日韓の対立を「やたらと煽るバカ」が増えるワケ

日韓対立の解決の糸口が見えない。
いわゆる徴用工裁判の問題は、日韓の請求権協定に対する明らかな違反であり、その協定および、そのベースにある日韓基本条約を韓国が破棄していない以上、民間人の請求権はない。それは日本として譲れない部分だろう。
ただ、だからといってこのタイミングで日本が輸出時に優遇措置を適用する「ホワイト国」から韓国を外すという対応をしたことは、日本政府がその理由を「安全保障上の輸出管理の問題」としたとしても、「報復」と受け止められても仕方がないかもしれない。
実際これを受けて、韓国は日韓軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の破棄を決定した。ことは日韓の歴史認識問題から、安全保障問題へと飛び火した形だ。以降、両国の政府の言い分はことごとく対立し、それを双方のメディアは連日報道し、読者や視聴者の嫌韓・断韓感情をますます煽(あお)っているように見える。
そうした険悪な雰囲気の中にありながら、韓国ではそれほど反日感情が高まっておらず、大衆は冷静だという指摘がある。韓国では他人の目のあるところでは、大っぴらに「日本が好き」とは言えない。だから日本旅行を取りやめるなどの自粛ムードになっているというわけだ。
これによって、日本の、特に地方の観光産業は大打撃を被っている。しわ寄せを受けた当事者を中心に日本でも「政治家にもう少し冷静になってほしい」という声が次第に大きくなっている。
韓国でも、日本と対立関係になるデメリットについて、経済問題を挙げる一般市民が多い。長期不況が続き、失業率が高い中、けんかをしている場合ではないだろうという考えだ。
要するに、日韓とも「賢い人」であるはずの官邸や官僚の人々やメディア関係者が、経済的な損失を考えないような言動や判断を行い、一般大衆のほうが冷静に損得を考えて判断をしているということである。このたびの日韓対立は、偏差値的に頭のいい人々のバカ化によって泥沼化したと言ってもいいのではないか。
本来、頭のいい人々による、そうした誤った言動や判断はなぜ生まれるのか。
心理学の世界では、かなり前から(とくに第2次世界大戦の心理メカニズムの研究において)、人間は個人で判断・思考する場合と、集団でそれをする場合では、答えや思考パターンが変わってしまうことが知られている。
そのひとつの現象が、「リスキーシフト」と呼ばれるものだ。人間は自分ひとりで判断するより、集団で判断するほうが、かえって向こう見ずな判断をしがちだということである。
また、社会心理学の実験では下記のようなものがある。
ある人物がベンチャー企業からヘッドハンティングを受けたというケースを仮定する。条件は、今もらっている給料の2倍を出すというものである。ただし、その会社は今の会社より不安定で、来年倒産するかもしれないという別の条件もある。この際、その会社が来年倒産するリスク(可能性)がどのくらいなら、そこに行くのをやめるかという調査をする。
ひとりで判断する場合は、リスク10~30%を選ぶ人が多い一方、複数人で話し合った後だとよりリスクを取る傾向があったというのだ。人間は、集団になると弱腰と思われたくないためか、無理をして強気の判断をする傾向があるようだ。
第2次大戦の開戦前も、国のかじ取りをする人でさえ個人レベルでは「開戦をしないほうがいい」と思っていた人が多かったのに、御前会議になると強気の姿勢を示してしまって、あのような結果になったという。
「三人寄れば文殊の知恵」ということわざがある。ひとりで判断するより大勢で判断したほうが、いろいろなアイデアも出るし、穏当な結論となるということだが、実際はそうでないこともあるということだろう。
このような「集団の特性」は知っておいて損はない。
ほかにも社会心理学が明らかにしているさまざまな集団心理がある。
韓国でも日本でも、相手国に対する強気な態度や制裁を課すべきという議論をしているときに、自分がその話の輪に入っていたら、それに同意しないといけないと感じることはあるだろう。
これが同調圧力と言われるものだが、実は、圧力がかかっていなくても、周囲の意見がおおむね一致していると、つい自分もそうだと同調してしまう(つまり口に出す前から考え方が変わってしまう)という特性が人間にあることが知られている。
ソロモン・アッシュという社会心理学者が面白い実験をしている。線分を3本見せて、どれがもう1枚の紙に書いてある線分と同じ長さかを判断してもらうのである。目の錯覚が起こるようなテストではないので、95%以上の人が正解する。
ところが、被験者に3人以上の“サクラ”を混ぜて、その人たちにわざと間違った答えをさせると、それにつられて誤答する人が出た。それも3割以上いたのである。圧力がかかっていなくても明らかに間違っている周囲の人が出した答えを3人に1人以上は選んでしまう。
たった3人に1人か、と思うかもしれないが、これが選挙の時などであれば、相当過激な政策を打ち出していても、それに同調心理が加わることで政権を得るような大量の票を獲得する可能性を意味している。実際、戦前の日本の一般市民はいわゆる「大本営発表」に同調し、多くの人が開戦に賛成だったのだから。
集団で考えたほうが無難という「定説」も怪しいという学説がある。
ひとりで判断を任されたときは、責任の所在が明らかなので、統計や過去のデータなどを踏まえるなど多角的かつ慎重に取り組む。ところが、集団合議で決めるときは、その判断が甘くなることがある。
これをアーヴィング・ジャニスというアメリカの社会心理学者は「集団的浅慮」と呼んだ。
自分たちの道徳性を過度に信じ込み、それに都合の悪い情報を遮断し、またその意見に反対する人たちを敵視し、グループ内(ひとつの国が集団的浅慮に陥ると国民全体)の人間が異を唱えることに圧力をかける。
