来日中のフランシスコ・ローマ教皇は24日、長崎市の爆心地公園などを訪問する。訪問先の一つで、16世紀末の弾圧で処刑された宣教師や信徒26人の殉教地・西坂公園(長崎市西坂町)はカトリックの聖地とされ、足を運ぶ観光客も多い。しかし74年前は、仏教の説教所があり、多くの無縁仏を供養した歴史がある。当時を知る関係者は「24日が宗教を超えた祈りの日になってほしい」と願う。【今野悠貴】
長崎港を見渡す丘にある西坂公園。戦前は殉教地の位置について複数の学説があって定まっていなかったが、県戦災復興委員会が1947年、西坂として公園整備を決めた。原爆投下時は、真宗大谷派(東本願寺)の説教所(教務所)があり、戦前から近くに住む島田和子さん(90)は敷地内で遊んだり、風呂に入れてもらったりして、「身近な『お寺』だった」と話す。
爆心地から約2・3キロにあった説教所は爆風で大破。周辺の住宅は次々に炎に飲み込まれた。大谷派長崎教区が関係者の証言などをまとめた「非核非戦記録集」などによると、引き取り手もなく、埋葬できない遺骨が説教所に集まりだした。爆心地近くに飛行場が整備されることになると、重機に踏み潰されてはならないと門徒らが遺骨収集に奔走した。記録集をまとめた善教寺(長崎市)の末永仁住職(46)は「1万体とも2万体とも言われる遺骨があり、人間以外の骨もあったかもしれない」と話す。
戦後に教務所は約400メートル離れた長崎市筑後町に移転。西坂は県史跡に指定され、62年に日本二十六聖人記念館と記念像ができた。カトリックの聖地としてヨハネ・パウロ2世も訪問。現在は長崎を代表する観光地だが、当時の歴史を紹介する案内板はない。
教務所敷地には99年に建立された「非核非戦の碑」がひっそりとある。毎月9日、原爆犠牲者を弔っているが、戦前の教務所で遊んだという同市の被爆者の森田博満さん(85)は「ほとんどの人がここを知らない」と嘆く。だが平和のメッセージを携えるローマ教皇の西坂訪問で、かつての歴史に光が当たることを期待する。末永さんは「殉教、被爆と困難に遭った人々を悼み祈る気持ちに宗教で違いはない」と話す。