「家族全員が私をバカにするような家でした……」41歳女性がひきこもりになるまで

中高年ひきこもりが想像以上に増えている。2018年の内閣府調査では、40歳から64歳までの中高年ひきこもりは61.3万人が存在するという衝撃的な推計値も出された。15~64歳までのひきこもりの全国推計の数は115万人なので、半数以上が40歳以上であることがわかる。もはやひきこもりは若年層特有の現象ではなく、中高年と「8050(ハチマルゴーマル)問題」に象徴されるような高齢者と家族の問題であることが明らかになってきた。
『 下流老人 』などの著作で知られる藤田孝典氏の新著『 中高年ひきこもり 』(扶桑社新書)から、当事者へのインタビューを一部転載する。
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家族構成:父(70代)、母(70代)、妹(39歳)ひきこもりのきっかけ:場面緘黙(かんもく)症で、職場の人間関係に苦労したひきこもり期間:30歳から11年現在の様子:・ひとり暮らし・家族からの虐待があり、家族との関係を断絶・ひ老会(ひきこもりと老いを考える会)に参加している
「もともと、家で虐待されていて、生きづらさを感じていました。精神科に通院したり就労支援機関に通ったりもしたんですが、支援機関で理不尽な扱いを受けて……。
初めて就労支援機関に行ったのは、15年ほど前のことです。今とはまったく対応が違っていて、ひきこもり当事者一人ひとりに合わせて、各々の働き方に適した支援なんてしていませんでした。むしろ、当事者のほうが支援機関に合わせろ、という感じだったんです。

『1日8時間、週5回とフルタイムで、きちんと働きましょう』と、一般的な労働者と同様の就労を勧められて、ついていけなければ『根性が足りない』『やる気がないからだ』と責められました。そんな環境なので、責められる恐怖と、周りについていけない申し訳なさのような気持ちを常に感じながら、就労支援機関に通っていました。
初めて行政の就労支援機関に行ったのは、23歳くらいのときです。正社員として働きたいと考えて、それが無理ならアルバイトとしてでも、と思っていたのですが、就労支援機関はあまり聞き入れてくれませんでした。もともと、私は大きな声を出せないのですが、それも理解されませんでしたね……。私自身、当時は自分が場面緘黙症であることを知らずに、なぜ声が出なくなってしまうのかわからずに苦しんでいました」
香取さんは家庭内で虐待を受けていた。虐待は身体的な暴力に限らず、精神的なもの、ネグレクト(育児放棄・無関心)などを含む。親に相談したり、親と話すなかでストレスを解消することもできないため、精神疾患や心に不安定さを抱えるようになる。
中高年になった現在も親との関係性が悪かったことをひきこもりの一因と語る当事者が多いのが印象的だ。幼少期に、親が子どもへの理解に欠けると大きなダメージを受けてしまうことがわかる事例だ。
場面緘黙(ばめんかんもく)とは家庭などではごく普通に話すことができるのに、例えば幼稚園や保育園、学校のような「特定の状況」では、1か月以上声を出して話すことができない状態を指す。典型的には、家では饒舌で、家族とのコミュニケーションを問題なくとれるのに、家庭以外や学校ではまったく話せないことが続く状態。本来の能力を、人前で十分に発揮することができなくなる。

子どもが自分の意思で「わざと話さない」と誤解されることも多いが、そういう状態とはまったく異なる。また、人見知りや恥ずかしがりとの違いは、「そこで話せない症状が何か月、何年と続くこと」と、「リラックスできる場面でも話せないことが続くこと」である。
人によっては症状(話せない場面・程度)は大きく異なるが、話せない場面のパターンはその人ごとに一定している。
近年、場面緘黙は、「不安症や恐怖症の一種」と捉えられるようになり、「話すのが怖い」のではなく「自分が話すのを人から聞かれたり見られたりすることに恐れを感じる」とする考えが主流となっている。原因や発症メカニズムは研究段階である。
発症要因は、「不安になりやすい気質」などの生物学的要因が主因で、そこに心理学的要因、社会・文化的要因など複合的なものが影響しているのではないかと考えられている。不安が高まりやすく、行動が慎重になるため、環境に慣れるのに時間がかかる。
「ひきこもったのは、30歳をすぎたころ。ときどき支援機関に行ったり、アルバイトで働いていましたが、声が出せないのでおとなしい人間と思われて、大変な仕事を押しつけられたり、周囲から都合よく扱われて、職場の人間関係がいやになってしまったんです。
アルバイトは飲食店が多かったのですが、自分でもホールでの接客は無理だろうと思っていたので厨房での仕事を選びました。それでも試用期間に、ホール担当も厨房担当も一緒に掛け声の練習をやらせるような、体育会系の店が多く、どのアルバイト先でも『声が小さい!』と怒られてしまって……。

