ANA社員が「女子高生バレーチーム」の監督に!? 謎の人材育成プログラム「文武両道場」に潜入

8月、東京・代々木にある国立オリンピック記念青少年総合センターの体育館で、バレーボールの試合が行われていた。参加しているのは高校生と大学生、いずれも女子の選手たちだ。

普通の試合と様子が違うのは、各学校の選手が混じり合った混成チームになっていること、そして指揮を執っているのが部活動の指導者ではないことだ。6チームのうち4チームの監督は、一般企業の社会人。残り2チームは監督不在で戦っている。

実はこれ、「文武両道場」と銘打たれた企業が参加する「人材育成プログラム」の一場面である。企業から派遣された受講生が2日間にわたってバレーボールチームを監督として率い、その経験を通してマネジメント能力を高める狙いがある。この日は全日本空輸(ANA)やそのグループ会社、横河レンタ・リース、日本財団、茨城県などの社員や職員7人が参加していた。

主催する株式会社Waisportsジャパン(東京都目黒区)の松田裕雄代表は言う。

「会社では、自分が専門としてこなかった部署の管理職に任命されることもある。部下のほうが専門知識や技術、情報を持っているなかで、その職場の生産性をどうすれば上げていくことができるのか。そうした問題意識が根底にあって、4年前からこのプログラムをスタートさせました。受講生はほとんどがバレーの未経験者ですから、バレーのことを何も分からない状態でチームを指揮しなくてはなりません」

松田さんはもともとスポーツコーチングを専門とする

筑波大学の教員だった。産学連携型の研究にも取り組んでいると、「人材育成に課題を抱えている」との声が企業サイドからしばしば聞かれた。それならばと、スポーツを活用した人材育成プログラムの設計と事業化に着手したのだ。

数あるスポーツの中からバレーボールを選んだのには理由がある。

「ぼく自身が経験者ということもありますが、バレーの環境はこのプログラムにすごく適しているんです。まず、コートがコンパクトで人口密度が極めて高く、全体が見渡しやすい。それにトスをつないでいく必要があるので、特定の個人のスタンドプレーが起こらない。

要は、人間関係やチームワークが非常に重要になるスポーツで、それはビジネスの現場に近い環境と言えます。それからポイントが全てラリーポイント制によるセットプレーで生まれるため得失点1点1点における因果関係が分かりやすく、ゲーム全体を通して何がよくて何がいけなかったのか、その原因と結果の分析がしやすいという特徴があります」

女子チームを対象としているのも、「ノリでなんとかなる」男子に比べて女子は心をつかむのが難しく、マネジメント能力を要求される場面がより多いからだという。

ANAで人事の責任者を務める常務の國分裕之さんは研修に参加した狙いを語る。

「今後の活躍に期待するマネジャークラスの人材を対象にしています。選抜研修のような形で活用していて、社内の研修で学んできたことや、職場で起こしてほしい行動を、日常の業務から離れて集中的に実践する場として位置づけています。職場ではどうしても実業務が第一優先になりますし、私たちの目も届きませんから貴重な機会と考えています」

高1から大学4年生までの女性が参加
2日間の「文武両道場」では、具体的にどのようなことが行われるのか。

まずは選手をシャッフルしてチーム分けが行われ、クジで監督が決まる。基本は1チームにつき受講生2人が監督を務めるが、1人になる場合もある。

次のステップは、チームビルド。練習や、主催者側から出される課題への対応を通して、急造チームをまとめあげていく。

そして2日目に真剣勝負の大会が設けられており、優勝を目指して戦うのだ。

それらの過程で監督役の受講生がどのような動き、発言をしているかは、数名の講師によって常に観察されている。大会の決勝戦が終わると、受講生と講師陣、そして各校バレー部の指導者らが1つの部屋に集まり、意見交換が行われる。受講生に深い内省を促す「リフレクション」と呼ばれるプロセスだ。

さらに、この2日間で得た気づきを職場でどう活用できているかを見る、個別対応の「3カ月フィードバック」、その年にプログラムを体験した受講生が一堂に会する「6カ月フィードバック」の機会が設けられている。

このプログラムは、企業向けの人材育成サービスであると同時に、参加する学校側にもメリットを提供している。

参加する選手たち(交通費など実費のみ負担)は、高校1年生の15歳から大学4年生の22歳までと年齢の幅が広く、バレーのスキルレベルもさまざまだ。学校も年代も違う選手たちとチームを組み、その中で自分がどう振る舞えばいいのかを考えることは、それ自体が貴重な経験になる。松田さんは言う。

