【廣末登】博多7億円金塊強奪事件「主犯」の告白「反社と一括するのは危険だ」 半グレですけど、一言言わせてください

『半グレと金塊 博多7億円金塊強奪事件「主犯」の告白』とは、2019年10月16日に、宝島社から上梓されたノンフィクション本の題名である。この本の主人公は野口和樹と言い、筆者と月に1、2回は書簡のやりとりをする関係である。
博多7億円金塊強奪事件――。すべては、一本の電話から始まった。
「実は僕の知り合いに、あることをして欲しいと頼まれているんです……どうも、金塊を盗まれたという形式的な状況を作りたいらしくて……税金対策とか言っているんですよ」
あんまり詳しく書くと、野口氏に申し訳ないので詳細は割愛するが、事件の概要につき、2017年5月22日の産経記事の一部を参照する。
〔PHOTO〕iStock
2016年7月8日の午前9時前頃、福岡市博多区のJR博多駅近くで、警察官を装った男らに大量の金塊(百数十キロ)が盗まれた。この事件の容疑者として、翌年5月22日、福岡県警は窃盗などの疑いで26~69歳の男6人を逮捕した。
約6億円相当とみられていた被害額が約7億5千万円相当だったことも判明。県警は、計十数人を逮捕する方針で、残りの人物も身柄を確保し次第、逮捕する。

愛知県内に住む男らが実行役とみられる。千葉県や東京都を拠点とし、事件直後に金塊の一部の換金に関与したとみられる6人は、盗品等処分あっせんの疑いで逮捕する。
6人は実行役とみられ、偽の警察官の制服を着用した上で、金塊を複数のキャリーケースに分けて運搬中だった男性らに「それは何だ。密輸の金だろう」「持って行って調べるから」と話し掛け、キャリーケース5つを車に積み込み、逃げた疑いが持たれている。
「愛知県内に住む男ら」こと主犯格の男性が、半グレでパリピ(パーティ・ピープル)と言われる野口和樹氏である。その野口氏から(現在は身柄を福岡拘置所で拘置されている)、筆者自身の著作の関係で、様々な情報を提供してもらっていたところ、「ここだけは私の実名で書いてもらいたい」という、数枚の便箋があった。
野口氏の本も世に出たわけだから、筆者は、このタイミングで、彼なりの主張を、読者の皆様に伝えるいい機会であると考えた。以下は、彼の手記であるが、読みやすさという観点から、若干であるが、筆者が筆を入れていることをお断りする。
世間では、半グレや、いわゆる不良は、オラオラや輩(やから)で、極悪な奴ばっかりと思われているが、そこは全く違う。少なくとも、私の周りでは違っている。
私の知人や友人は、半グレでも正業を持っている者が多いし、まともな会社を経営している者も居る。水商売系の店を経営している者も少なくない。この水商売にしても、普通のカタギの真面目君が簡単にできるものではないし、まず、そういう人が、この商売を始めることはないだろう。
では、そういう店に遊びに来る客層はどうか。実際、サラリーマン層が非常に多い。そこで、彼らは、女の子と仮想恋愛したり、実際に男女の関係になったりする。水商売の世界というものは、世の男性サラリーマンの息抜きの場であり、拠り所でもあると思う。したがって、水商売は、ある種の社会貢献をしているとも見ることができる。

そうであるなら、誰しもが、直接・間接的に半グレや反社が経営する「夜の店」のお世話になっていることは普通にありうる。もちろん、キャバクラに代表される水商売も、合法的に、健全に営業されている。
しかし、お客であるサラリーマンの中には、勘違いした者も居て、嫌がる女の子の胸を触る、尻を触るなど、ハレンチなことをしていながら、「料金が高い」とか、「女が席に着く時間が短い」とか難癖をつけ、料金を踏み倒すような者もいる。実際、こうした輩サラリーマンも珍しくない。
だからといって、そういう時に、半グレが店に乗り込んで来て「コラ、おっさん。金を払えや」というような手荒なことは先ずしない。モメた時は、普通に警察を呼んでいる。こうしてみると、ある意味、不良や半グレよりも輩サラリーマンの方がタチの悪いケースが往々にしてある。
私が、クラブ(踊る方)運営、プロデュースにかかわっていた時も、同じようなことはあった。散々、酒をオーダーして飲んだ挙句、会計になると、「高い」と、突然やかり出すから始末に負えない。
現在の日本社会を見てもらいたい。「誰でも良かった」「殺してみたかった」「可愛かったから連れ去って殺した」などと、人の命を簡単に奪う奴が居る。そうした非情な、自己中心的な犯罪者の中に半グレがどれほど居るのか……と、私は問いたい。
強姦、盗撮、痴漢等々、そうした犯罪で捕まっている奴らの多くは、カタギの人間ではないのか。しかも、社会的地位があったり、教育者や公務員など責任ある仕事に従事している人間も少なくないはずだ。
人を簡単に殺す、命を奪うような頭のオカシイ奴らと、半グレを一緒にしてほしくない。これから羽ばたこうという無辜の幼子の命を奪ったり、3人、4人と、人間をへっちゃらで殺したりしているのはカタギの人間だ。虐待で我が子を殺しても数年の実刑か、運が良ければ執行猶予である。

