「これから…先が見えない」千曲川堤防決壊・避難1カ月超、生活再建の道筋描けず

台風19号で千曲川の堤防が決壊して自宅が被災し、長野市の避難所には21日時点で592人が身を寄せている。避難生活は1カ月を超え、避難所は今月末で閉鎖されることになっているが、多くの被災者が生活再建への道筋を描けずにいる。
目の前にリンゴ畑が広がる長野市豊野町の豊野西小は、市内最大の避難所の一つ。約160人が、段ボールで間仕切りされた体育館などで避難生活を送っている。市営団地で1人暮らしをしていた土木業、渡辺重雄さん(40)は、避難した夜からの出来事をノートに書き留めてきた。
<10月13日1時8分 長野市穂保氾濫 小学校避難 朝起きたらゾクゾク車が入ってきた。茶色の水がマダマダ増えてくる。ここまで上がってきたら山に登るしかない>
<10月14日 避難生活始まる。初めての経験。物資は間に合っているみたいで安心した。家が心配。2階まで水が上がってませんようにと祈った。ゆめなのか、現実なのか>
渡辺さんが自宅に戻れたのは翌15日。高さ約3メートルまで浸水したとみられ、自宅は2階まで泥まみれになっていた。2カ月前に引っ越した際に新調した家電はすべて使えなくなり、手元に残ったのは、数年前に他界した両親の位牌(いはい)と遺影だけだった。避難所が今月で閉鎖された後、身を寄せる場所はまだ決まらない。
<明日はどうなるだろう>
ノートにも将来への不安をつづった言葉が並ぶ。「今は貯金を崩しながらの生活で、支援金が入るのも数カ月後。閉鎖後に、どこに行くか決まっていない人も多く、これからどうなるのか先が見えない」と肩を落とす。
避難所の外で炊き出しの豚汁をすすっていた男性も、行き場を失っていた。認知症の疑いがある両親と避難したが、大声で騒ぐため、避難所に居づらくなっているという。「自宅はすべて流され、親族にも頼れるところがない。本当に気がめいる」と疲れ切っていた。
1人で避難しているパートの女性(77)は約15年前に福島県から豊野町に移り住んだ。選んだ仕事が農業の手伝い。農作業は初めてだったが、不思議と性に合った。被災した日も、赤く色付き始めたリンゴ全体に日光を当てる「葉摘み」の作業に行くはずだった。
「仕事に行こうと家を出たら、茶色い水が来て、胸まで水につかった。何日か後に家に戻ったけど、何も残っていなかった」
日中は大半の人は片付けや仕事に出掛け、避難所に残るのは20人程度。避難所を出た後の行き先も決まらず、取り残されているようで不安になることもある。だが初めての避難生活で、支えになっているのはボランティアの存在だという。
「三度のご飯を食べさせてもらったり、さりげない言葉をかけてもらったりすると、助けられていると実感する。先のことは分からないが、できることをやっていこうと思う」と前を向く。【堀智行】