編集部からのお知らせ:
本記事は、書籍『米中貿易戦争の裏側 東アジアの地殻変動を読み解く』(著・遠藤誉 、毎日新聞出版)の中から一部抜粋し、転載したものです。中国問題の第一人者である筆者が暴露する、米中貿易戦争の裏側についてお読みください。
2019年4月3日、アメリカの国防総省(Department of Defence)にある国防イノベーション委員会(DEFENCE INNOVATION BOARD)が5Gに関する報告書“THE 5GECOSYSTEM :RISK & OPPORTUNITIES FOR DoD”(5Gエコシステム:国防総省に対するリスクとチャンス)を出している(以後、「国防報告書」と称する)。
エコシステムというのは本来エコロジー(生態系)システムのことで、一般的には生態環境などを対象としたエコロジーのことを想起するが、最近では「エコ」と言うと「環境にやさしい」など、少しずつずれた使い方をしている。
5Gエコシステムとなると、本来の意味から、もっとずれていく。
ファーウェイ禁輸の裏に「5Gシステム」問題
情報通信産業においては、動植物の食物連鎖や物質連鎖といった生物群の循環系という元の意味から転化して、経済的な依存関係や協調関係、あるいは強者を頂点とする新たな成長分野でのピラミッド型の産業構造といった、新しい産業体系を指すようになった。
5Gエコシステムというのを定義するならば、「5G基地局すなわち通信設備製造企業(ファーウェイ、エリクソンのようなベンダー企業)、ネットワーク・プロバイダー(ソフトバンクやauあるいはNTTドコモのようなキャリア業者)、アプリケーション開発者(GAFAやBATなど)という、ネットワーク層(設備層)からアプリケーション層までを効率よくカバーするシステム」とでもなろうか。
そんなこといちいち説明しなくても分かっているよと、通信技術のプロの方からはお咎(とがめ)を受けそうだが、私は理論物理という分野で思考回路を形成されてしまったために、「しっくりとは分かっていないこと」を「まあまあ、分かったような顔をして通り過ぎる」ということがどうしてもできない性格になってしまった。古典物理や量子力学あるいは分子動力学などなら、ほぼひとこと言われれば納得できるのだが、最近の最先端の通信技術分野となると、この年齢でスイスイとついていけるわけがない。
だからゼロから噛(か)み砕きながら納得し、一歩ずつ先に進むことしかできないのである。
それをお許しいただいて、図3-1をご覧いただきたい。
PCであれ、スマートフォン(スマホ)であれ、基本この図3-1のような構図で情報が動いている。
左側にあるのは私たちが日常的に使っているネットワークの通信規約(プロトコル)の「TCP/IP」である。
TCP/IPはもともとアメリカ国防総省の高等研究計画局(ARPA)が開発した世界初のパケット通信コンピュータ・ネットワーク ARPANET から更に発展し、今私たちが使っているネットワークの根幹となる規約だ。
この国防報告書が実際に考察対象としているファーウェイなどは、図3-1から言えば、あくまでも物理的な接続なので、実際の接触に相当する「ネットワーク・インターフェース層」に属する。これを「リンク層」とも言う。ほかにノキアやエリクソンなども5Gのベンダー企業という意味で、この層に属する。
その上のインターネット層・トランスポート層は、日本でいうならば、例えばソフトバンクやau、 NTTドコモなどの通信業者が担当し、GAFA(Google, Apple, Facebook, Amazon)やBAT(Baidu, Alibaba, Tencent)のような企業は基本的にアプリケーション層で活動している。
ファーウェイは個人情報を「知ることができない」
ときどきBATをBATHと一くくりにして「H」すなわち「Huawei」を、このアプリケーション開発者の中に入れる分類を見かけることがあるが、これは適切とは思えない。Huaweiすなわちファーウェイは、ビッグデータを扱う企業ではなく、ビッグデータが動く入れ物を提供している企業である。
図3-1の「データの流れ」で表示したように、データのやり取りはアプリケーション同士が直接通信しているのではなく、これを「宅急便」に例えるならば、まずは「発送者(発信者)」は「送りたい荷物(発信するデータ)」を「ダンボール」に入れて、「配達業者(キャリア)」に出す。
通信業界では、この一個一個の「ダンボール」を、「パケット(小包)」という名で呼んでいる。
「配達業者(キャリア)」が「受け取った荷物のダンボール(パケット)」に書かれているアドレスを確認あるいは確定して、「発送経路(ルーティング)」を選定してから、車などの「運送手段(携帯から基地局さらに基地局間通信)」に乗せて(載せて)まとめて発送する。
さらに荷物を「届け先=宅急便受取人(受信者)」の近くまで運び住所(アドレス)を見つけると、配送業者(キャリア)は車からダンボールを降ろして、荷物受取人(受信者)の家のドアホーンを鳴らすかノックして(=着信音)、荷物受取人(受信者)がその荷物を受け取る。間違いなくその人の手に渡った後に、荷物受取人(受信者)は初めてダンボール(パケット)を開けて中の荷物(通信内容)を取り出して見ていいのである。
