少子高齢化に伴う人手不足が深刻化する中、従来型の「等級と給与テーブル」の人事制度で優秀な人材を採用できるのか? 優秀な人材をいつまで自社に引き留められるのか? 世界で戦える組織になれるのか――。
足に頼った営業をユーモラスにチクリと皮肉るテレビCMで一躍、有名になったインサイドセールスシステムのベルフェイス。同社で社長を務める中島一明氏は、21歳で起業してからというもの、従来型の人事制度にずっと違和感を覚えていたという。
優秀な社員は、そもそも獲得するのが難しいだけでなく、今より条件がいい会社や働きがいのある会社があれば、すぐに転職してしまう。そんな中で、企業がいつまでも「採用する人材を選べる立場にある」と勘違いして旧態依然とした「社内のものさし」による人事制度を適用していたら、変化の時代に戦える人材を確保できない――。
そう考えていた同氏がある日、手に取ったのが、「NETFLIXの最強人事戦略~自由と責任の文化を築く~」(光文社)という書籍。それを読んで分かった“日本の人事制度の問題点”は、採用のときこそ人材の価値が「市場の原理」で決まるものの、入社以降の「評価」においては、それが全く反映されないことだった。
転職エージェント3社が社員を評価、それをベースに報酬を算出
この気付きをヒントに、中島氏が新たなベルフェイスの人事制度として導入したのが、「評価に”市場価値”を反映させ、業界最高水準の報酬を支払う」というものだ。
具体的には、社員は年に1度、キャリアシートを更新し、その作成とファクトチェックを人事がサポート。出来上がったキャリアシートは3社の転職エージェントによって評価され、その評価レポートを基に、業界最高水準の報酬を算出するという。
このフェアで本質的な人事制度を導入するにあたってどんな苦労があったのか、導入の結果、社員のモチベーションは変化したのか――。外資系自動車業界、Web業界などで人事責任者を歴任し、現在は資生堂の人事部で制度企画グループのマネジャーを務める田中順太郎氏を聞き手に、ベルフェイスの人事施策を解明する。
「等級と給与テーブル」の限界とは?
田中: 経営者として最初に人事制度を整備しようと考えたのは、どのタイミングだったのでしょうか。
中島: スタッフが30人を越えたあたりでしょうか。理由の1つは、立ち上げ期のメンバーと、事業が軌道に乗ってから入ってきたメンバーとの間で給与水準に差が出てしまうようになったからですね。
会社の立ち上げ期には、ビジョンや夢があれば給料が低くても人が集まるんですね。ただ、事業が形になってきて、加速するフェーズで人を集めると、応募する人もさまざまな条件面を見て検討するようになるので、給与水準が少しずつ上がっていくんです。
このあたりで給与テーブルの原型をつくったのですが、基準に対する達成度で評価すると、リスクを取って入った初期メンバーのほうが給料が低いままで、後から入ってきた人を越えられない状況が出てきてしまったんです。それに違和感を覚えたので、こうした差を吸収できる制度を作る必要があると考え、人事制度の設計に着手しました。それが2年前く
らいです。最初は人事コンサル会社がつくった等級や給与テーブルと職種で運用していました。
田中: ただ、その仕組みによる運用だと、一足飛びに追い付くチャンスや、市場との乖離(かいり)を埋めるような仕組みがなかったわけですね。
中島: そうですね。しかし、だからといって給与テーブルが決まっているにもかかわらず、「こいつは何カ月もがんばっているから」という理由で給料を上げてしまうと、その瞬間に制度が崩壊しますよね。「これまでの評価はなんだったの? 社長に直談判すれば給料が上がるのか」と。「報いたいのに(給与テーブルがあるせいで)報いることができない)」という気持ちと制度の間でずっとジレンマがあったのは事実です。
もう1つは、グローバル人材の採用ですね。報酬について等級で説明できないことが多いのです。例えばこれから海外の市場に出て行ったときに、場合によってはGoogleのようなグローバル企業と戦って、年収2億円の人材を採用しなければならないことだってあるわけです。