私が幼いころ、貧乏はしても母親は女手ひとつで5人の子どもを育てあげた。貧乏をしても、自分が食わなくても、子どもには食わせて成人させてくれた。他方、今の世の中は、我が子でも簡単に殺す人間がいる。
半グレや暴力団は「反社」というラベルを貼られ、少しのことでも法整備が行われ、厳しく社会から疎外される。私は、カタギの世界で起きる「無抵抗な幼子に暴力を振るう」「弱者の命を大切にしない」「身勝手な理由で他者を傷つける」事件こそ、厳格な法整備が必要ではないかと思う。
往来で包丁を持っている時点で「無差別テロ未遂罪」とか作ればいい。店で包丁を2本、3本と買った時点で、店側は警察に通報し、そいつに職質(職務質問)掛けるようにすればいいではないか。車で人混みに突っ込んだり、無差別に他人に危害を加えるような者は、テロリスト指定とかにすればいい。
半グレも、準暴力団に指定、認定される時代だ。オレオレ詐欺も、毎日のように形を変えて被害が出ている。殺しも毎日のようにどこかで起きている。どれも許せるものではないが、やはり何といっても殺しが一番重い。凶行で奪われた命は、どれだけカネを積もうと、決して戻っては来ないからだ。
現在の世の中、単純に、カタギが立派と言えるのかと言いたいし、反社とラベルを貼られた者たちが悪いのかと言いたい。

私は、不良や反社である半グレを擁護するつもりも、肯定するつもりもない。ただ、凶悪犯は、あなた達カタギの世界に潜んでいるのですよ……と言いたい。もしかしたら、それはあなたの隣人かもしれないし、身近にいる知人かもしれない。
半グレや反社でも、お年寄が道端で困っていれば声を掛けてあげるし、子どもが道で転んでいれば手を差し伸べてあげる。不良にもいろいろあるが、心ある優しい不良もいる。
我々は善の側、彼らは悪の側と、世の中そんなに簡単には割り切れるものではない。不良やカタギというラベルだけで一括りに判断することは、とても危険である。心の優しさは、もしかしたら、不良の方が純粋なものを持っているかもしれない。
以上、野口氏の書簡を一読されて、どのような感想を持たれただろうか。「なるほど、そうともいえるかもしれない」と納得する方もいれば、「自分が犯罪の実行犯のくせに、よく言うわ」と切って捨てる人もいるだろう。
しかし、筆者が半グレや元暴アウトロー、ヤクザの人たちから取材するにつけ、背筋が寒くなるようなヤバい現実がベールを脱ぎつつある。それは、たとえば、ヤクザは明日からなれないが、半グレなら、いま、この時からなれるのである。つまり、普通の子が半グレになる。半グレは普通の子であるということだ。

彼らが半グレになる動機は、貧しさでも、カネ欲しさでも、社会的格差への抗議でもない。単純に、カッコいいから。
そして、彼らは、裏社会では「つまようじ」と呼ばれている。そのわけは、「先が曲がったら捨てようか」ということ。何やら、表のカタギ社会を映しているようではないか。
詳細は、筆者が、来年の陽春刊行を目処に、半グレの声をリアルに紹介する新刊を準備中であるので、ご期待頂きたい。
まずは、野口和樹氏の筆による『半グレと金塊 博多7億円金塊強奪事件「主犯」の告白』(宝島社)を、書店で手に取って頂ければ、筆者としては嬉しい限りである。