その間、運送手段(宅急便などの車=スマホ&基地局など)自身は意識を持って荷物の中身(通信内容)を見ることはできないのである。インチキをしてダンボールを開けば、その痕跡が残り、誰にでも痕跡が見えてしまう。つまり、
送受信者=アプリケーション
配送業者=キャリア
運送手段=基地局&携帯(スマホなど)の機器
と、例えることができる。このことから分かるように、情報内容を知っているのは、送受信者(データを送信した者とデータを受信した者)=アプリケーションなのである。
すなわち、データ(情報)を持っているのはGAFAとBATということになる。
スマホおよび基地局はダンボールの中の情報を知ることはできない。つまりファーウェイは、理論的に、情報を知ることはできない。
個人情報を持つのはアリババやテンセント
もし中国政府が個人情報を知りたいと思うのだったら、中国で言うならばBAT、つまりバイドゥ、アリババそしてテンセントに「情報を渡せ」と言えばいいだけだ。実は実際に、中国政府はアリババやテンセントに「個人情報を中国政府に渡せ」と要求している。
彼らは国家AI戦略のプラットフォーム(BATIS)として指名されているだけでなく「社会信用システム」を構築するための企業としても中国政府から指名を受けている(ちなみにファーウェイは全国63社ある「社会信用システム」構築のための政府御用達企業の中にも入っておらず、逆に社会信用システムにより監視・評定される側である)。
従ってアリババやテンセントは中国政府の要求に応じなければならない。だというのに中国政府の要求を全面的には承諾しなかったために、アリババの創始者・馬雲はトップの座からしりぞくこととなった。テンセントの創始者・馬化騰は「騰訊(※簡体字)征信」という子会社の法人代表を辞任している。
この信用調査は国が管理すべきだというのが中国政府の意図で、そもそも馬化騰個人が管理するのは不適切ということから辞任したものと判断される。この辞任が続いたのは2019年9月のことである。このように中国政府は実際上、個人情報の提供をBATに要求しているのである。良し悪しは別として、それなら、まだ分かる。
中国政府の目的は全国に張り巡らしている監視カメラをも通して、「監視機能」を高めようということだ。第一章の冒頭のリード部分でも書いたように、習近平が怖いのは「人民の声」であって、何としても「中国共産党による一党支配体制を維持したい」。だから反政府分子が1人でもいたら、一刻も早い段階でその芽をつみ取りたいのである。
もしアメリカの個人情報を知りたいというのであれば、なんならGAFAの中のアップルとフェイスブックは習近平のお膝元の清華大学経済管理学院顧問委員会の委員なのだから、アップルやフェイスブックと結託すればいいだろう。それなのになぜデータ(ダンボール箱の中身)を知らないファーウェイに焦点を当てて集中攻撃しなければならないかと言えば、偏に次節で述べるように「ファーウェイが優秀でアメリカを乗り越えているから倒さなければならない」という現実があるからなのである。
米国防報告書の背景に「トランプの懸念」
実際上、データをやり取りするときには、データはカプセル化(ダンボールに梱包)されて「暗号化」して送る。送る時に「今からデータを発信しますよ」という通知や、「はい、分かりました。データを送ってくれたら運びますよ」という回答、「今送りました」という通知、「はい、受け取りましたので運びます」……などなどのやり取りがあって、またいくつもの段階におけるカプセル化(包装)をするので、数段階カプセル化されており、そのカプセルを剥がして中のデータを取り出すには数段階の「剥がし作業」を経なければならない。
これを「マトリョーシカ人形」に例えるなら、マトリョーシカは何重かになっていて、マトリョーシカを開けても開けても、データが入っている一番小さなお人形さんにはたどり着かないのである。
それでも首をかしげるなら、もっと単純に「一本の鉛筆」にたとえてみよう。ここに一本の鉛筆があったとしよう。徳川時代に日本に入り、明治時代などから貴重な筆記用具として大事にされてきた、種も仕掛けもない、何の変哲もない、ごくごくありふれた鉛筆だ。
その鉛筆自身は情報を持っていない。
しかし鉛筆が紙に文字を書いたり、絵や地図を描いたりすると「情報」を持ち得る。それが非常に貴重な内容である場合もあれば、極秘情報である場合だってあるだろう。
このように、鉛筆自身は情報を持ってないが、それが書いたものは情報を持ち得ることから考えても、ファーウェイは、まさにこの鉛筆(情報を運ぶ道具)に相当するので、道具自身は情報を持ちえない。これと同じ道理である。
この関係を理解しておきさえすれば、「ファーウェイが情報を抜き取っているか否かの論理的検証も(基本的には)できる」わけで、そのために国防報告書の分析に多くの文字数を使うことをご理解いただきたい。
この国防報告書が出た背景にはトランプ大統領のある懸念があった。