「高校生の教育、特に部活動などのスポーツ教育を変えようというのも、もともとの大きな理念の柱です。生徒たちには、バレーボールを通して自分という人間を知り、言語化できるようになってほしい。そのために、これまでの自分、プログラム初日を終えた段階の自分、2日目を終えた段階の自分と、3回にわたって『モチベーション曲線と自分への気付き』を記入してもらうようにしています。

それによって、進学や就職の面談などで語る言葉も変わってくる。全国大会に出たとか、勝ち負けの実績だけではなく、バレーという体験を通して自分が何を培ってきたのかをきちんと話せるようになってほしいと思っています」

学生の中にも生まれる「チーム観」
もちろん、大学生にとっても学びは多い。参加していた成蹊大学1年の黒木風花さんは、こんな話をしてくれた。

「普段はキャプテンをやるようなタイプじゃないけど、このチームでは下の子しかいないので自分がやるしかないなって。知らない人たちがいきなり集まったのに仲良くなれて、バレーの力を感じました。これから大学でも上級生になっていくので、この経験は役に立つと思います」

また、別の大学生(2年生)は体育の教員を目指しているといい、「教員目線の勉強になる」と話していた。最年少では高校1年生の参加者もいた。新宿高校の遠藤菜々花さんと田中あり紗さんは「チームが悪い雰囲気になったときにも先輩方は1人1人を見て声を掛けてくれていた。名前を覚えるためにゲームをしたり、チームを盛り上げるために何をすればいいのか教えてくれた」と笑顔で口を揃える。

このプログラムは、普段の部活動を指揮している指導者にも気付きを与える。これまで自分が行ってきた指導法は果たして正しかったのか。時に選手たちの意外な素顔を目にしながら、よりよい指導のあり方を考えるきっかけになるのだ。

取材に訪れた際、講師陣が注目している一人の受講生がいた。ANAグループから参加していた山谷宏美さんだ。空港にあるラウンジのオペレーションを統括している立場で、5人の部下を持つ。

「スポーツをやったことがない」という山谷さんは、プログラム初日、戸惑うことばかりだったという。20歳ほども年齢の離れた大学生や高校生のチームをいきなり預かり、「何もできなくて苦しかった」。単独で監督を任された山谷さんは、バレー未経験であることを引け目に感じていたこともあって、動くに動けず、選手たちの自主性に任せることにした。

「委任ではなく放任」 修羅場で鍛えられるリーダーシップ
ところが、初日の最後に行われたリフレクションの場で、講師陣から厳しい指摘を受ける。

「『任せていた』と言うけど、それは委任ではなく、放任なのではないか。もし委任していたというのなら、チームの中でどんなことが起きていたかをきちんと把握できていなくてはいけない」

山谷さんは「自分でも感じていたことをはっきり言われた」と苦笑する。一晩考えたすえ、「バレーを知らなくてもマネジメントできることがある」と思い直した。2日目になると、ノートを片手に試合の様子を見つめながら、ミスの回数などを記録し始めた。

「客観的な数字を出してアドバイスをするのは、私でもできるマネジメントの一つなのかなって思ったんです。今日はちょっとコミュニケーションをとれるようにもなりましたし、試合にも勝てた。みんなも昨日より楽しそうですね」

この経験は、職場に帰ってからも生きそうだ。山谷さんは言った。

「最初、選手たちに『どう?』って聞いても、いまいち答えが返ってこなくて。それは新入社員に対しても同じなのかなと思います。コミュニケーションをとる時には、漠然とではなく、具体的に。例えば、何時にこういうことが控えているからこれをしておかないといけない、とか。そういう指示の出し方をすることが大切なんだと気づきました」

松田さんは言う。

「皆さん、最初は苦労されます。でも、バレーボールがどうこうという問題ではなくて、どうやって強い組織をつくるのか、そのために自分がどんな意思決定をするべきなのかを考えることが、このプログラムの本質。そこをしっかり理解したうえで参加していただければ、効果も大きくなると思います」

バレーボールというスポーツと職場環境の近似性を生かしたユニークな取り組み。スポーツが持つ「人を育てる力」を、学生の選手だけでなく、企業人にも活用するアイデアは非常に興味深い。

この2日間の体験が本当に価値あるものになるかどうかは、参加者たちがそれぞれの場所に戻ってからの過ごし方に懸かっている。

(フリーライター 日比野恭三)

1981年、宮崎県生まれ。2010年より『Number』編集部の所属となり、同誌の編集および執筆に従事。6年間の在籍を経て2016年、フリーに。野球やボクシングを中心とした各種競技、また部活動やスポーツビジネスを中心的なフィールドとして活動中。近著に『最強部活の作り方 名門26校探訪』(文藝春秋)など。