東京・台東区の避難所でホームレスが住民登録がないことを理由に受け入れを拒否されたことは記憶に新しい。この事態は台風による避難勧告が各地に出ていた12日夕方から夜にかけてSNSで拡散。台東区役所へ抗議の電話が相次ぐ事態になった。
翌日には全国紙が報道したほか、Yahoo! ニュースのヤフートピックスでも取り上げられ、瞬く間に広がっていった。
台東区職員は「想定していなかった」と弁明したものの、ホームレスの人たちを避難所に入れないことは明らかな差別であり、台東区長が謝罪し、安倍首相も「各避難所は全ての被災者を適切に受け入れることが望ましい」と発言。ホームレス支援団体はその後、台東区に申し入れを行い、区は改善策を講じることを確認した。
台風19号が接近する多摩川〔PHOTO〕Gettyimages
ホームレス状態にある人が受け入れ拒否されたことが現在進行系で拡散し、抗議、謝罪とスピーディに進んだことはある意味、”理想的”な展開だったと言えるだろう。もちろん避難所から追い出された人に何事もなかったから言えることだが……。
一方でどこか釈然としない思いが残る。今回の件についてはSNSやネット記事のコメント欄などでホームレス状態の人々への否定的な声が並んだ。
ニュースで報じられる「建前」とネット上の「本音」の間には非常な温度差があり、日常隠されているホームレスに対する嫌悪がおぞましい形で吹き出したようだった。憲法や災害救助法に保障された権利を持ち出しても、人々の中にある「ホームレスは受け入れたくない」という本音は変わらない。そこに蓋をするだけでは問題は根本的には解決しないだろう。
いったい人々の間には、ホームレス状態の人に対するどのような思いが渦巻いているのか。
ネット等に寄せられている意見は大きく2つに大別されるように思う。1つは「私の隣には来ないで欲しい」という「恐れや不安」によるもの、もう1つは「納税していない彼らに権利はない」というような金銭や生産性という軸で彼らの「いのちを軽視」するものだ。
まず「恐れ」について考えてみたい。ホームレスの人に対して恐れや不安を感じることは当然のことのように思う。私たちのイメージの中にある「ホームレス」は何日も体を洗えず、汚い身なりをして路上に寝ている人、社会と隔絶したところに生きている存在だ。
〔PHOTO〕Gettyimages
ホームレスの人たちの自立支援のため、街頭で雑誌販売の機会を提供している『ビッグイシュー』という雑誌がある。私もこの雑誌で記事を書いてきたため、知人などに購入を勧めるのだが「怖いから買ったことがない」と答える人もいる。その後買ってみると「全然怖くなかった。話が出来て楽しかった」と言う人が大半だ。実際に出会うことによって「恐れ」はある程度払拭されていくのだということがわかる。
さらにホームレスの人と関わることになって気づくのが、彼らもまた私たちに対して「恐れ」を抱いていることが多いという事実だ。そもそも今、ホームレス状態にある人の多くは私たちがイメージしがちな路上生活者であることは少ない。多くはネットカフェやファストフード店などで夜を過ごしており、ネットカフェや公園で体を洗い、少ない所持金で新しい下着を買うなど、身なりを気にしている人が大半だ。
私はホームレス状態にある人を取材する中で「自分が周囲からどう見られているのか」ということに神経をすり減らしている人に多く出会ってきた。「汚れているように見えないか?」「ニオイが気にならないか」と真顔で聞く人もいる。ある若者は「昼間に図書館に行ったけれど目線が気になって出てきてしまった」という。
彼は身なりも清潔でホームレスであるとは想像しがたいのだが、人と目線が合うだけでおびえてしまうーーその思いは半ば被害妄想に近い。彼のライフストーリーを聞いたところ、学校でいじめに遭い、会社でも人間関係につまずき、リストラに遭うなどした結果、自己肯定感が低いのだということがわかった。
夜は怖くて公園では休めないという人も少なくない。実際、ホームレスが襲撃される事件が起きているのは事実なのだが、彼らの多くはホームレスを排除するわれわれ社会に対して大げさとも思えるほどの「恐れ」を抱いているのだということがわかるだろう。
先述のビッグイシューだが、販売者であるホームレスの人たちは雑誌を売るためには、路上で出来るだけ目立ったほうがいい。しかし実際には消え入るように立っている人が多い。自己責任論が跋扈する世の中で、自身がホームレスであることを晒しながら人前に立つことは容易なことではないのだろう。
駅のホームや公園にある一つずつ座席が区切られた”横になれない椅子”や屋内の空きスペースに設けられた”排除アート”、住所がなければ仕事も携帯電話一つ手に入れられない現実など、ホームレス状態にある人たちは自分たちが社会の枠外に置かれていることを十分過ぎるほどわかっている。
〔PHOTO〕iStock