実は2018年3月12日に、トランプが「大統領令」を出して、シンガポールとアメリカに拠点を置く通信用半導体大手ブロードコムがクァルコムを買収することを禁止した。短期的志向の強いブロードコムに敵対的買収をされれば、5Gへの投資を拡大しているファーウェイが影響力を発揮し、技術がファーウェイに流れる安全保障上のリスクを警戒したからだ。
アメリカは少ない基地局で多数の端末接続を可能にするため、1970年代から米軍が軍事関連の補助金などを使って先端技術を開発し、それを民間転用してライセンス収入を稼いできた経緯がある。クァルコムはその線上で成長してきた側面もあるため、トランプとしては何としてもブロードコムによるクァルコム買収を禁止したかったのである。
このときアメリカの神経は「ファーウェイ・リスク」に集中していた。その結果、その「リスク」がDoD(米国防総省)にどれくらいあり、それでもチャンスがどれくらい残っているかというのが、この国防報告書の神髄の1つなのである。
「周波数」巡る米中対立
国防報告書の中で最も私の興味を引いたのは「周波数(frequency)」に関する分析だ。
5Gの必須特許出願数の企業別シェアは米中で比べるならば中国勢が圧倒的に優勢で、ファーウェイ(15.05%)+ZTE(11.07%)=36.12%であるのに対して、アメリカはクァルコム(8.19%)+インテル(5.34%)=13.53%でしかない。この国別比較は第二章の図2-4でも示したが、その図に関してITUや3GPPなどが「国際標準化規格」を協議していると書いた。
その結果、5Gの周波数に関しては、「低周波数領域」と「高周波数領域」の二つに分かれることになった。この決定に大きな影響をもたらしたのがファーウェイを中心とした中国勢だ。
中国勢は国際標準化規格として低周波数領域を主張し、クァルコムを中心としたアメリカ勢は「ほぼ止む無く」高周波領域を主張することとなった。
そこで国防報告書は、5Gに関するこの2種類の周波数領域に焦点を当て、以下のような論理を展開している(解説を加えながら、レポートの内容をご紹介する)。
1.sub-6(サブ・シックス)と呼ばれる、6GHz以下の周波数(主に3~4GHz)(中国は主にこの技術を開発している)。国際標準規格などを決める3GPPなどでは450MHz~6000MHz(6GHz)の周波数帯 をFrequency Range 1(FR1)と称し、この範囲を sub-6 と呼んでいる。メインは3~4GHzだとしているのは国防報告書である。
2.mmWave(ミリ波)と呼ばれる24GHz以上の周波数(日米韓は主にこの技術を開発している)。この高周波数領域に関しても3GPPは24・250 GHz~52・600GHzの周波数帯を Frequency Range 2(FR2)と称している。
図3-2に示したのは、国防報告書の3頁目に掲載されているものだ。
この図の左側が中国、右側が日米韓などが主として開発している周波数領域である。
Hzは「ヘルツ」で、これは「1秒間あたりの振動回数を表す周波数の単位」である。1Hzは1秒あたり1回の振動。kHz(キロヘルツ)は1秒あたり1000回、MHz(メガヘルツ)は1秒あたり100万回、GHz(ギガヘルツ)は1秒あたり10億回の振動になる。
一般に周波数が低いと「音」の性格に近く、周波数が高くなれば光の「電波特性」を持つため、「光」の性格に近づいていく。
たとえば、今ある人「Aさん」が野原に立っていたとしよう。
Aさんの目の前である音がしたら、Aさんの後ろ側にいる人にも、その音は聞こえる。
そこに大木が生えていても、あるいは何かレンガの塀があっても、裏側で音を聞くことができる。
しかし光だと、どうだろう。
Aさんの目の前に当てた光は、Aさんの体分の影となって、その後ろ側には届かない。大木があっても影となるし、レンガの塀でも同じことだ。雨が降っても遮られて影ができるし、手先だけでも影はできる。
つまり光は「曲がらない」=「直進する」のである。
しかし音は「回り込む」=「現象的には曲がる」ことに相当する。
このことが原理となって、低周波数領域と高周波数領域には、それぞれ以下のようなメリットとディメリットがある。
1.(sub-6 中国など)の場合
メリット :カバーする距離が長い。複雑な地形にも対応できる。コストが低い。
ディメリット:速度が mmWave より遅い
2.(mmWave 日米韓など)の場合
メリット :速度が早い
ディメリット: カバーする距離が短い。一定距離を超えるとほぼつながらなくなる。複雑な地形への対応が難しい。コストが高い。
mmWave は障害の衰減がひどい。直進性が強く、障害物に対して回り込まないなど光に近い電波特性があるため、障害物があると電波が大変弱くなる。従って、目視できない範囲だとあまり使えない。
もちろん Massive MIMO(マッシブ・マイモ。次世代通信の要素技術で、複数のアンテナを用いるMIMOをさらに発展させたもの。Massiveは「大規模な」の意味で、MIMOは「無線通信において送信機と受信機の双方で複数のアンテナを使い通信品質を向上させること」をいう)などで改善のための研究もされているが、それはそれでコストがかかる。
周波数巡る米国の焦りが「ファーウェイつぶし」に?