そんなこともあり、30歳くらいから精神科にふたたび通院するようになりました。アルバイトはなんとか続けており、仕事を終えるとその足で病院に向かうような日々でした。抗うつ剤や精神安定剤、睡眠薬を処方してもらってましたが、薬が合わなかったのか、こうした薬を服用しても人前で普通に話せるようになるわけでもなく、状況は何も変わりませんでした。するとお医者さんは『もっと薬を増やしましょう』と、どんどん増やしていき、いつも頭がボーッとするようになり、仕事が覚えられない。体も常に重くて、だるくてどうにもならなくなってしまいました。精神科に通いはじめて3か月後には、仕事を辞めざるをえなくなり、ひきこもるようになったんです」
香取さんは児童期に不登校やひきこもりになったのではない。虐待を受けながらも一生懸命に生きてきた。10代、20代も生きづらさを抱えながら頑張ってきたことが理解できる。しかし、30代になり、職場の人間関係、職務の多さから、病気が悪化する。
ひきこもりの大きな要因が、職場のパワハラや人間関係にあったことを語ってくれた。もともと抱えていた生きづらさが増して、ひきこもってしまった。個々の当事者が置かれた環境の多様さ、複雑さが理解できるだろう。
「外に出るのは、病院への通院と食料品や日用品をスーパーに買いに行くときくらい。このころにはひとり暮らしをしていましたが、ずっと家にいる生活でした。

当時は不眠症だったので、長時間きちんと眠ることができず、ちょっと寝ては起き、ちょっと寝ては起きという感じで。それでも、朝には起きるようにしていたのですが、睡眠が足りていないので、補うために昼寝をして……というふうな生活サイクルでした」
ひきこもりというと、完全に人間関係や社会関係を絶っているかのように捉えられがちだが、それも誤解であることがわかる。香取さんは外に出ることもできるし、ひとり暮らしも可能な状態であった。自宅で誰かと交流することもなく、孤立している中高年ひきこもりの一例だ。ひきこもり当事者には同居家族がいて家族が面倒を見ている、というのも一面的な見方に過ぎない。
香取さんには精神疾患が背景にあるため、自宅で精神科に通いながら療養生活をしている。この時期にひきこもりと呼ばれる状態に陥っていたことも興味深いだろう。精神障害や精神疾患を有する人々に対する社会的なケアの必要性まで浮かび上がってくる。
「お医者さんには自分の状態を伝えてましたが、理解がなく、言葉には出さないものの『甘ったれるな』という対応でした。
親は、まだ私が30歳くらいだったころは、多少はつきあいがありました。そもそも支配的な親なので頻繁に電話をかけてきたり、家まで来ることもありました。そんな親だから、時には病院までついてくるのですが、私を虐待していたことを認めていないので、お医者さんの前ではそんな素振りも見せない。外面がいいので、傍目にはとても子どもを虐待する親には見えない。むしろ、上品でやさしそうに見えていたと思います。

親は、私の病気や、場面緘黙症であることには理解がなかった。私が小学生のころからよく言われていたのは、『いい学校に入って、大手企業に入って、そこにお勤めの男性と結婚しなさい』ということ。こういう価値観の親なんです。“エリート”っていうんですか? そういう人たちの行いだけが正しい、という考えなんです」
ひきこもり当事者への聞き取りのなかで、頻繁に聞かれたのが、医師やソーシャルワーカー、支援団体への不満と不信感だった。親も自分を理解してくれないし、支援者も心の底では自分を理解してくれない、ということを深く意識している。自分を理解し、大事にしてくれる人がどこにもいない社会で生きることがどれだけつらいことか、想像するだけで苦しくなってくる。ひきこもり当事者の社会的な認知や理解が広がるだけでも、当事者を苦しみから解放することができるはずである。
また、理解してくれない親が悪いと捉える方がいるかもしれないが、親とすれば子どもに期待するのは当たり前。愛情の裏返し、幸せを願ってのアドバイス、などという擁護の声も聞こえてきそうである。
社会的な価値規範、社会通念、固定観念が親のなかにはある。「こういう生き方のほうがよい」という価値観である。当事者は幼いころから、そういった社会通念に支配された親の思いと相反し、悩みを深めていく様子も理解できるだろう。
いうまでもなく、人間にはいろいろな生き方があり、幸せの感じ方も違う。たとえ、親とはいえ、価値観や思いが違うのは当然のことである。これを自然と無意識のうちに、子どもに押し付けていないか、自戒する必要があるとは言えそうだ。

