六代目山口組の中核組織で、司忍組長と髙山清司若頭の出身母体である三代目弘道会(竹内照明会長=愛知)の体制が大きく動いた。昇格や舎弟直り、引退など、計12人の新たな人事が発表され、執行部の刷新が行われたのである。
「髙山若頭の意向が影響した人事と思われ、分裂終結に向けた並々ならぬ意欲が伝わってきた。年末に執り行われる盃儀式をもって本格始動するのか定かではないが、すでに新たな体制のもと、水面下では策が練られているはずだ」(業界ジャーナリスト)
昇格に関しては、敵対勢力からの組員引き抜きや、一連の対立抗争における“戦果”など、山口組分裂後の動向が反映された人事と思われた。特に注目されたのが、“抗争のキーマン”といわれる野内正博・野内組組長の若頭就任だった。
「野内組長は2年前、若頭補佐から統括委員長に就いて舎弟に直った。弘道会トップの竹内会長が『兄』で、『弟』になったわけやな。これは当時、野内組長が六代目山口組の直参に昇格するいう布石やないかともみられとった。せやけど、今回の電撃人事ではナンバー2の地位である若頭に就き、竹内会長を『親』とする弘道会ファミリーの『子』で、なおかつ“長男”に当たる存在となったんや。
中野寿城若頭からバトンを受けた野内若頭が、弘道会の指揮を執っていくのは明らかやで。山口組の分裂後、喧嘩だけやなく神戸山口組(井上邦雄組長)や任侠山口組(織田絆誠組長)への切り崩し工作も活発に展開してきたから、武力行使も含めて分裂終結に向けた動きを加速させるかもしれん」(ベテラン記者)
それほどまでに、野内若頭率いる野内組の進撃は分裂当初から凄まじかった。
長野県飯田市では、当時、六代目山口組の直系組織だった二代目近藤組(現・野内組傘下)と神戸山口組・四代目山健組傘下だった三代目竹内組(現・任侠山口組)が対立を繰り広げ、平成27年10月には近藤組幹部が竹内組に移籍したとされる兄弟分の元幹部を射殺。分裂後、初めて銃声が鳴り死者が出たことで、業界内に衝撃が走った。
その後も長野県では衝突が相次ぎ、平成28年1月には六代目勢と神戸勢がカーチェイスを繰り広げて、中央道の一部区間が通行止めになる騒動にまで発展。さらに、山健組系組員の乗った車両が銃撃され、2月には乱闘も起きていた。
「これらの事件には、常に野内組の名前が挙がっとった。射殺事件後、三代目となった近藤組を吸収し、野内組は勢力を拡大し続けていったんや。平成28年には全国でも爆発的に六代目側と神戸側の対立事件が発生して、4月ごろには収まったんやが、5月には神戸側・池田組(池田孝志組長=岡山)の若頭が弘道会系組員に射殺された。8月には、その返しをうかがわせる動きがあって、当時の山健組最高幹部たちが、野内組長や野内組幹部の暗殺を計画していたとする殺人予備の疑いで、岐阜県警に逮捕されたんや」(同)
野内組長自身が矢面に立ったのは、平成29年1月に京都で起きた六代目会津小鉄会を巡る騒乱だった。野内組長が火付け役といわれ、同じ七代目会津小鉄会を名乗って、六代目山口組寄りと神戸山口組寄りに分裂。両山口組の“代理戦争”とも囁かれた。神戸山口組・井上組長ら複数名が傷害などの容疑で京都府警に逮捕され、野内組長も有印私文書偽造・同行使の疑いで逮捕されたのだ。
新体制樹立の真意
さらに、“切り崩し”の面でも野内組は際立っていた。昨年に六代目山口組が離脱者の受け入れ期限を8月と定めて以降も、各組織で引き抜きが続行され、野内組には任侠山口組の最高幹部ら複数名が移籍。大阪、北関東などへ勢力拡大を図り、武力行使へも繋がっていった。
それが鮮明となったのが、今年4月に起きた五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の與則和若頭が刺された事件だった。殺人未遂容疑(起訴)で野内組傘下組員らが逮捕されたのだ。
組員らは任侠山口組から移籍した西川純史舎弟率いる二代目北村組所属で、弘道会による山健組への宣戦布告との見方もされた。野内組の武闘派ぶりは、さらに知れ渡ったのである。
その野内組長は熊本県出身だが、昭和56年ごろ、岐阜に本拠を置く独立団体・則竹組に加入したのち、平成2年に初代弘道会傘下で髙山若頭が興した髙山組に参画。数年後に髙山組内で野内組を結成した。平成17年に髙山若頭がトップとなった二代目弘道会の直参に昇格し、わずか2年後には若頭補佐に就任。三代目体制では平成29年に舎弟に直り、統括委員長に就いた。
「髙山若頭は、野内組長の才能を髙山組に加入した当初から見抜いとったんやろな。今回、満を持しての若頭就任いうことや」(同)
電撃人事では他にも最高幹部のポジションが大きく変わり、中村英昭舎弟頭が最高顧問、福島康正舎弟頭補佐が舎弟頭、中野若頭が舎弟頭補佐に就任。小松数男若頭補佐、大栗彰若頭補佐が舎弟に直り、室橋宏司幹部、遠藤輝幹部、小澤達夫幹部が若頭補佐に上がった。さらに、中西新吾若頭補佐が本家室長に専念することとなり、三代目髙山組(南正毅組長=服役中)の若頭でもある若中の石原道明・三代目矢嶋総業組長が「幹部」に昇格。また、浜田健嗣顧問(浜健組組長)が引退したのである。
「舎弟直りしたのは、中野前若頭をはじめ執行部メンバーとして最前線に立ち続けた直参たちで、今後はその経験を生かして組織を支えていくのだろう。昇格人事においても長年、事務局長を務めてきた室橋若頭補佐、『幹部』に昇格したばかりだった若手の遠藤若頭補佐と小澤若頭補佐が取り立てられ、執行部の強化が図られた印象だ」(前出・業界ジャーナリスト)
弘道会の新体制樹立が、山口組再統合への伏線であるのは間違いない。
「若頭に就いた野内組長は武闘派である反面、戦略家ともいわれるから、単に戦争を仕掛けるだけとは限らない。ただ、弘道会のナンバー2というポジションに座ったことで、さらに本人のリスクは増した。それだけ、敵対勢力や警察当局から狙われる可能性が高まったともいえるからな」(九州の組織関係者)