従って完全な5Gシステムを構築しようと思えば、sub-6 と mmWave を結合させ、長距離では sub-6 、短距離では mmWave を使用するといった使い分けが理想的なのだが、実際上はそうはいかない。
カバーする距離が短いというのは、ある意味では致命的な仕様となっており、国防報告書では、どれくらいの距離の差があるのかを検証した実験結果を掲載している。
図3-3は電柱に設置された1つの基地局が対応できる範囲を示している。
これは国防報告書の9頁目に掲載されている図表である。
実験はロサンゼルスの緩やかな地形の場所で行われ、基地局は電柱の非常に高いところに配置されている。ほぼ理想的な条件での実験だと言っていいだろう。
薄いグレーは1Gbpsのスピードが出る範囲、濃いグレーは100Mbpsのスピードが出る範囲で、左は mmWave 、右は sub-6 の結果である。
bpsとは「1秒間に転送可能なデータの量」のことで、「通信回線の速度」を表すときに使う。bits per second(ビット・パー・セコンド)の略である。「ビット」は「デジタルデータの大きさを表す最小単位」のこと。従って「1Gbps」は「1秒間に10億ビット転送できる」ことで、「1Mbps」は「1秒間に100万ビット転送できる」ことを表す。
図3-3をご覧いただければお分かりいただけるように、 mmWave( 左側)で sub-6( 右側)と同じ区域を全てカバーしようとすれば、必要な基地局の数は10倍以上になる可能性すらある。 Sub-6 は既存の基地局を流用し改造しさえすれば、一定程度対応が可能になるのに対して、 mmWave は大量に基地局を増設しなければならないのは歴然としている。それは非常に大きな出費となる。
国防報告書における試算では、少なくとも1300万台の基地局を新たに設置しなければならず、4000億ドルはかかるだろうとしている。
ちなみに中国は現在、約600万台の基地局を持っているが、アメリカは20万台ほどしかない。これこそは、実は致命的なディメリットなのだ。
このような特徴を周波数は持っているため、今後はおそらく日米韓以外の国では「sub-6」が主流になるだろう。
それならなぜ、アメリカは sub-6 ではなく、mmWave を使おうとしているのかと言うと、それはアメリカ政府、特に国防総省がこの周波数を使っているからだ。アメリカ政府は、実は大量の sub-6 周波数を使っている。特に sub-6 がメインで使う3~4GHzの周波数を所有している。ところが、同じ周波数を5G商用に割り当ててしまうと、干渉が発生するとか、セキュリティ上の問題が発生する恐れが出て来る。
しかしアメリカ政府が他の周波数に移行するには、おそらく10年はかかるだろうと国防警告書にある。周波数をシェアする解決法もないではないが、それでも5年はかかるという。
そこで国防報告書は以下のように警告している。
だからこそ、アメリカおよびその同盟国である日韓は、 mmWave を使用することを余儀なくされている。もし、世界の主流が sub-6 となってしまうと、日米韓だけがガラパゴス化することになる。
また米国防総省が海外に出ると、どうしても sub-6 を使わざるを得なくなる。sub-6 を主導しているのが中国側だからだ。となると、今まで主に mmWave の開発に注力してきたアメリカにとっては大変不都合なことになる。
国防報告書は最後に、「アメリカは今後 sub-6 に注力せよ」とか、「バックドアに対して関税を課せ」とか「貿易戦争を強化せよ」あるいは「5G商品を販売する中国国有企業を規制せよ」といったさまざまなアドバイスを米政府に対して出している。
2019年の4月3日にこの国防報告書が発表され、5月15日にファーウェイをエンティティ・リストに載せた。この流れからみて、これこそが、アメリカがどうしてもファーウェイをつぶさなければならない本当の原因だったのだと言えよう。