦法の角換わりで新構想を見せて、1日目から攻め込んだ。しかし2日目、木村王位は最強の受けで攻めを跳ね返した。
後手番でも「自分らしさ」を出せる展開に持ち込んだのだ。「自分らしさ」を出せる展開に持ち込んだ木村王位の対局姿は自信に満ち溢れていた。
いままであと一つで涙を飲んでいた人とは別人のようだった。
貫いてきた信念で「自分らしさ」を出し、豊島名人の厚い壁を破って悲願の初戴冠となったのだった。
筆者がイベントで「木村王位らしさ」を感じた出来事を2つ述べたい。
先ほどのイベント前にお祝いを告げた話には続きがある。
お祝いを告げた後、近々に開催される身内でのお祝い会を欠席する旨を筆者から伝えると、「そうらしいね、日程、変えよっか?」とすぐに返され、いま将棋界で一番忙しい人に気を使われてしまい恐縮であった。
またイベントの途中で木村王位に「(木村王位がタイトルを獲得して)執筆のネタが出来たと思ったんじゃない?」というフリをされた時は、会場大爆笑だったが、筆者は笑いつつヒヤリとしていた。
記事を本人に読まれるのは気恥ずかしさを感じるものだ。
しかしイベントでもお話ししたように、筆者はファンに喜んでもらうために記事を書いている。だからこの記事も本人に読まれる気恥ずかしさは忘れるようにした。

ファンを喜ばせることを大事にする、それが若い頃から木村王位に教わってきたことなのだから。
さてここから、ちょっと気が早いが来年の防衛戦のことを考えてみたい。
イベントで木村王位に次の挑戦者の話を振ったときは残念ながらはぐらかされてしまった。そのとき筆者の頭には具体的に3人の顔が浮かんでいた。
一人は、タイトル戦で何度もあと一歩まで追い詰めながら届かなかった、タイトル通算99期の羽生善治九段。
もう一人は、初めて登場したタイトル戦で4連敗を喫した、現在最強と目される渡辺明三冠。
そしてもう一人は、10代でのタイトル獲得を狙う将棋界のスーパースター、デビュー29連勝を記録した藤井聡太七段だ。
どの棋士が挑戦者として名乗りを上げても、フィクションでもなかなかお目にかかれないほどの物語になる。
そして観る側にとって、これほど興味を惹くカードもなかなかない。
しかし挑戦者がどれほど注目されたとしても、「観る将ナイト」でのあの盛り上がりを思い返せば、ファンは再び木村王位を後押しするはずだ。
筆者はそう確信している。
(遠山 雄亮)