そういうときに、役員の年収が1000万円なのに、グローバル人材には2億円払う――というのは、等級では説明できないんです。なぜ2億円なのかというと、「グローバルでビジネスを立ち上げて成果を上げて、1つの国のビジネスを任される人の“市場価値”が2億円だから」なのであって、等級がどうとか、「あの役員の給与が2億円だったら俺は7000万円ぐらいもらってもいいのではないか」というような話ではない。これが市場原理をベースにした評価ならば、ロジカルに説明できるんです。
そもそも私たちは、「グローバルでビジネスを展開する」と最初から決めているので、そこで戦うとなると、給料が私の10倍くらいになるような社員を連れてくるようなシーンがあるだろうと想定して人事制度をつくっています。だから他社と違う視点で仕組みをつくっているというのはありますね。
市場価値に基づく評価で「業界最高水準”以上”」の報酬が出せる理由
田中: 転職エージェント3社の評価による「市場価値」をベースに報酬を算出する新しい人事制度には、“ベルフェイスが考えるハイパフォーマー”に、”業界最高水準以上”の報酬を支払う仕組みも組み込まれていますよね。
中島: 市場評価で算出した「業界最高水準の報酬」をベースに、当社が定めたミッション、ビジョンを体現することで加点する仕組みですね。
ベルフェイスが求める「論理的思考力」「実行力」「人間関係構築力」を備え、当社が大事にしている「カスタマーファースト」「オーナーシップ」「ハイスピード」「カイゼン」「ディテール」「フォーフレンズ」の6つの価値観を体現する取り組みを通じてミッションを達成している人材を「ハイパフォーマー」と定義しています。
評価はまず、6つの価値観に対する取り組みを、上長を含む6人の360度サーベイにより4段階でスコアリングします。次に半期単位でミッションを設定し、達成度に応じて4段階でランク付けします。
そして市場価値を元に算出した報酬をベースに、ValueランクとMissionランクに応じた分を加減して給料が決まる。実はこの仕組みで評価した結果、全員の給料が平均でこれまでの1.4倍になったんです。
田中: なるほど。つまり「職種ごとのマーケット上限平均額」という「市場価値(社外価値)」と、「ベルフェイスの価値観の体現度」という「社内価値」の掛け算によって、業界最高水準”以上”の報酬での優秀社員の引き留めを図っているわけですね。
中島: 市場原理に基づいてドライに評価しつつ、“会社の価値観やスタンスと合っているかどうか”を報酬制度にまで反映させたのは、当社の制度の大きな特徴だと思いますね。
例えば「市場価値は高いけれど価値観が合わないような人」とは、一緒に働きたくないと率直に思っているんですね。例えば、私たちのバリューには、顧客を中心に考える「カスタマーファースト」や、困っているメンバーがいたら手を差し伸べる「フォーフレンズ」というものがあるのですが、“売り上げさえ上げていれば、他のことはどうでもいい”という人は、バリューを体現していないことになる。そういう人は排除しなければならないんです。そうしなければ強い組織になれないですから。
田中: 新たな人事制度では、市場の評価をベースにした点ばかりが注目されがちですが、このバリュー評価による加減算があるからこそ、単なる外資系のまねごとではない、日本人にとって受け入れやすい制度にもなっている気がしますね。
部署異動によって報酬が下がるケースへの対応は
田中: 翌年のベルフェイスの戦略上、とても重要なポジションがあるような場合には、純粋な市場価値から鑑みて、少し報酬を高くするようなことがあるのでしょうか。
中島: まだ運用して1年弱くらいなので、今のところはないですが、今後は出てくるかもしれません。
その意味では、この制度は部署の異動時にも適用されるので、例えばある部署で実績を上げた人間が未経験の職種に異動したら、そこでは初心者という位置付けになるので報酬が下がる可能性があります。
ただ、そうすると当人のモチベーションが下がってしまうので、対応には細心の注意を払うようにしています。基本的にこの制度で重視しているのは「本人の成長について真剣に考える」というものなので、例えば、「異動先の職種は、まだ世の中ではメジャーではない分、経験を積むことで希少な人材になれる。そうすればおのずと市場価値は上がる」といったコミュニケーションで運用するのが本質だと思っています。