だからこそ相当の理由がない限り、避難所に行こうとはしない。厚労省による調査では都内にいるホームレスは1126人(ちなみにこの人数にはネットカフェ等にいる人は含まれていない)。大半の人が避難所に行っていない事実からも明らかだ。
台風の最中、彼らは一体どうしているのだろう? 今年だけでも数回、東京は台風に襲われている。台風だけではない。真冬の東京は外に寝ていたら凍死する気候だ。毎年路上で命を落とす人がいるのも事実だが、自然の猛威に対して何とかやり過ごす術を持っているホームレスの人も少なくない。いざという時、ネットカフェに泊まれるようにお金を用意している人もいる。
しかし今回の台風はいつもと違っていた。計画的に電車が運休し、コンビニやファストフード店等も閉店したことが、駅構内や終夜営業店でやり過ごしていた人たちにとっては致命的だった。昨年大阪も巨大台風に見舞われたのだが、昼間だったため、商業施設等に避難することができたという。
〔PHOTO〕Gettyimages
こうした事態は今後も十分想定される。それだけに路上ホームレスをはじめとした定まった住居がない人たちに対する避難計画は早急に検討されるべき課題であるだろう。
彼らはわれわれ社会に対し、恐れを抱いており、われわれもまた彼らを恐れている–恐れは知り合うことである程度縮めることができるはずだが、非常時にいきなりというのは無理がある。そのためにも日常的に出会う機会を作ることが理想的であるだろう。
たとえば大阪では子どもが野宿者の人をおにぎりを持って訪ねる「子ども夜回り」が行われている地域がある。中高生が公園に寝ていた野宿者を襲撃したことをきっかけに始まったものだが、日常の中で出会うことによって、彼らは私たちと変わらない存在であると知ることは重要である。
さらに心理的な距離を縮めるだけでなく、物理的な距離を取り除くことも積極的に行う必要があるだろう。
たとえば避難所で過ごす時間が長くなることが想定される場合、体をきれいにしたほうがいい人には適宜声かけをする、体調面が優れないのならば、医療班に相談する、お酒を飲んでいる人がいたら別室に移ってもらうなど……。これは路上生活者に限ったことではない。「恐れ」を超えた者同士ならばできることはたくさんあるはずだ。
そもそも日本にはホームレスの人たちが利用できるシェルターはない。大雨や酷暑、真冬など厳しい気候の時に利用できるシェルターがあれば彼らも気兼ねなく利用できるはずだ。今回の出来事を機に物理的に解決できることには積極的に取り組んでもらいたい。
「恐れ」は知り合うことで超えられるかもしれない。しかし、ネット上に寄せられたもう一つの意見、「納税していない彼らは避難所に入る権利がない」というようなホームレスの人たちのいのちを軽視する言説には戦慄を覚えるものがあった。
大きく報道されることは少ないが、河原で寝ているホームレスに石を投げたり、ダンボールに火をつけたりする事件が毎年のように起きている。犯人は子どもである場合が少なくない。
そして襲撃した理由について「働かず、社会の役に立たないホームレスは生きている価値がない」と言う。まさに今回ネット上でホームレスに対して発せられた言葉と同じである。それは生活保護受給者にも向けられる言葉であり、津久井やまゆり園を襲った犯人が重度障害者に対して発した言葉でもある。
われわれはホームレスに対して直接手を下さない。しかし人間の価値を金銭や生産性で判断することは、彼らのいのちを蔑ろにすることと深いところでつながっているのだ。
台風上陸から1週間後、釜ヶ崎へ行く機会があった。
大阪・釜ヶ崎の風景〔PHOTO〕著者撮影
日本最大の野宿者の街であり、路上死や孤独死もある、最もいのちが軽んじられている場所だと思っていた。しかしこの街で夜回りや炊き出しを行い、野宿の人たちを支援してきた人々は口を揃えてこう言うのだ。
「ここほど人間が中心の場所はない」と。
釜ヶ崎では炊き出しという形で同じ釜の飯を分け合う。身寄りもなく一人で亡くなる人も少なくないのだが、そんな時は皆で見送りをするのだという。
釜ヶ崎で長年、野宿者とともに生きてきたふるさとの家の本田哲郎氏(77)はいのちが軽んじられる風潮について次のように話した。
「職場など大人社会で頻発するイジメのニュースを聞いていても、いのち、すなわち人間の存在そのものが軽んじられていると感じます。いのちを大切にすることは医療の力で生命維持装置に繋ぐことではない。その人の存在をありのまま受け入れることにほかなりません」
本田氏〔PHOTO〕著者撮影
今回のホームレス排除によって露呈した日本社会の現実。いのちが軽んじられている状況としっかり向き合っていかなければ根本的に解決することはないと感じている。
今回のホームレス排除によって露呈した日本社会の現実。いのちが軽んじられている状況としっかり向き合っていかなければ根本的に解決することはないと強く感じている。