「両親とも裕福な家庭に生まれました。父の親(祖父)は大手企業のグループ会社の重役で、専属の運転手がいるような地位に就いていました。母(祖母)も社長の娘です。
でも、父親は仕事をしていません。たまに仕事に行っているような体裁は繕っていたけれど、家にいることが多かった。たぶん、父親は子どものころから勘違いしていたんだと思います。親が権力を持っているので、『自分も権力を持っている』と勘違いしたタイプなんだろうなと思います。
私が高校を卒業したころ、両親が別居をし始めて、その後、離婚して以来、父親とはまったく会っていません。
離婚は、母親のほうから一方的に言いだしたようです。2歳下の妹が高校2年生の夏休みに、『実家に戻るから』と言われて、私と妹は母方の実家で暮らすようになりました。
ただ、突然というわけではなく、子どものころから夫婦仲がよくないのは薄々感じていたし、物心ついたころには母親が『離婚したい』と話していましたから。今、母親は何もしておらず、お金もないので生活保護を受けて暮らしているようです。
私がひとり暮らししている家は、母親にバレないようにこっそり引っ越しをしました。今は完全に縁を切り、母親がどこにいるのか知りません。
妹とも関係は悪いです。幼いころはそうでもなかったのですが、幼稚園に入ったくらいから、私がしゃべらないのがおかしいと思ったらしく、見下して嫌がらせをするようになりました。親もそういう様子を見ていながら、妹の味方をして、家族全員が私をバカにするような家でした……」

香取さん自身が家庭での人間関係が最悪だったと語っているのは「家族全員が私をバカにするような家」という表現にすべてが凝縮されている。香取さんにとって、家族は温かく受け入れてくれて居心地のいい場所ではなかった。
しかし、その居心地の悪い家族と別れるわけにもいかず、仕事に就いて別居するまでは共に暮らさなければならない。まさに逃げ場のない監獄のような苦しい空間にいたことを強いられてきたのだ。
家族を語る際に、人は自分の家庭を物差しに考えがちである。親は幸せを願っている、親は子どもに害悪を加えることはない、などが一般的であろう。
“毒親”。このように言っておきたいのは、家族や親が当事者にとっては害悪になるケースが珍しくないということだ。親は温かくもないし、無条件で受け入れてくれる存在でもない、という視点は、ひきこもり対策でも共有する必要があるだろう。
「どこにも自分が行ける場所がなくて、精神科のデイケアや、精神疾患を抱えている方の集まりくらいしか行くところがない……。ところが、そういう場でも理不尽なことが多くて、結局、家にいるしかなくなってしまった。
ひ老会に来たのは、前にテレビに少し映っていたのをたまたま見て、『こういう集まりがあるんだ』と名前を何となく覚えていたんです。それで1か月ほど前、ひきこもり関係のシンポジウムに行ったら、ぼそっと池井多さんが話していて、ひ老会のチラシをもらいました。メールをしてみて、行ってみようかな、と思って参加しました」

香取さんに限らず、当事者の会に参加するひきこもり当事者は多かった。しかし、そのような場が人によっては苦痛だということもある。ただ、当事者の会や家族会を否定する必要はない。自分とは合わないこともある、という認識をどこかに持っておくべきだろう。
端的にいえば、自分に合う集団や団体に身を置けばよいということだ。香取さんは自分を理解してくれたり、居心地のいい空間を探し求めて試行錯誤を続けたようだ。さまざまな情報を得ながら、可能な範囲で居心地のいい空間や関係性を見いだしてほしい。
「中高年のひきこもりが増えているのは自然なことかな、と思います。今の中高年が小中学生のころは、学校のいじめにしても、今ほど『いじめはよくない』というふうに取り上げられず、『いじめられる側に問題がある』という考え方がすごく強かった。当時は、学校側に体罰が事実上許されていたし、今以上に個性が『負けないこと』という時代だった。
もちろん、今の若い人たちには、今の時代の生きづらさがあると思うけれど、昭和とか平成初期の学校で軍隊教育的なことが行われたり、仕事でも長時間労働を押しつけられたり、苦しいことを強制されることが多い時代だった。だから中高年のひきこもりが増えたのは当たり前の結果なのかな、と思います」
香取さんはひきこもりが増えている要因として、軍隊的な学校教育や長時間労働を強いる職場環境など、個人に裁量権のない社会の存在を指摘する。自由がなく、息苦しいことに我慢しなければならない空間が広がっているとの示唆は、あくまでひきこもりの発生因が社会にあることを強調しているようだ。この社会システムの陥穽を問い、変革を促さなければ、中高年ひきこもり問題は解消に向かわないのではないか。今後、これは本質的な議論になってくるだろう。
(藤田 孝典)