当社の場合、多くの異動は、その人の軸となっているキャリアに足し算や掛け算したときに、より高い価値を出せるようにすることをベースに考えているので、極端な異動はほとんどないんです。基本的にはキャリアがちゃんと積み重なっていくようなことを配慮しながら、お互いに納得できるようにしています。
田中: 透明性をもって職種ごとの市場価値で客観的に報酬を決めることを徹底しているからこそ、異動も含めて上司と部下が「将来の価値を高めるキャリアプラン」を真剣に考えるようになる、というのは素晴らしい副次的効果を生み出していると言えますね。
賛否両論の新人事制度、どうやって社内に浸透させたのか
田中: 斬新な制度だけに、社内でさまざまな声が上がったと思うのですが、浸透させるまでにはどんな苦労がありましたか。
中島: 社内では賛否両論ありましたね。実際のところ、納得できない人や不安に思う人も多く、「この制度の意図は何なのか」「バリューの評価とミッション評価がイコールなのはなぜなのか」など、多くの質問が寄せられました。
でも、社員の声を聞くと、「なるほど、確かにこの視点は抜けていた」と思うことも多いんですよ。だから説明会は、かなりの回数をこなしました。
田中: 納得してもらえるまで根気よく説明を繰り返すことは、とても大事ですよね。私も以前、務めていた会社で人事制度をゼロから設計して導入したことがあるのですが、制度を設計する側が強い信念を持って「この制度を導入することで、絶対に会社が変わる」と言い続けないと、心が折れるようなこともありますよね。
「できることなら変わりたくない」というのが人間の“さが”ですから、変革に対して抵抗する人のほうがどうしても多い。そんな中で「この制度は、こんな問題をこのように解決します。それを続けて5年くらい経ったときには、会社がこんな風に変わります」ということを強い気持ちで伝え続けて初めて、だんだん「こいつ、本気だな。信じてみるか」と思ってもらえるようになりました。
中島: 報酬に関わることなので、丁寧な説明が必要でしたね。私自身、この人事施策についても強い信念と自信を持って取り組んでいましたが、それでも相当、大変でしたね。
まず、全社員に話して、そのあとは質問をしやすいように10人以下のグループで個別説明会を開きました。そのたびに質問を回収しては答えて、「なるほど」と思う意見は反映して。それでも納得できない人たちにはまた、説明の機会を設けました。人事制度改革は決定事項なので、従ってはもらうのですが、そのプロセスは慎重に考えましたね。
田中: 制度の骨子は経営と人事で固めて、変更の余地があるところで、影響力があるリーダークラスの人たちを巻き込むのは非常に重要なプロセスだと考えています。彼らの意見を反映させると、当事者になってくれるので、こちら側に引き入れられる。そうなると、彼らが説明する側に回ってくれるので強いんですよね。そういうこともやっていたのではないでしょうか。
中島: そうですね。それはこの人事施策を展開してみて実感しました。
ベルフェイスの人事制度が斬新かつ本質的な3つの理由
田中: ベルフェイスの人事制度を見たときに、報酬制度が市場価値と連動していて面白いのはもちろんですが、経営トップである中島社長の人事制度に対する向き合い方にとても共感しています。
その上で、長年、人事を担当してきた者として、ベルフェイスの人事制度が斬新かつ本質的だと思う点が3つあるんです。
1つは、人事制度の運用が「福利厚生」につながっている点です。この人事制度を通じて、社員自身が仕事やキャリアについて深く考えるとともに、それを表現する力がつくし、何より市場原理にもとづいた査定が受けられる。それが価値になって本人に返ってくるというのは、まさに社員にとっては「福利厚生」そのものだと思うのです。
2つ目は、人事制度全体に対する説明を社長自らが行い、外部に向かって経営メッセージを発信することで、優秀な外部人材に対する「採用広報」につなげている点です。
これは、人材獲得競争が激化している現代において極めて重要な”EVP(Employee Value Proposition)”の1つの模範的な事例といえるのではないでしょうか。