最近の高齢者の免許は取り上げるべきだという議論にしても、仮にひとりでそれについてどう考えるかというリポートを書けば、統計データなど調べた上で、実は16~24歳の運転のほうが高齢者より事故を起こす確率が高く、危険なドライバーだと気づくかもしれない。
また、免許取り上げによって、地方在住者の中には交通手段を奪われて家に引きこもり、それが将来の脳や足腰の機能の低下につながりかねない、あるいは、自転車に乗り換えて転倒・骨折し、寝たきりの原因になるリスクがあるといったデメリットも想定できるかもしれない。
しかし、集団になると「事故を減らす」という道徳的スローガンが過大評価され、それに対する反論が反道徳的なように思えてくることがあり、「みんながそう言っているから」という非論理的な理由で、免許取り上げにほとんどの人が賛成する流れが作り上げられる(地方に行くと、反対がマジョリティになっていると逆の議論が起こっているかもしれないが)。
課題が何であれ、「集団で判断」する場合は、より冷静に検討したほうが賢明だ(もちろん、集団での結論が妥当なことは珍しくないが、チェックが必要だということである)。
精神分析学の立場では、社会心理学のように実験をしたわけではないが、「集団」の人間観察からさまざまな仮説が呈されている。
精神分析を集団治療に応用したことで知られるウィルフレッド・ビオンという精神分析医がいた。人間がなんらかの集団になったとき、きちんとした“課題”が与えられないと不安になって、一種の集団精神病のような状態になるという観察をしている。ビオンによれば、人間はそうした不安に対処して、集団でまとまろうとする傾向があり、以下の3つのパターンをとるという。
ひとつは、「依存グループ」といわれるもので、メシア(救世主)のような強いリーダーにみんなが頼って集団がまとまろうとする心理である。国の混乱期に独裁者が現れやすいのもこの心理が反映されていると考えられる。
例えば、ロシアのプーチン大統領にしても、アメリカのトランプ大統領にしても、国内の混乱に乗じて、救世主に見えるようにふるまい、国民のかなりの部分を「依存グループ」にして、選挙での強みにつなげている(依存グループの心理でいる人は投票率が高いので、支持率以上の得票につながる)。
2つ目は、「闘争・逃避グループ」といわれるもので、グループの外側か内側に仮想の敵を作って、みんなでそれと闘おうとしたり、みんなでそれから逃げようとしたりすることで集団がまとまろうとする心理である。
韓国の文在寅大統領が国民からの支持率を高めるために「反日感情」を利用するのはこの心理を応用したものだ。現実に韓国の市民がこの集団心理にまきこまれる、反日で国がひとつにまとまってしまう。
3つ目は、「つがいグループ」というもので、集団の中でカップルが生まれるとみんなで祝福することでグループがまとまろうとする心理だ。これは、つがいが生み出す子供に期待するという思いが含まれており、基本的にはめでたいことをみんなで祝い、未来への希望でグループがまとまる効果がある。2020東京五輪の招致が決まった際に、日本中が祝賀ムードになり、景気が好転するという希望が一時みちあふれたというのが、この心理を表すいい例だろう。
「ポピュリズム」ということばが使われて久しいが、民主主義の社会では、政治家が大衆迎合のような言動によって、国民を以上のような3つの「グループ心理」ででまとめ上げ、選挙を有利に展開しようとすることがしばしばある。
とはいえ、人々の心は常に一定ではなく、こうした「グループ心理」も絶えずうつろいやすい状態にある。そうした傾向を熟知している政治家は、国民の「今の心理」を洞察しながら、「国民は今どのグループ心理に近いか」を考えたり、「どのグループ心理なら仕掛けやすいか」を考えたりする。その戦術がぴたりとはまると長期政権につながる。
安倍晋三首相もそうした技量に優れた政治家と言えるだろう。
民主党末期の混乱期にアベノミクスを掲げて、人々を「依存グループ」の心理にしたかと思うと、東京五輪を招致して「つがいグループ」の希望ムードをもたらし、さらに韓国や北朝鮮を仮想敵にして「闘争・逃避グループ」の心理を醸成するなどときどき流れを変えることで一定以上の支持を集めている。
ただ、この手のグループ心理に巻き込まれている時は、人間は深くものを考えなくなることも事実である。
アベノミクスによって株価は上がったが、実質賃金を下げ、ドル建てのGDPを大きく下げていることはあまり論じられない。来年のオリンピックについてもその反動の不景気も含めてデメリットを論じる声は小さい。韓国敵視政策も経済的にはデメリットのほうが大きい可能性が高いが、被害を受ける当事者以外はその事実に鈍感だ。
グループ心理の怖いところは、その心理に染まることである種の思考停止が起こることだ。
わが国が過去に戦争を始めるという完全に間違った意思決定をしたことからもわかるように、かなりの経験を積み、かなりの知能をもち、かなりの教育を受けた人々が、いともたやすくグループ心理に盲目的に従って致命的で間違った決定や判断をしてしまう。
もちろんグループ心理そのものが必ずしも誤っているとは限らない。問題は、それと違う思考ができないことなのだ。他の選択肢や考えを思いつかなくなることだ。
自分がグループ心理に染まっていないか。あるいは、グループや世の中では、こういう話になっているが、自分ならどう考えるか。相手の立場に立ったらどういう見方ができるか。そうした自己チェックやセルフモニタリングは、賢い人間がバカにならないために必須のことと言えるのではないだろうか。
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(精神科医 和田 秀樹)