3つ目が、人事制度を運用していくこと自体が「人材育成機会」となっている点です。自社のバリューを評価に組み込み、360度評価により全社員が評価されるだけでなく「評価をする側にも回る」ことで、全員が「ベルフェイスの価値観」を自分なりに解釈し、自身の言葉で他人に説明するので、バリューに対する浸透度が極めて高まる仕掛けになっています。
この3点は、自分でも人事制度の担当者としていつか実現したいと思っていながら、まだできていないことだったので、それを企業のトップ自らが考え、実践しているのは素晴らしいことだと思いました。
人事制度は、社員にとっては「仕組みであり、ルールであり、従うもの」みたいな位置付けであり、うさん臭いとか、恐れ多いとかいう存在になりがちなのですが、それを「社員に利益を与えるものにする」というのは、なかなかできないことです。
人事制度をつくろうとすると、どうしてもテクニックや仕組みの精緻化などの「ハード面」を重視しがちなのですが、実は人事制度の成否を分けるのは運用という「ソフト面」なんですね。そこを中島社長自身が理解していて、「シンプルで分かりやすい運用」をイメージした制度設計にしている点も興味深いです。評価を5段階じゃなくて4段階にして「どっちつかずの判断」をなくすとか、加算・減算を5%という「キリのいい数字」で刻むとか、制度設計の一つ一つにシンプルさに対するこだわりを感じます。この制度の作り方を見れば見るほど、中島社長自身のバリューに対するこだわりや、カスタマーファーストに対する「有言実行性」を感じますね。
中島: ありがとうございます。評価を4段階にしたのは、10段階でうまくいかなかったからなんです。10段階で評価すると、「分からないから取りあえず5をつける」といった、“意思決定を放棄するようなこと”が起こるんです。4段階にすると中間がないから、評価がどちらに振れているのかを選ばざるを得なくなります。
6人が360度評価するバリューについても、評価者6人をどう選ぶか、上長の評価の比重をどうするかは、相当、悩みましたね。上長の評価は結局、比重を2倍にしました。その理由は、われわれはまだGoogleみたいなフラットな組織というよりは、トップダウンで物事を進めなければならないこともある段階の会社なので、評価の比重も全員が平等じゃなくていいということです。
評価者6人の選定については、当初は上長には見えていないバリューがあるかもしれないと思って、6人のうち2人を評価される本人が選べるようにしていました。しかし、そうするとどうしても、“高い評価をしてくれそうな人ばかり”を選びがちになる上、違う部門の人では日々のディテールまでは分からないといった問題が起こったので、いろいろ考えた結果、基本的には上司が「最もリレーションが多く、客観的に評価してくれそうな人を選ぶ」ことにしました。
試行錯誤の末にたどり着いた制度ではあるものの、今後も運用をしていく中で、より良い方法があれば積極的に取り入れていきたいと考えているので、PDCAを回し続けています。
市場価値による評価は「経営陣を人事評価の苦しみから解放する」
中島: 市場価値に連動した人事制度は、経営陣を人事評価の苦しみから解放する仕組みだと思っているんです。この制度にすると経営陣と従業員が、評価について「互いに真っ向から衝突していく構図」じゃなくなるから。
評価のベースはあくまで市場価値に置かれていて、社内の評価はバリューとミッションの部分だけしか反映されません。ミッションの達成も、設定の段階で互いが合意して握っていれば問題も起こらない。社員が考えるべきは上長や経営陣との関係性ではなくて、市場や、ともに働く同僚とどう向き合うか、ということになるわけです。
給料の予算が決められないという点は難しいかもしれませんが、それさえ覚悟できるのなら、経営者は評価に時間を割くのではなく、事業を伸ばすことを考えればいいと思うんです。実際のところ、人事評価についての衝突がなくなっているという実感はとても大きいですね。
田中: おっしゃる通り、評価する側にとってもされる側にとっても気が重い「人事評価」というテーマに対して、客観的な指標を取り込みながら、双方にとって納得度が高い自社なりのやり方を決めていくというのは、今後の人事評価における1つの「理想形」なのかもしれませんね。